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世界の音楽 — ウルグアイ

2023-09-28 17:06:33 | 世界の音楽
消費税のインボイス制度。経済の土台が侵食され、これでまたさまざまな経済指標が縮小するのだろう。署名などの反対運動は以前から行われていたとはいえ、10月から施行というその直前、もう手遅れになってから特にツイッターで騒ぎ立てているさまが国民の分断と屈辱、無力感をいっそう際立たせている。

1973年のクーデターにより軍部は政治の実権を握り、「南米のスイス」とも称された民主主義国ウルグアイにもブラジル型の官僚主義的権威主義体制が導入された。1976年にはアパリシオ・メンデスが大統領に就任し、ミルトン・フリードマンの影響を受けた新自由主義的な政策の下で経済を回復させようとしたが、一方で労働人口の1/5が治安組織の要員という異常な警察国家体制による、左翼系、あるいは全く政治活動に関係のない市民への弾圧が進んだ。1981年に軍部は軍の政治介入を合法化する憲法改正を実行しようとしたが、この体制は国民投票により否決され、ウルグアイは再び民主化の道を歩むことになった(ウィキペディア)。

屈辱・無力感といえば、いまジャニーズ事務所の男性アイドルのファン女性たちも味わっているのだろう。長きにわたってテレビなどで権威づけられてきた、しかし実態としてはジャニー喜多川が目を付けて合宿所に住まわせた少年のうち、彼による性の儀式を受け入れ、覚えのめでたい少年だけがデビューできる仕組み。国民の多くはそれを知っていた筈だが麻痺してしまっており、BBCの報道をきっかけに雪崩のようにジャニーズ外しの波が起り、ファンや擁護者は一挙に少数派に追いやられてしまった。多数派に戻れる見込みはないが、たとえば「ジャニーズ叩きはK-Popや立憲共産党のような反日パヨクの仕業!」というようにネトウヨに合流すれば、ネトウヨとしては比較多数を保つことができるし、橋下と百田が罵り合っているようにいつまでもウヨゲバ党派性ごっこで遊んでいられるだろう。「労働人口の1/5が治安組織の要員という異常な警察国家体制」とは現状の日本であり、治安に協力することで軍政に必死にぶら下がっている状態の「必死」を急に自覚させられてしまったのがジャニーズのファンというわけ。



Los TNT / Eso, Eso, Eso (1960)



Los Olimareños / A Simón Bolivar (1966)



Alfredo Zitarrosa / Milonga para una niña (1966)
アルフレッド・シタローサはウルグアイのみならずラテンアメリカ全体の音楽を象徴する人物の一人。1936年生まれ、1954年にラジオのアナウンサーとして芸能活動をスタート、歌手デビューは1964年。民間伝承のルーツと明確な左翼イデオロギーを持ち、抑制された深みのあるボーカルとギター伴奏により南米ポピュラー歌唱の偉大な声の一人として地位を確立。終生共産党員であり、1973~85年の軍事独裁時代には亡命を余儀なくされ、同じころ軍事独裁であったアルゼンチンやチリでも発売・放送禁止に(↓のCandombe del olvidoは亡命先のアルゼンチンで制作)。84年に帰国、89年に腹膜炎のため死去。 



Alfredo Zitarrosa / Doña soledad (1968)



Vera Sienra / La gaviota (1969)



Daniel Viglietti / Milonga de andar lejos (1969)



Eduardo Mateo / Quién te viera (1972)
カンドンベ・ビートと呼ばれる、黒人奴隷のダンス様式カンドンベを源流としてさまざまなポピュラー音楽のジャンルを融合させた様式の主要な先駆者。ジョアン・ジルベルトのボサノバ、次いでビートルズのビート・ミュージックに大きな影響を受け、1972年のこの曲を含むアルバムが大きな成功を収める。60年代後半から麻薬を常用し、恋愛・性関係も奔放だったが、73年に軍事独裁が始まると共に家族や友人に不幸が相次ぎ、77~78年にはマテオ自身も住居を失ったり逮捕されるなど不遇の身に。80年代後半は活発に活動したが72年までの成功に迫ることはなく、90年がんのため死去。



Eduardo Darnauchans / Muchacha de Bagé (1974)



Alfredo Zitarrosa / Candombe del olvido (1976)



Eduardo Darnauchans / El instrumento (1978)



Los Olimareños / Adiós mi barrio (1978)



Rubén Olivera / Anadamala (1981)



Sergio Fachelli / Hay amores... y amores (1984)



Los Iracundos / Tú con él (1984)



Jaime Roos / Durazno y convención (1984)
フランス人の父とウルグアイ人の母の間に生まれたハイメ・ルースはウルグアイで最も影響力のある音楽家の一人。音楽活動初期はパリなどヨーロッパで行い1984年に帰国。モンテビデオの彼が生まれた地域に言及したこの曲と収録アルバムが成功、上記のEマテオらが創始したカンドンベ・ビートを他の音楽家らと発展させ、ポスト独裁のウルグアイ音楽シーン形成に寄与。このジャケが示すように同国サッカーの熱心なサポーターとしても知られる。



Gervasio / Con una pala y un sombrero (1986)



Natalia Oreiro / Tu veneno (2000)



Jorge Drexler / Al otro lado del río (2004)
映画モーターサイクル・ダイアリーズの主題歌としてアカデミー賞・最優秀歌曲賞を受ける。授賞式ではホルヘ・ドレクスラーが有名でないとして俳優アントニオ・バンデラスとカルロス・サンタナが演奏。映画は、医学生エルネスト(若き日のチェ・ゲバラ)が先輩学者と2人で南米各地をバイク旅行し、南米各国の置かれた厳しい現実を知る内容で、主題歌を歌うドレクスラーも医師。話変るがコロナ禍の初期、イタリアやニューヨークで病院の廊下にまで患者が溢れる痛ましい光景が報じられ、それに対し日本ではもし感染爆発しても病院が受け入れないからこのような分りやすい医療崩壊にはならないという冷めた論評がされたのを思い出す。中国のように突貫工事で入院施設を作ることもないし、検査も消極的。この10月からは発熱外来の行う入院調整の保険点数が大幅減額されるともいう。確かに日本人のコロナ死者はイタリアや米国より相対的に少ないかもしれないが、社会としては日本の方が手遅れで、付ける薬もなくますます衰退していくのだろうと思う。



No Te Va Gustar / Tan lejos (2008)



El Cuarteto de Nos / Cuando sea grande (2012)


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