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中産階級ハーレム⑯ ─ プロレス

2021-05-11 19:17:44 | 中産階級ハーレム


日本のプロレスの父祖・力道山。日本統治時代の朝鮮半島(現在は北朝鮮になっている地域)に生まれ、15歳で大相撲二所ノ関部屋に入門し戦後に関脇まで昇進するが廃業。1952年にプロレス修行のため渡米し、サーキット中にアメリカ人レスラーを招聘できるプロモーター・ライセンスを取得、帰国後は興行団体の設立や始まったばかりのテレビ放映枠獲得に奔走、自らがエースとなる舞台を整える。日本人はまだ敗戦のショックから立ち直っておらず、力道山が空手チョップで巨漢外人レスラーをなぎ倒す雄姿に熱狂し、街頭テレビは黒山の人だかりとなった。63年に暴力団員の男ともめ事になって腹部を刺され、予後が悪く死去。



プロレスの人気は力道山の死後一時低迷したが、後継者と目されるジャイアント馬場と新団体の引き抜きから復帰したアントニオ猪木の「BI砲」がスター性を発揮し、テレビ中継も日テレに加えNET(現テレビ朝日)が参入し華やかな時代を迎える。共に力道山の弟子であった馬場と猪木はライバル心が強く、テレビ放映契約のゴタゴタや団体幹部の汚職などで2人とも新団体を旗揚げ、馬場の全日本と猪木の新日本による対立・抗争の時代が幕開け。



1960~80年代にブラウン管を彩った外国人レスラーたち。右上から時計回りでフレッド・ブラッシー、ボボ・ブラジル、フリッツ・フォン・エリック、テリー・ファンク、タイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガンのおもちゃ、ミル・マスカラス、アンドレ・ザ・ジャイアント、アブドーラ・ザ・ブッチャー。俺子どものころからプロレス嫌いだけど名前だけでなく芸風もいがらしみきおさんの漫画やコサキンの投稿とかで何となく知ってるわ。


73年、東京オリンピックで日本柔道の前に立ちはだかったアントン・ヘーシンクが全日本プロレス入り。レスラーとしては大成しなかった。



【左】1976年6月に行われた「世紀の凡戦」、アントニオ猪木がボクシングのスーパースター、モハメッド・アリを迎えた異種格闘技戦は両者の顔をつぶさないためか奇妙なルールのもと締まりのない茶番に。【右】この試合など猪木が社長を務める新日本プロレスを資金・人的な面で支援した「テレ朝の天皇」三浦甲子二(きねじ)。河野一郎・中曽根康弘ら自民党の派閥領袖と親しく、同時にKGBを通じてソ連共産党による裏工作を担った。



前田日明のキックを顔面に受けた長州力は右前頭底骨骨折。翌88年に新日本を解雇された前田はUWF(第2次)旗揚げ。



90年代後半から00年代にかけPRIDEやK-1といった総合格闘技の興行がブームとなり、この2003年K-1のボブ・サップ×曙など大晦日のテレビの呼び物に。

ロンハー有吉被害者の会にて熊田曜子「ロンハーさんなら私をイジるのもプロレスみたいなお約束があって~」
有吉「ちょっと待った。まずプロレスの人に謝ってください」
熊田の弁護士オレ「謝る必要ないです。むかし狂言の和泉元彌がハッスルのメインイベントで米国でも活躍した鈴木健想を相手にデビュー戦勝利、くりぃむ有田さんはその場にいて感動して大泣きしたそうですが、前後を抜きにしてこの試合だけをテレビで見せられたら誰もだまされないです。おおまかな筋書きがあり、スポーツ競技ではない演劇や芸能のジャンルに過ぎません」
熊田「話がなげーよジジイ。わたしも芸能人なのでプロレスの人に謝るわ。弁護士解任します。帰ってください」😝 
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