マガジンひとり

自分なりの記録

読書録 #19 — マッドジャーマンズ、ほか

2020-05-06 15:53:05 | 読書
エーリッヒ・フロム/生きるということ/紀伊國屋書店1977・原著1976
私は考える・眠れませんというより「考えを持つ」「不眠症を患う」という、動詞を名詞化して自分のなかに取り込むような語法は、従来仏教やユダヤ・キリスト教が強欲を戒めてきたのと逆に、産業革命以降に所有や蓄積を善であるとする考え方と軌を一にして発達してきた。そして資本主義に異を唱えたマルクスの思想も、時期的に資本主義発達の全盛期であったため、かえってソ連革命政権が独裁政府に変貌したように物質主義の延長にあらざるをえなかった。所有にとりつかれる不幸に警鐘を鳴らし、「to have」から「to be = ある」へという生き方の回帰を願ったフロムであるが、「人口の多さは望むところである」毛沢東・中国政権が経済的自由を与えつつ政治的に強く縛るのをはじめ、国や企業や媒体がさまざまな概念を掲げて人間自体を収集対象として競っているいま空しく響く。


ビルギット・ヴァイエ/マッドジャーマンズ ドイツ移民物語/花伝社2017・原著2016
ドイツ人ながら19歳までウガンダとケニアで育った著者が、モザンビークの社会主義政権から「姉妹国」東ドイツへ単純労働者として送り込まれた人びとに聞き取り調査を行った内容を3人の人物に集約して描く漫画。彼らを送り出していた当時のモザンビークでは内戦が続いており、帰国しても政府が60%天引きして預かっているとされた賃金を返してもらえず、家族はバラバラ。苦労のすえドイツ人になる道を選んだ者も。ときおり挿入されるアフリカのことわざと素朴な絵柄が深い感慨を呼ぶ。東ドイツはドイツ統一というよりは吸収されてしまった形のため、2万人ほどのモザンビーク出身労働者のことはドイツ本国でもあまり知られておらず、彼らの喜びや苦悩を社会主義ドイツの質素な暮らしと合せ生き生きと描いた本書は大きな賞賛を受けた。


松平誠/東京のヤミ市/講談社学術文庫2019・原著1995
闇(ヤミ)は公定(マルコウ)の対語で、戦時の統制経済により販売が禁止された物なら、みんなで渡れば(罰則など)恐くないとばかり何でも扱う市場として発達したマーケットがヤミ市。敗戦後の混乱で政府は半年ほど生鮮食品の統制・配給を止めたりしたため都市部の物不足は深刻化し、ヤミ市は都市住民と生産地を結びつける自衛手段でもあった。新宿・池袋・上野といった郊外へつながるターミナル駅周辺では需要と供給の双方から発達し、テキ屋を束ねるヤクザの支配も盤石ではなかった渋谷・新橋では勢力争いの銃撃戦が起るなど混乱、1947年夏にすべての飲食店が営業禁止となってからは焼酎と安いツマミを提供する飲み屋形式がヤミ市の中心に。一次資料が乏しい中で人びとの暮らしやエネルギー、建築物が密集する様子などが生き生きと描かれ、200ページほどの薄い文庫本ながら資料価値は厚い。


廃墟空撮写真集 蒼穹シアター1/Drone Japan2019
Youtubeチャンネルで120万再生を記録したという鬼怒川温泉の廃墟群をはじめ全国7ヵ所の廃墟を空撮した写真集。朽ち果ててしまってもなかなか自然と一体化しそうにないような昭和期の消費欲求のしぶとさ。全体の作りとしてはやや平板。


アンドリュー・ワイル&ウィニフレッド・ローゼン/チョコレートからヘロインまで/第三書館1986・原著1983
ワイル博士はホメオパシーの医師で薬草学者(元ヒッピー)。コーヒー・大麻・LSD・合法的な向精神薬、人の心に作用する薬物・嗜好品について雑学や経験談を網羅的に。医療用大麻を処方され、気分が「ハイ」になる患者はいない。コロナ禍に伴い「一流店のご飯を持って帰っても美味しくないぞ」。これから(一流店の美食を)酒を・タバコを・違法薬物を使うんだという自主的なセッティングと期待感が必要なのだ。薬物使用と乱用の境界でもある。人は誰しも自分がかわいいから、遊びに過ぎない、いつでも止められると思っているうちに溺れてしまう。私が本書を知ったのは「ミイラ取りがミイラになって死んでしまった」青山正明氏のブックガイドから。


久部緑郎・河合単/ラーメン発見伝①/小学館ビッグコミックス1999
ラーメンオタクはラーメンそのものの味よりも付随する細かな「情報」を求め、ラーメンをサブカルとして楽しむ。こだわりのラーメン蘊蓄から飲食店の経営ノウハウにまで踏み込む全26巻の1巻。何かというと挑戦状を叩きつけるだの勝負ごと=対決の構図に持ち込む少年/ヤング漫画雑誌の文法にウンザリ。読み始めてすぐに無理ってなった。グラゼニってのも野球で似たことやってるのかな。


フォビドゥン澁川/スナックバス江①/集英社ヤングジャンプコミックス2018
サレンダー橋本って人もいたな。ギャグ漫画の才能が光っていたが、大学生とか窓際族とかだんだん細かな差異に拘泥し、他人の目を気にして卑屈と尊大に引き裂かれるSNS的に自意識過剰な方向に定まってしまった。本書もまた「キャバクラは男の自慢を聞く場所であるのに対しスナックは慰めたり慰められたりシミジミする場所」としてSNSで切り取りやすいような脱力箴言やサブカル雑学を盛り込む。ギャグの腕は確かだと思うが、笑いにつなげるパターンが似通っているため1巻の半分ほどで飽きてしまった。


安部慎一/美代子阿佐ヶ谷気分/ワイズ出版2000・原著1979
70年代前半、ガロとヤングコミックを中心に抒情的な作風で熱心な支持を集めた著者の、後年に映画化された表題作を含む代表的短篇集。劇画ムーブメントのなかで現われた新人であったが、永島慎二の影響が強く、より自己陶酔的。70年代末には野卑なエンタメ路線に転向してエロ劇画誌に執筆、『僕はサラ金の星です!』に収められたこの時期のシュールな味わいも捨てがたい。80年代には統合失調症を患うも、郷里の福岡県田川市に腰を据えて寡作ながら執筆を続けており、再評価の進んだ2000年代には本書をはじめさまざまな作品集が編まれた。


樫村愛子/この社会で働くのはなぜ苦しいのか 現代の労働をめぐる社会学/作品社2019
やや生硬な筆致ながら「スクールカースト」「コミュ障」「もしドラ」「やりがい搾取」など諸問題に通底する、官僚制と結びついた資本主義が新自由主義(ネオリベ)化して若い世代を呪縛する構造を問う。朝井リョウの小説『何者』では大学生の就職活動が、未成熟な若者が勉強・スポーツ・趣味・バイト・交遊関係といった属性によって査定され、社会のなかに序列化される「若者のアイデンティティー問題」であることが明らかに。これは精神分析的な見方によれば「去勢の心理」であり、とくにわが国は「人に仕事を付ける=メンバーシップ型雇用」であるため、ヨーロッパのような「仕事に人を付ける=ジョブ型雇用」における若者の失業問題が起りにくい代わり、場の空気を読んで同調することが求められ、ただでさえ商品化された属性にアイデンティティーを求めざるをえない若者にとって二重三重の抑圧構造としてはたらくという。


赤坂憲雄/排除の現象学/ちくま学芸文庫1995・原著1991
ハライチのターンは投稿コーナーより2人それぞれ主導するフリートークが面白いという珍しい深夜ラジオであるが成功した投稿コーナーに「クソ寅さん」がある。岩井さんが寅さんの声色でリスナーからの人生相談に暴言で答えるというもので、彼はその後「お帰り寅さん」も映画館で見て大泣きしたとのこと。最初は歓待されるが、痛い人・変人ぶりが露呈し、美人とイイ仲になりそうでも結局は逃げてしまう、家庭に落ち着くなどありえない疎外された人。本書はその寅さんを皮切りに、ホームレス襲撃、イエスの方舟、ニュータウンでの自閉症施設反対運動など、ちょうどコロナ禍のもと日本に限らず集中的に起っているヘイト・差別・分断とも呼応し、それらが歴史・民俗学・心理学の面から考証されうる必然的な帰結であることを予見するかのようで驚かされる。
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