上皇豪美智子様が戦争中の一時期、鵠沼に疎開していたことを
私は、このブログで2回取り上げたことがあります
今回は3回目となります
美智子様が鵠沼に疎開していたことは知られていて、当然、伝記作者も知っています
ただ、気になる記述があるのです
それは疎開していた場所です
鵠沼海岸の日清製粉の寮だというのです
それは違います
美智子様が疎開していたのは鵠沼藤ヶ谷の正田家の別荘です
昔は、藤沢駅の近くに日清製粉の倉庫もあったようですから
鵠沼海岸に日清製粉の寮もあっのたかもしれません
でも、そこではないのです
父が語った、その場所は
江ノ電鵠沼駅の近く、線路より高くなっている西側だったということです
そこに日清製粉の総務部長(常務?)ワクイシュウマ夫妻が住んでいて
父が、そこで、夫妻から直に聞いた話です
「ここで、戦争中の一時期、美智子さんをお預かりしていました。」
まだ皇太子妃になられる以前の話ですが
私が、ワクイ夫妻は、美智子様をどんな呼び方をしたかと父に確認すると
父はしばらく考え、はっきりと「美智子さん」と言っていたと答えたのでした