無意識日記
宇多田光 word:i_
 



確かに、冷静に考えてみれば自分の聴く好みと作る作風と歌唱法には、そのままでは何の因果関係もない。しかし、大体やってるうちにアジャストしてくるものでもある。

基本的に、自分で作った歌を自分で歌えないというのはよくあるというか当たり前の事だ。壮年の男性プロデューサーが10代女性の歌を作曲する場合、歌える方がおかしい。自分では歌えないから代わりに歌ってもらう訳だ。いや彼女たちに歌ってもらう為に曲を書いている、という方が正確かな。

だとしたらHikaruも誰か他の人をプロデュースすればいい、となるが歌が上手すぎてなかなかそうはならない。幾らHikaruが自分の喉に合っていない曲を書こうとも、他の大多数よりはそれに合わせた歌唱を当てはめる技術をもっている。大抵自分で歌うだろう。

しかし、もしかしたらアイデアのストックはあるのかもしれない。ハナから「これは自分で歌うのに向いてない」と思えるメロディーや歌詞ならば、今までずっと日の目を見ていないケースも十分想定され得る。それがある程度溜まった暁には、誰か他のシンガーをプロデュースする機会がやってくるかもしれない。

多分問題なのは、混在していること、なのだろう。作曲者として、合う曲も書く、合わない曲も書く、ただそれだけなのだ。しかし、通常であればなかなかこんな事にはならない。アーティストのラジオを聴いた時に、リスナーの好みの曲が全然掛からないなんて事は、そのアーティストの音楽性に惹かれてリスナーになっている限りなかなか有り得ないが、宇多田ヒカルの場合、彼女の作品は盤が擦り切れる程聴いているのに熊淡で流れる曲はどれもこれもピンと来ない、という事例が往々にして起こり得る。しかも、ただの歌手ではなく自分で創った歌を歌っていて、である。

なので、熊淡で一度、「宇多田ヒカルの曲が好きな人にお勧めのこの一曲」特集を、もし組めるものなら一度聴いてみたいものだな、とは思う。果たしてそれはどんな選曲になるのか、いつもとどう違うのか、思惑は合致するのか擦れ違うのか、そもそもそんな選曲が果たして可能なのか、全く見通しがつかないし、そもそもそんなニーズがあるかどうかもわからないけれど、これを考えてみるだけでも熊淡を聴く時の頭の整理にはなりそうな気がする。理想をいえば、「ヒカルのファンだけどこの番組は合わないかな」と思っていたファンの気持ちが戻ってきてくれたら、と思ったりもするのだけどね。変な事を考えさせるシンガー・ソングライターだなしかし。

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熊淡5は、端的にいえば、今までの5つのEpisodeの中でも「Hikaruがいちばん素直に自分の好みを吐露した回」だったと言えると思う。それは、多分にその時の"気分"に依拠した偏りがあったであろうとはいえ。

特に、昔からフェイバリットとして挙げてきていたアーティスト、StingとNine Inch Nailsの2つについて、代表曲でも何でもない(ってのが今回のテーマだったのだからそれでいいんだけど)"I Burn For You (live)"と"Frail"を選んできたのは、「やっぱそこらへんだよね」と妙に納得してしまった。変な話だが、Hikaruの創ったオリジナル・アルバムたちより、この熊淡5の方がHikaruの好みをわかりやすく伝えてくれているように思う。仕事でやっているという意識が強いせいか、自分の制作の際にはプロフェッショナルに徹しすぎるのだ。それより、こうやってリラックスして他人の書いた曲を選んでいる方が、肩の力が抜けていて素直なように思える。いや私の思い込みに過ぎないのかもしれないけれどね。

そう思う中で、最後に"テイク5"を持ってきた意味を考える。今振り返ると、"Episode 5なんだからテイク5だよな~"だなんて余計な悔しさが込み上げてきたりするが、この並びで選ばれた曲がこれ、っていうのはどういう事か。これは、Hikaruの好みの曲なのだ。自分で書いたのだから自分好みに決まっているだろうと思いがちだがさにあらず。例えば私が大好きな"Can't Wait 'til Christmas"を、Hikaruは多分プライベートで聴いたりはしないだろう。まさにこういう曲こそ"プロフェッショナル"というヤツで、リスナーに聴いてもらう為に書かれた楽曲であるのだから。Hikaruはこういう曲も書けるし、こういう曲はファンが喜ぶから歌うのだが、ではHikaruの"好み"かといえば違う気がする。そういう話。


しかし…ここで私の独り言に拍車が掛かる。Hikaruの好みの曲調って、Hikaruの歌い方と合ってない。テイク5は随分うまく歌っているが、声質が合っているかというとそうでもない。それは、Passionでも同様だった。Hikaruの声質がバッチリマッチングする楽曲といえばそれは例えばPrisoner Of LoveでありドラマでありWonder 'Boutである。演歌にすら片足突っ込みそうなソウルフルな歌唱が彼女の真骨頂であり、星空のどこまでも染み渡るような歌唱を要求されるテイク5には必ずしも合ってはいない。私はそう捉えている。

そこをどう考えるかで、いつも悩む。その"ギャップ"を、Hikaruはどう考えているのだろう。彼女の声は、彼女の好みと必ずしも一致しない。そして、その歌声は、誰がどう聴いても「母親譲り」なのだ。演歌歌手藤圭子から、遺伝子的にも受け継いだその"喉"とHikaruの好みという"感性"。この、深く重くそして広いテーマについて、今一度考えてみようかな。次回に続くかどうかは、毎度ながらわからないが。

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先週のよくわからない小さめの混乱から明けて、今週からは平常運転かな? 昨晩のHikaruの英語ツイートはその肩慣らしのようにも思える。日々何気なく取り組んでいる事ほど、一旦離れた時には練習が必要だ。

何もなければ、これで大体元通りだ。照實さんが先週KH3で勘違いツイートをしたのは、しかしながら、ひょっとすると、Simple And CleanとSanctuaryに関する権利についての仕事が手元にあったからかもしれない、と考える。つまり、In The Flesh 2010について最後まで揉めるとすれば、Placeboのカバーか、この、Kingdom Heartsの絡んだ2曲かの話なのではないかと推測できるという事だ。

この2曲は数奇な運命を辿っている。S&Cは当初2003年発表の宇多田ヒカル名義シングル「COLORS」に収録された後、2009年発表のUtada名義アルバム「This Is The One」の後付けボーナストラックとして収録、Sanctuaryもそれに帯同した。ここには、レコード会社として当時のEMI JAPAN、EMI UK本社、更にUniversal Musicが関わり、ゲーム制作側としてスクエアエニックスとディズニーが絡んでいた。一体どんな処置を施してこのスパゲティを解いて発表に至れたかはわからないが、その後EMIがUniversalに吸収されたとしても、スクエアエニックスとディズニーとの絡みは無視できないものとなっているだろう。KH3の発表を控えている(当分先らしいが)のならば尚更だ。ここをクリアすれば約束の年内発売が可能になるかもしれない―そんな風に延々悩んでいる所にKingdom Heartsの文字が飛び込んでくれば、「そりゃもう関係あるよ。おおありだ。」と答えたくなっても仕方のない話
なのではないか。逆にいえば、今は全く「3」の話が来ておらず、故に箝口令など全く頭にない状態だったからこのキーワードに気軽に反応してしまったと考えられる。「3」のオファーが実際に来ているならば、流石に今回のような不用意な発言はしないだろう。

尤も、今回のツイートに対する英語圏からのリプライによって、如何にHikaruがKHシリーズで重要な位置を占めているかが改めて明らかになった。この声を噛み締められた事は、素直に収穫だったといえる。EVAの次回作だけでなく、KH3の完成時期も要注目である。

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@u3music: Yes. teruzane RT @daodlionheart @utadahikaru are you involved in Kingdom Hearts 3 theme song?

さぁ困った。今朝のざねっちのツイートである。HikaruがKingdom Hearts 1&2のオープニング&エンディング・テーマを歌っているのは有名だと思うが(私は未だにプレイしていないのでよくわかっていない)、それは「光」と「Passion」だけではなく、「Simple And Clean」と「Sanctuary」もなのだ。即ち、スクエア・エニックスとディズニーの合体という"事件"は、日本国内よりも海外に大きなショックを与えた。何度も削除されたので累計は最早誰もわからないが、キンハの主題歌部分の動画はいずれも何百万回と再生されていた。恐らく通算すれば、Come Back To MeもGoodbye To Happinessもかなわない数字になっていた筈。よって、Utada Hikaruにとって、Kingdom Heartsに関する話題は、最もデリケートに扱わなければいけないレベルのものなのだ。世界的にみれば。国内だとEVAだろうけどね。

それが、Hikaruに対する「あなたは(今年制作が発表された)Kingdom Hearts 3に関わっていますか?」というツイートに対してざねっちが「イエス」と答えてしまったのだ。これには流石に私も朝から焦った。

もしそれが真実だったとしよう。作品に対する重要事項についての発表に関しては当然箝口令が敷かれている。歌手のマネージャーという立場なら報道記者とは違い、誓約書や念書の類は交わしていないだろう。そんな情報先行してリークしようもんなら歌手自身もデメリットしかないからである。つまり、有り得ない。照實さんがそんなツイートをする訳がない。あの人今まで箝口令破った事なんて一度もないからね。そういう所はハズさない人だ。

今回のツイートに関して、最もありそうな結果は、"照實さんがナンバリングを間違えた"である。つまり、1&2の話と勘違いした、と。それなら答はYesだし、気軽にツイートしてあげられる話題だろう。親切が裏目に出ちゃったね、ちゃんちゃん、で終わればよさそうなもんだが、そう易々と問屋は卸してくれないんだなこれが。

確かに、流石にリークだった場合に較べれば影響力は少ないが、それでも間違いなく「疑惑」が残り続けるのだ。これは大抵侮れない。「ああ言ってるけど、実際は関わってるんじゃないの?」という会話が、恐らく正式発表まで延々と続く。そしてもし、本当にHikaruが歌っていたとしたら経緯はどうあれ今回のツイートは結果的にリークと同じ意味を持ってしまう。一方、もし他の歌手だとしたら明らかに迷惑がかかる。キンハにおけるUtada Hikaruへの期待は大きい。それが裏切られたとなれば…言うまでもないだろう。いやはや、困った。どちらにせよかなりヘヴィな謝罪は免れないじゃないか。


*****


それにしても、どういう事だろう。Sanctuaryの時あれだけ揉めて、もうディズニーとは仕事しないんじゃなかったのか。いやまぁそんな関係修復は時間と間に立つ人との関係性でどうにでもなるのだが。実際、Utada In The Flesh 2010も年内リリースかという所まで漕ぎ着けてきている。これは、ユニバーサルがEMIを吸収した事が効いている。でないとMax Holeさんの助力を得られなかった訳だからね。もしかしたら、当時の(実際にはこちらに漏れ伝わってきていない)イザコザの背景には、ディズニーとU3の関係性ではなく、間に入ったUMGの誰かに問題があったのかもしれない。直接関係はないかもしれないが、ベスト盤をリリースしてアーティストに文句を言われるような人(たち)が現実に居たのであるから。今現在、そういった障壁(と敢えて言ってしまおう)が取り除かれつつあり、従って三方の関係性に変化が見られるのなら、何か状況が変化したのだと考えられるかもしれない。なお、スクエア・エニッ
クスに関しては考慮に入れなくていい。んなもん宇多田ヒカルに歌ってもらいたいに決まっているだろ。文句を言うとすればちょっとEVA歌手としての定評がつきすぎた事で12年前とは空気が違ってしまっている事だが、それは言いがかりってもんだろな。


それにしても、タイミングも悪い。漸く2ヶ月ぶりにHikaruの肉声がラジオで聴けて、更に昨日新しくwww.utadahikaru.jpが立ち上がった所だ。私はまだ確認していないが、どうやらUTADA時代のカタログも宇多田ヒカルと共に掲載されているらしい。それでもしKH3の話が本当だったとすると(幾らなんでも有り得ないと思うがね)、これでは完全に「Utada Hikaru復帰モードに突入」の空気が出来上がってしまう。なるほど、KH3ならいきなり全世界規模でのプロモーションが展開出来る。EMIレーベルとワールドワイド契約を結んだ歌手に最も相応しい口火の切り方だろう。もし予定通り行っていたら華々しい復活劇になっていただろうに、なんか水を差しちゃったかな感がそこはかとなく…。これに関しても、それが真実であれ虚偽であれ、そういう発想をファンに敷衍した事自体が問題なのだ。あれ俺今こんなエントリー書いてそれの片棒担いでないか?(汗)

実際、こういう質問に対しては徹底スルーが常識である。「ノーコメント」というコメントですら勘ぐられる。ひたすら公式のプレスリリースのみに絞り後は亀の甲羅のように頑なになっておくべきだった。どちらに転んでも今回の照實さんのツイートは失言である。今のところ打開案は見付からないよ…

…「キンハ3の主題歌誰?」「YESだよ。JOJOのアニメでも歌ってたろう?」という冗談でした、で切り抜けられたらどんなによかった事か…。(ないない)

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引き続きutadahikaru.jpのページをチェックしてみたら、メッセの投稿時刻がずらっと削られている! ついでに曜日も。「移行作業お疲れ様」な気持ちに変わりはないし、手間を増やしてもメリットがないのはわかるが、コアなファンにとっては投稿時刻は案外重要なものなのだ。曜日は調べればわかるから削ってもいいんだけど便利か不便かと言われれば不便かな。

例えば2002年12月28日の4つのメッセージなどは、時間帯と時間間隔がわからないと、読み直してもイマイチ面白みが掴み難い。…とこう書いただけで「あの時の話かな?」と反応出来てしまう人間がここの読者には何人も居たりする。まぁそれは線で補完すればいい事なんだけど、あの出版以降のメッセージ、即ち、2009年から2013年、そしてこれからのメッセージには投稿時刻と曜日が表示されないのだろうか。特に声高に修正希望とかはしないけれど(こんなアホに付き合ってたら梶さんの身体が保たない)、やぱちと寂しい。

まぁそれでも不思議といえば不思議である。各種フィードや一部のTwitterクライアント、そすてスマホ版Twitterは、今や秒刻みで情報を伝えてくるのが日常になっている。そんな中で記事の投稿時刻を表示しないという選択は時代というか感覚に逆行しているような。

メッセージはTwitterなどとは違い、じっくり腰を落ち着けて読むものだから、という理由も頷けるが、例えば私にとってTwitterは、"リンクを踏む為の窓口"であり、結局消費するコンテンツはそこから先のニュースであったりBlogであったり動画であったりする。全く役割が違う、というか、Twitterとは「Message from Hikkiを更新しました」という告知をする為に存在すると言ってもいい。中間を媒介するという意味でまさしくメディアである。このメディア性と全世界を舞台にしたチャットルーム状態を纏めてひとつにして提供しているからこのメディアは革新的なのだ。

それに対する差別化の意味合いは、上記の通り、あまり鮮明でないといえるんじゃないか。グダグダ言ってるが要するに思い出の記録の一部が削除されて少しガッカリしているだけだ。何度か寝れば慣れるだろう、たぶん…。

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あ、ほんとだ。今朝のエントリーをみるとまるで福原愛が父の死を5年間ひた隠しに隠していたように読めるな。勿論そんな迷宮入りの殺人事件みたいな事はなく、彼女が父と絶縁したのが5年前、彼が亡くなったのが今月6日、それをマスコミに伝えたのが昨日の16日、という流れである。婉曲表現に凝りすぎて書いてる方が混乱したパターンだな…誤解した方がいらしたら申し訳無い。私が寝ぼけていただけである。

そう、いつも日記を書いている時は眠い。後から振り返っても「書いてる最中に5回は寝落ちしてたのにちゃんと纏まってて凄いな」と思う事多々あり。無論「しっちゃかめっちゃかだな」と感じる事はもっと多いんだけども。我ながら大したもんだ。これだけの量を書いてると、過去ログを読むだけでも相当の時間を使うんだが、取り敢えず読み返してみて「ほほー」と思える事が多いので、当分は続くでしょうなこれは。自分で何書いたかよく覚えていないのも、悪い事じゃあない。

ところでところてん。本日からUtada HikaruのホムペのURLがhttp://www.utadahikaru.jp に変更になった。本家のメルマガよりファンからのメルマガの方が半日も早いってそれでいいのか梶望、と突っ込みたくなったが今回はそれはまぁいいや。送る時間帯を考えて送ってる人だし、何か意図があったのだろう。何しろ、本来なら変えた瞬間におしらせできる筈なのだから。

http://utadahikaru.jpも取得しているようだがすぐにwwwの方に飛ばされる。携帯版も用意してくれていてほっと胸を撫で下ろす(だから実際は撫で下ろしてな//)。そろそろ世の中スマホ版タブレット/PC版しか用意されなくなっていく気がしてたので超ガラケー族としては嬉しい限り。いつまで維持してくれるかはわからないが、メッセが携帯で読めると知った時は非常に感動した事を覚えている。まだ当時は家にPCがなかったのだ。懐かしい。そういう思い出と共にあるので、Hikki's Website の携帯版には思い入れが強いのだ私。尤も、確か2001年の元旦からか何かだったんだよね…今はもう【祝・開通ぅぅぅぅ!!!】から全部読めるみたいだけど。てことはこれ完全に「線」の電子書籍版だな。本末転倒な物言いだけどさ。

URLの変遷ひとつとってもそこには歴史があり思い出があり思い入れがある。手書きのURLを渡し合ったりQRコードの便利さにびっくりしたり、短い(といっても15年近くなるんだが)間に随分と様変わりしたものだ。メッセのURLもU3MUSICに引っ越ししたりしたので昔貼ったリンクは今や機能しない。長年ファンサイトやってる方としたらたまったもんじゃないが(いや貼り直し作業なんかやってないから言いがかりなんだけどねw)、遂にこれでURL変更も終わりかな。今後結婚したとしても前回のように芸名はそのままだろうから…これは、"宇多田ヒカル"の、そして"Utada Hikaru"のURLとなるのだろう。またこれからこのURLと共に思い出を作り思い入れを深めていくかと思うと今から感慨深い。相変わらず気ぃ早過ぎやおまえ。

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昨日各社に配信されたという「福原愛の父逝去」の報は、当然ながら私も知らなかった。選手には興味はあってもその家族までは…とは思っているが、現実として身内が競技に深く関わっているケースは珍しくない。石川佳純のベンチコーチも長らく石川母である。そんな中で5年も前の話がここまで漏れなかったのは異様だが、何か知られざる事情があるのだろう、それを詮索する気はない。

有名人になると家族親族との関わり合いは難しい、とありきたりな一般論から口火を切ってみよう。福原愛は、3歳の頃からマスメディアと付き合ってきていて、ほぼ途切れなく応対を続けている。従って、競技もベテランだがマスコミ対応もベテランだ。常日頃から学べる所は非常に多い。

今回の報も、5年間隠し通せたというのは、何らかの"やり方"があったに相違ない。少なくとも"公表しない"という選択はなされた。何もかも報せる事がベターではない。また、こうやって自発的にソースを発信する、というのも重要だ。尤も、多くの場合はどこかしらにリーク記事が掲載されるかもしれないという事前情報をキャッチしてそこで先手を取る必要が出た、というのが事情だったりするのだが。

そう、先手。今回の宇多田家周辺の親族(といっても登場人物1人だけど)への対応で何かまずかった点があるとするならそちらだろうか。彼がマスメディアを利用する事が事前に予測出来たのなら、先にこちらが事実関係を整理したリリースをマスコミに発信するのもよかったかもしれない。そうすればこんなに食いつかれる事もなかったかな。

勿論、現実には精神的にも物理的にも無理だっただろう。何の前触れもない死に直面して最初にややこしい親戚の話にアタマを回せる人など居ない。何より、事前にどんな嘘をマスコミに対して吹き込むかなんて予想がつかない。メッセージがざねっちの書いたものだとか…流石に斜め下過ぎてその発想は思い浮かばないわ。従って、やっぱりどれだけうまく立ち振る舞おうともこんな感じになっていただろうな。

それにしてもこのタイミングでラジオとはタイミングがよかった。記事も昨日今日に限ってはラジオの話が中心となるだろう。今私が持ち出すまでこの話自体忘れていた向きも多かったのではないか。やはり、情報の先手感は何にも増して重要である。それを痛感した1日だった。

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毎度ながらどこから書き始めたらいいかわからないのでディテールの話から行こうか。

えぇっと、正式な特集名は『有名アーティストの、代表曲じゃないけど私がいちばん好きな曲特集』だそうな。録音聞いて確認したからこれで大体正確だろう。しかしなんとなく歯切れが悪いというか腑に落ちない名前である。何がいけないか。

これは、意味が一意に定まらない。二通りの解釈が出来てしまう。

ひとつは、

・有名アーティストの有名な曲は勿論好きなんだけど、あんまり有名じゃないものの中でも私が好きな曲は沢山あって、更にその中でも私がいちばん好きな曲

という解釈。最初にタイトルを聴いてなんとなぁく頭に思い浮かべるのはこっちだろう。しかし、厳密に言えば、次の解釈の方が"より整合性が高い"。

・私のいちばん好きな曲が代表曲じゃないアーティスト特集

つまり、エルトンやプリンスやスティングは、それぞれのアーティストの楽曲群に於いて私がいちばん好きな曲が世間で言う代表曲にあてはまらなかった、だから今回取り上げたけど、クイーンだったらボヘミアン・ラプソディがいちばんだし尾崎豊だったらI Love Youがいいしポリスだったらロクサーヌが好きだから、つまり彼らの場合は私のいちばん好きな曲は世間で言う所の代表曲だから今回の特集では取り上げられない、という感じになる。なんか文字にするとややこしいが、言ってる事はシンプルなのでもう一回読み返してみてください。

(なお、ホントにボヘミアンラプソディやI Love Youやロクサーヌがいちばん好きな曲かどうかは知りません。単に仮の例として出してみただけだからお間違え無きよう)

さて、どちらの意味で今回Hikaruが特集を組んだのかといえば、前者の意味だとすればなんかそうでもない、特にThe Beatlesなんかは「あらゆる有名曲をさしおいてなおこれがNo.1」なニュアンスで語っているし、エルトンも調べてみたら全然マイナーじゃなかったと言ってるからにはそこを変えられなかった訳でやっぱり後者の意味で特集を組んでいるようにも思えるが、本当に後者の意味で自覚的に特集を組むとすれば私が書いたように「~なアーティスト特集」と言った方が収まりがいい。どうにも、どちらの意味だと解釈しても歯切れが悪い。Hikaruも、もしかしたらあんまり考えてなかったのかもしれない。

しかし、そんな事は重要ではないのだ。今回大事だったのは、番組全体で「ひっそり感」「片隅感」を出して、厳かにしとやかに静かにそれとなく追悼ムードを出す事なのだから。いや、正確にいえば「いまのHikaruの気持ちがそのまま出るように」、なんだけど。兎に角、その空気を出す為には「隠れた名曲」特集をやるのがいちばんだった、それだけの事である。細かい論理的な話なんぞしなくていいのだ。エントリーまるまる全否定して締めるって新しいな。ま、いっか。

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いやまぁ四十九日も過ぎてるんだしそんな無茶なスケジュールでもなかったので約束していた1時間枠の番組制作をこなしたというだけで何ら特別な事でもないんだがやっぱり心境的には特別感が強いので、なんというか、いやま無事に何もなく放送されてよかったなとホッと胸を撫で下ろす次第。こう書いた時に実際に胸を撫で下ろした試しは全く無いんだが。

さて内容だが。正確には何つってたっけ、忘れちゃったけど結果的には「メジャーなアーティストのマイナーな名曲」特集になってたかな。しかし、それは表向きのテーマで、要は今のHikaruの気分にそぐう曲調の曲ばかりが選曲されていた印象。その為、ジャンルはいつも通り多様ながらいつもと比較して随分と統一感のある番組となった。極端に言えば、DJは冒頭だけ登場してあと1時間シームレスで曲だけ流しても違和感がなさそうだ。トーク部分というのは意外に重要で、例えばいつもの番組をHikaruの喋りなしに聴いたら結構唐突な展開が連続するだろう。しかし今回は違う。こういう流れだというのが音だけでしっかり出来ている。311の際ラジオ局がシリアスな曲だけをひたすら流し続けていた事があったが、その時の空気を彷彿とさせる。

Hikaru自身は「何曲か死を扱った歌があるけれど意図した訳じゃない。たまたまそうなっただけ。」と言うが、Hikaruの場合"意図"にどれだけ意味があるのかよくわからない。(そういう先入観があるから聞き間違えて逆の意味にとってしまったんだが≦俺) 果たして結局、これだけ番組が"追悼"の色合いに染まってしまったのだから、今のHikaruの気分はまだまだ"追悼"なのだろう。まだまだっつったって割合が減るだけで追悼の気持ちはずっと続いていくんだけどね。

意図していない、というポイントが効いてくるのは、そういう無意識のプロセスを経る事で今のHikaruの気持ちを炙り出せる事、それは即ち、表現が"素直"である事を保証する。もし先に追悼を意図していればそのコンセプトに引っ張られる。縛られる。それを避ける為には敢えてその縛りを設けない事が肝要になるのだ。その結果が今回の選曲であるのならば、Hikaruの癒やしのプロセスは、まだまだ始まったばかりといえるだろう。ゆっくりぼちぼち、いきますか。

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あーもうあと2時間か。長かった。いやほんま。この2ヶ月は何だったんだ一体。

Hikaruが直前納品になったのは、四十九日もあるが、後はしっかりリスナーの空気を捉えて出来るだけタイムラグを作らないようにした、という配慮もあるのかもしれない。いつもの番組構成だと(と言う程回数を重ねてる訳でもないが)、古今東西の音楽から分け隔てなくテーマに沿って選曲する感じだから、タイムレスというかオールタイムというか、いつ録音していつ放送しても違和感のない内容だった。月イチ番組のよさを活かした感覚である。

しかし、今回ばかりはそうもいかない。「あれから2ヶ月弱」或いは「あれから8週間弱」というこのタイミングが大事なのだ。それを踏まえてのオープニングトークとなっている事だろう。是非私はHikaruをはじめとしたタイムラインに居る連中に対して「やーい泣き虫どもプギャー(^血^)9」的なツイートでもして顰蹙を買いたいと思う。ようわからんけど。

それと同時に、先程奈須さん(InterFMのチーフ・プロデューサー。ラジオのむっちゃ偉いひと。)が「素晴らしい選曲」とツイートしていたようだが、しっかりと本来の「音楽番組としての体裁とクォリティー」を堪能させてもらうとしよう。Hikaruが独力で作ったラジオ番組である。選曲や構成やトークなどをしっかりと味わい、その上で評価させてもらおう。親が死のうが身内と絶縁してようがプロはプロ。情に流されずに冷静に耳を傾けたいと思う。


…ってひとがしかつめらしいこと書いてる時になんだよスーパークマンのクマンブレラって…雷鳴り始めたらスパークマンに変身してクマンブレラはクマンデリアにバージョンアップ、世の中を隈から隈まで("隅から隅まで"ではない)明るく照らすとか馬鹿言ってんじゃないよ…って俺は一体何を書いているんだ…

いつものノリに戻ってますよアピールが白々しくならない程度には冷静なオープニングトークが録れたんかいな。そんならいいんだが。RT数も他のツイートに較べて図抜けて多いなスーパークマン…。

オチまで待ってたら時間が足りなくなってしまうので纏めると(今3コマ目)、この悴んだ2ヶ月間が漸く今夜、ほんの少しだけ溶けるのだ。マスコミや身内をあしざまに言うHikaruなんて見たくなかったという向きもあるだろう。しかし、そういうプロセスにあってもHikaruは自分を保ち、必死で支え、精一杯前に進んできたのだ。そのプロセスの上での今日の放送・選曲であるという点だけは肝に銘じておきたい。

そして発表された4コマ目で笑顔にさせられちまった俺。あーあ、かっこわる。いつものノリだよ、これ。(笑) http://twilog.org/utadahikaru/date-131015

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ほぁ。

当日朝納品でも構わない、と何度も書いてきたけど実際にやられるとスリリングじゃな。InterFMの担当者の人は気が気でなかったんじゃなかろっか。兎も角、これで一段落。力抜けた。

まだまだ放送まで予断を許さないが(こんなギリギリなので、問題がないとも限らない。放送コードとかね。)、ひとまずそこは中の人に委ねよう。後は心を空っぽにして放送を待つだけである。やれやれだぜ。

ギリギリになった理由は色々考えられる。四十九日を待って収録を開始したとか、実は泣いちゃうのはずっとで今回最後にそれを呟いてみたに過ぎないとか。本当にキツかったら呟こうとも思わないかもしれないし、本当にヤバくなったから呟いてでも励まされたかったのかもしれないし、実に何とも言えない。

しかし、ほんにどんな内容になっているのだろう。想像力がはたらかない分、不安が増すというか。ひとまず、お疲れさまと言いたい。

Hikaruの納品告知タイミングからすると今はロンドンか?だとしたら今夜の放送は聴けないかもしれないな。いや本人はマスター持ってるんだから放送時間になったらそれを同時再生してあとはTwitterを眺めてりゃいいか。流石に例の"本人実況"は難しいかもしれないし、いやそれどころかもう聴きたくないとも思っているかもしれない。内容次第だな。

それでこのタイミングで(InterFMの放送地域である)関東付近に台風接近中ってどういう事なの。まるで狙い計ったかのように。関東人みんな涙の号泣注意報ってか。なんだそりゃ。ピークは明日の午前中らしいが、天候とシンクロされてはスケールの大きさにあんぐりしてしまうわ。

うむ、もうあんまり余計な事は書かない方がいいな。次回今夜の当日記の更新は白紙かもしれへん。停電がないようにひたすら祈るだけというか。あとは番組中にニュース速報を入れざるを得ないような事件・事故が起こらないように祈っておくか。いや別に放送時間外も祈ってるけれど。

それにしても一大イベントだな。どうなりますことやら。はらはら、どきどき。

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Kuma Power Hour with Utada Hikaru Episode 5の放送27時間前となる2013年10月14日19時現在、未だ納品報告なし、と。まぁいいじゃないか。Wait & See ~リスク~のPVをHey! Hey! Hey! Music Champ で放送した時も残り24時間を切っていたというし、受け取る方もプロである。何とかしてくれるだろう。

今朝の時点でロンドンだったのならあの後悪戦苦闘した挙げ句結局完成せず不貞寝、というのがいちばんありそうなセンだが、一晩寝て起きたら気分も変わっている事だろう。夜の番組を朝録音というのもどうかと思うが、散歩のひとつでもして美味しいものを食べて気分転換、そこからマイクに向かう位がちょうどいいだろう。いや今頃もう編集をしている頃かな…?

大体、こっちからすればかなり遠い人、しかも随分と姿も見ず活躍もなかった、言わば殆ど接点の無かった人が亡くなっただけなのだ。それも七週間も前に。その間にも地球上ではいろんな人が死んでいっている。自殺だってあるだろう。何も特別な事じゃない。もっとも、どれだけありふれていようが、悲しい出来事は悲しい出来事のままだけれど。

何が言いたいかといえば、リスナーの殆どは藤圭子さんが亡くなって落胆しているのではなく、いや、してるんだけどそれは主な感情ではなく、ただ単にヒカルの事を心配しているだけである。つまり、我々の気持ちなんてその程度のものであり、ただただ受け身なだけである。Hikaruがそうならそうなんだろう、以上の事は何もない。まだまだ深く落ち込んで塞ぎ込んでいるなら「無理もない」と思うだろうし、立ち直ってまるで何もなかったかのように振る舞ってくれれば「元気になってよかった」とか「空元気で無理しちゃって」とかそれぞれに好き勝手に言うだろう。それだけの事である。泣いて言葉にならないのなら、そう言えばいい。「何を言えばいいのかわかんない」と。後は曲かけときゃいいんじゃないの? 311の時はラジオも特別編成で、DJすっ飛ばしてひたすらシリアスな曲掛け続けてたりしたよ。要は、あんたの番組なんだから、好きなようにすりゃいいし、何をすりゃいいかわかんないなら、それこそ何でもいいんだよ。自分の曲かけてもいいしお母さ
んの曲かけてもいいし、クラシックで埋めてもいい。モーツァルトのレクイエムフルで掛けたら何分だ?一時間くらいか?タイトルも長さもちょうどいいじゃん。うーむ、何の番組かわからなくなるけれど。

…なんで俺が焦ってんだ(苦笑)。もう時間がないからだろうな~。どうすりゃいいか、って何やっても正解なんだよ。ただ、何もしないってのが正解かどうかはちょっとわからん。そもそも正解を選ぶべきかどうかも知らないんだけど、どっちかわからないなら正解の方でいいんじゃない。別にもう守るものもないでしょう。友達も守ったし父親も守った。後は放送しますっていうラジオ局との約束を守ればいいんでしょ。まぁそれが辛くて大変なんだけど、ラジオ番組の枠一時間貰ってるってのはこちらからみれば結構羨ましい事態だという事は、お忘れなきように。いやまぁそれはどうでもいいんだけどねぇ。

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朝からやかましいわ(笑)。こんな時間に収録話ってつまり今ロンドンか。NYだとちと早いかな。まぁそんな所だろう。いや日本でもいいんだけど「夜中に手紙を書くべからず」という中二病患者の金科玉条に則りそれは許される話ではない。それじゃあ泣くって。

放送2日前に未納品とは昔なら焦る所だが「デジタルなめんな世代」からすりゃどこ吹く風である。あとはマスターを過程で紛失しない事を最優先に事を進めればいい。ラジオ番組の"最低限"は、60分が音で埋まっている事だ。無音部分は放送事故だと煽られるからね。番組の質云々の前に、放送してもらわなければ始まらない。酷い出来ならいっそ休んだ方が…ってのは代わりがすぐに見つかる時に言う事。今回は代わりは…どの番組でも再放送すりゃいっか。あらそうだわね。

オープニングを最後に録音する、というパターンは往々にしてある。全体を概観してから初めて言える事もあるし、それが導入部ひ相応しい事もある。Hikaruは編集者なんだからそれは好きにすればいい。まだこれが録り始めだったら…急げ(笑)。編集している時間が、ない。

それにしても「もう全然大丈夫だと思ってた」って(笑)。んなわきゃないだろこれは一生続くんだよ。それに対しての対処法を得ていくうちに"大丈夫になって"ゆくんだから"思ってた"だなんて無確信な状態で解決する訳がない。でもラジオなんだから泣いときゃいいんじゃないの。「こんなんじゃ全然収録進まないよぉ」言うて泣いてるうちに尺埋まるで。そういう素の記録、ドキュメンタリーに価値が高い事もままある。まぁ収録と編集が間に合わないんだったら生放送だな。しかしこれはニコ生やユーストと違って準備が要るから難しいかなー。

それにしても、@utadahikaruからリプライを貰って祝福されるのは毎度の事なのだが、賛辞と感謝が浴びせられるって珍しいな。キャリアの違いだな。俺も人の事言えんのだが。

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1983  


今週も勿論Kuma Power Hourを聴いていたのだが、結局何も書けなかった。歌詞を覚えるかの如く「次にDJが何を言うか総てわかる」状態になっても、やっぱり聴くのが楽しい。Hikaruが楽しそうだからである。仕事なんだから楽しくなんかない、というのも勝負事ならば納得だが(福原愛が「私はここに楽しむ為に来たのではありません。勝つ為に来たのです。」とかって言ってたなぁ。)、エンターテインメントを提供するプロフェッショナルなら、偽善でもいいから満面の笑顔をこちらに見せて欲しいものだ。人はやはり、楽しそうな人を見ると楽しくなる。七森中ごらく部の定理である。なんだそのネーミングは。

ラジオから流れてくるHikaruの声は楽しげだ。何だかまるで『あなたの瞳に映る私は笑っているわ』みたいな感じだが、それだけに、来週の放送でこちらが「楽しそさ」を求めるのは酷なんだよなぁ、というずっとわかりきった結論に落ち着く。何喋ればいいんだろ。どんな顔すればいいんだろ。「笑えばいいと思うよ」だなんて、わからな委員会でもない限り言えないっすよ。直球表題ロボットアニメ面白かったなぁ。

やっぱりお母さんの思い出話を、チビチビ飲りながら語ってくれるのがいちばんなんだが、それはまだ今のHikaruには早いか。或いは、四十九日を待って、漸く気持ちを切り換えて状況を客観的にみられるようになるまで収録を待ったのかもしれない。なぁにラジオの納品なんて今の時代当日でもOKである。デジタル舐めんな。今Hikaruが頑張って収録&編集中でも全く構わない。「てさぐれ部活もの」なんて音声収録してからアニメーション作ってんだから。デジタル時代は恐ろしいのだ。それは今は関係ないか。

Hikaruの曲には、WINGSに代表されるように、時々80年代臭というか昭和臭というか、あの時代の匂いが漂ってくる。そこらへんのセンスを垣間見せたのがEpisode4の「なんとなくインディーズ特集」で、結構最近の人たちも選曲されていたのに何故かあの麗しき80年代テイストを前面に押し出した曲調が多かった。私が1人で勝手に言っている事だが、どうにも人は、その頃聴いていた訳がないにもかかわらず、「生まれた頃の音楽」に懐かしさ、居心地の良さを感じるように思う。即ちHikaruからすればそれは1983年頃…いちど、熊淡で「1983年特集」でもやってみてくんないかな。この頃のヒット曲って何があるっけ…日本だと…おぉ、「1983年のヒット曲」でググったら出てくるわいろいろと。ちょうど市場が端境期な感じで、演歌も歌謡曲もアイドルも童謡?も満遍なくヒットしている。しかし、後にJ-popと呼ばれるようになる和製ポップスに関してはまだまだだろうか。J-popといえば平成の音楽というイメージがあるが
、この頃はまさに昭和にどっぷりと浸かり込んでいる感じ。いやはや、懐かしい。

昭和臭といえば今度始まったアニメ「キルラキル」の昭和テイストが凄まじい。ど根性ガエル(うわどこんまで打ったら予測変換出やがった)のパロディとか完全に俺得じゃないか素晴らしい…


…って何で今夜は間にちょくちょくアニメネタ入れてるんですかね私。わからん。わからない人、すいませんでしたm(_ _)m

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横顔  


昨夜照實さんがUPしてくれた写真が素敵だ。颯爽とした横顔とゴリラのぬいぐるみ。スポーツカー&スカーフwith手にアンパンに通じるアンバランスさだが(?)、簡潔にこの人の人となりを表している。Hikaruが観たら泣くんじゃないかこれ。

小さい頃ゴリラのぬいぐるみと戯れていた身としてもあんまり他人事の感じがしない。6歳の頃のHikaruはドラゴンのぬいぐるみと戯れる親を見て「いい大人が」と思ったらしいが、その後は自他共に認めるように「血は争えない」状態になった。親子とは不思議なものだ。別の個体でありながら、何か繋がりがあるような、ただ似ているだけではないものもありそうな、でもやっぱり違う人のような。全く血縁関係のない親に育てられた人たちも感じる事なのか、これは実際に生む母の立場からみてみなくちゃならんのか、いろいろと考えたくなることやまほどなのだが兎に角これで四十九日が終わり、忌明けである。己の心を取り戻す時期が来た。

手作りっぽい雰囲気が漂うとはいえ、法要というからにはHikaruも参加していてよさそうなものだが、はてさて。喪主だしな。傍に居たかどうかを真っ先には言及しなかった照實さんの判断を尊重しておこうか。いつまでも引きずってはいられない、いや、違うか、ずっと引きずっていくから形だけでも区切りをつけないと、という事か。それは、まだ生きている自分の為でもあるし周囲の為でもある。しかし、形式は形式だ。我々がそれに縛られる必要もない。メディアが報じる時だけ何か言う人たちとは違い、僕らは今までもずっと彼らの事を想っていたし、これからもそうだろう。普通に、毎日々々の心の動きを丹念に辿ればいい。それをするならば、形式に囚われなくとも過ごしていける。Hikaruの癒やしのプロセスはまだ始まったばかりである。

それと同時に、今まで何度か書いてきた事であるが、今のHikaruは相当に強い。ただ癒されていくに任せず、少々強引でも前に進もうとするだろう。我々は特に何をするでもなく、普段通りに接すればいい。みんなでこうして在りし日の純子さんの横顔を見れたのだから。でもこれ、「似てるけど別の人でした」ってオチはないよね?(笑) それはそれで、楽しいけどね。

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