無意識日記
宇多田光 word:i_
 



を読み返していた訳だが、何ともいえぬ不思議な感じがした。アレ?こんな文章だっけ、と記憶にないディテイルを見る度に思い、然し記憶の印象と異なるからといって現前文が私を落胆させる事は全くなかった。よい文を書く人だ。ソレは今も昔も変わらない。私は点をまだ辞書代わりにしか使ってないし、"Webで読めるのだから"と購入してない人も多いだろうが、やはり読んでみるべきなんだな。取り敢えず光には、あんまりメッセ更新しなさ過ぎると10年後の『線2』が凄く薄い本になっちゃうかもよ、と今1度念押ししておく。イヤ私が新しいメッセを読みたいってだけなんだけどw

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我々既に感覚が麻痺しているがコレだけのアーティストがデビュー記念日に何の商売もしないのは驚異的だ。ソレ所か10周年の時など無料着うたを自腹で配ってしまう始末。何もかも光のアーティストパワーあってこその自由だ。こんな"楽園"を作っておきながら当人は誇るでもなく開き直って休むでもなくいつのまにか仕事を進めている。恐らくこのマイペースがパワーの秘訣なのだろう。綿密な長期計画で能力を勤続疲労させるより自然な流れに任せ働く時に働く方がよい曲が出来るのだ。メッセのマイペースぶりも告知等に余計なエネルギーを費やすのは創作の妨げになるからだわな当然の事乍ら。

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09年TheBeatles再発祭は凄かったが、今日はもうジョンレノンの命日か。明日がヒカルのデビュー記念日である事を奇遇と思うか否かは貴方次第だけれど、光自身は特別な感慨を抱いているのではなかろうか。昔TAKUROとNYで20回忌イベントに参加した事があった。詳細は20001218メッセを参照して欲しいが、携帯版メッセページは01年初頭開始(ちな!みにURL最後のページ数値は22)な為存在しない。然し「"ヒカルのデビュー二周年記念日"」で検索すればPC版を携帯から読めるので是非読む事を薦める。彼がシンガーソングライターにとって、如何に偉大な人物であるかがよく判る(光、ミーハー丸出し(笑))。

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今の光の髪型は何と形容すべきか。今の所"南ちゃんカット"か"聖子ちゃんカット"あたりがウマイな、と思ってるがさてツアーもこのままなのだろうか。衣装替えやウィッグ等舞台上で演出するなら応用の効くショートの方が、とかは素人考えなのかな。ヒカ5時はサラサラロングを靡かせて唄っていた訳で、でもその時はギミックナシの音楽勝負という印象だった。まぁロングはキリヤンのシュミだった気もするが。兎も角、切るだけなら今後いつでも出来る訳だから今云々しても仕方ないんだけど髪型1ッでライヴの方向性がかわる(或いは、わかる)というのなら次のアピアランスでもソコに目がいってしまいそうだな私。

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DDのリミックス3種の45秒サンプルが(私には身元不詳の)Webページで公開中。原曲からして"トリッキーリミックス"風味な為、リミキサとしては料理し易い素材の様だ。原曲のイメージを決定づけるスネアパートはやはり3種ともハズしてるかな。注目はDJRizzoの手際だが正直この45秒では判断つきかねる。彼はツアーに帯同する予定な訳だが、例えばヒカ5のサングラスの様に光の喉を休める為に、丸1曲彼がUtaDA曲をリミックスするインターミッションを設ける、なんて事も考えられる。DDであれば間奏部をストレッチする役割を担うかもね。何れにせよDDはツアータイトル曲にあたる訳だから聴衆は一工夫したアレンジを期待する事だろう。

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今朝の投稿はおやすみになります。ご了承くださいませませm(_ _)m

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TiTOにライブを意識した歌詞が如何に多いか見てみよう(訳は私)。O&Oは"DJと踊り明かそう"という歌だし、FYIには"ショウを乗っ取る"、A&Cには"この歌を唄うなんて"と各々ストーリーに即して主人公が歌を唄うと匂わせる場面がある。ThisOneにはミュージシャンの名が散見、2h15sは"本編とアンコール"の事かな。音楽家である自分の紹介曲オートマ2は言わずもがなだしDDはラストに"ビート復活!"と宣言する。Poppinの掛け合いを会場でやってみたいと思う人も多いだろう。07年9月のミーティングの時点で『今度のアルバムではキッチリツアーもやりたいですねぇ』という話が双方から出ていたと推測される。

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誤解されてしまうのは、役者がヒットドラマの役名で声を掛けられるのと同様昔ながらの出来事だ。その後のヒット曲人気ドラマでの活躍を通して自らの名を浸透させていけば作品中の"役"から解放されてゆく。この点でもヒカルはデビュー時から特異であって自身の登場自体が世紀末日本最大の物語となった為、タバコのFlavorが問題になる位詞も人も含め全体が連動する事態となった。光も中毒以降その点は心得ていて、Exodusの時は自らのUSデビューが物語の幹になり詞にもソレを反映した。するとTiTOは、ライヴ重視の姿勢が07年末から脈々とあるのではと思ってしまうのだがさて。

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常に現役で新曲を作る歌手はツアーの度新曲の割合に頭を悩ませる。光の場合ボヘサマは曲不足、ヒカ5は卑近の新曲COLORSから1年という逸機の為、何れも"新譜を伴うツアー"の雰囲気はなかった。UU06は漸く新譜UB後の興行となったがコンセプトが"集大成"だった為選曲はベストヒットであった。ITF10は、その意味でボヘサマに最も近い位置づけになるが、DDをシングルカットするとなると俄かに新譜TiTO中心の雰囲気に移行する。このダイナミズムが齎す影響は大きい。今迄ライブといえば"スペシャルなもの"だった光が、曲作りと同じ"日常の感覚"で今後ツアーに取り組んでいく可能性が出てくるのである。

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なのを見るにつけ「つ歌の難易度」というコメントを加えたくなる。あの歌、カンタンよ(比較的)。何故光が生放送で緊張するかといえば、レコーディングを通して如何にワンテイクで自分の歌を歌いきるのが難しいかを痛感してるからだ。今回はMikaとコミュニケーションを取りつつ詞もうろ覚えで歌う気楽な客演で、適当になってる所も多々あるのだが、サビで確り見栄を切っているのでソレで全体の印象がよくなっている。光の書く歌はメロディで埋め尽くされている為手を抜くと途端に印象に直結する。集中力と記憶力を総動員して歌う必要のあるUtaDAの歌ではまた別の話となる筈なのである。

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散漫とか思われがちだが、光の場合ソレがない。メロディに特徴があり唱法も一定のスタイルを確立していてアルバム1枚キャリア11年通して1本シッカリ筋が通っているからだが、実は云う程強い個性の唱法ではない。アリーヤをはじめとした光の好きなシンガー達の歌を聴けば如実だ。ただ、以前述べた様に"日本語でこう歌った"のは光が初めてだろう。裏を返せば英語のUtaDAが歌唱力で注目される割合は減る訳だ。"日本人なのにこんなに唄えるなんて"という関心はやがて消える。寧ろ作曲家として"こんな曲にそんな歌唱が乗るとは"と云わせる曲が書けるかどうかが今後の鍵となるだろう。

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収束しオリジナルを越える事が難しくなってゆく。立脚点にする位の気概が必要だが技術的に追い付くだけでも大変だ。リトルリチャードよりチャックベリー、レッドツェッペリンよりAC/DCの方が後続に与えた音楽的影響がシーンの中で見え易いのは、個々の技量に頼る必要のない"型"を見いだした点が大きい。この理屈でいくと型に全く固執しない宇多田ヒカルは"当世一代限り"となる可能性が高い。孤高のケイトブッシュですら音楽的ミームの一部として後続達のサウンドに影響が息づいてるのが見てとれるというのに。光の個性が他者の音楽の中で踊る様な事態や時代は、果たしてやってくるのだろうか。

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しているが、彼が完成品としてのクイーンサウンドに魅了されていると思しき(音知らないので推測で言ってます)一方、光は彼らのルーツを踏まえて好んでる気がする。Animatoでフレディの名をプレスリー&ツェッペリンと並列した事も、勿論実際にDVDを観ていた事もあるのだろうが、少なくともこの時はロック史上の文脈の中でフレディと歌っていたのではないだろうか。クイーンの魅力は荘厳華麗にして軽妙洒脱な変幻自在さだったが、光がフレディに見ていたのはセンシティヴ&ソウルフルなロックシンガーの真髄の部分であった筈。なのに昨夜はややシアトリカルな歌唱を聴かせてたみたいだから面食らってんだけどねw

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LetItSnowを歌った模様が既にツベにUPされている。昨夜ライブで"UtaDAを演じる"話を書いたが、ココでの光の歌唱は"芝居掛かってる"といえようか。隣が細声のMikaな上今迄種々のアプローチが試されてきた曲なだけに今の光の声量が際立つ。コレでツアーの色を占うのは早計だけども。所でこの曲、メロディは知っていても誰がオリジナルで歌ってたかサッパリ知らん。歌手の名が埋もれても曲は生き残るという理想。光がステージに登場した時の歓声は毎度の事ながら規格外だった様子だが、いつか登場時より歌い出しの方が歓声が大きくなる日が来るのだろうか、とチョッピリ考えてしまった。

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