『道』は、ヒカルからすればリスナーに「おかえり」を言う曲だ。
一ヶ所は、恐らく意図的に配したフレーズだろう。
『悲しい歌もいつか懐かしい歌になる』
ここを聴いた長年のファンの中には即座に
『今はまだ悲しい love song 新しい歌 うたえるまで』
という『First Love』の一節を連想した人も居たに違いない。
勿論、悲しさの質は違う。失恋と喪失では失うものとそれに伴う悲しみのレベルが違う。「悲しい歌」をそれでも歌ったり、更に新しい歌を作り出したりする人の営み。
『道』はまた、「歌の歌」でもある。サビには『You are every song』というフレーズがある。この歌を理解するにはこの決めフレーズの意味を捉える必要がある。
「あなたはあらゆる歌だ。」とは一体どういう意味なのか。こうやって直訳するとかなり意味不明だ。少し変えて、「どの歌もあなた」とすると、少し印象が動き出す。
ここからどう踏み込むか、だ。私はオーソドックスに、「どの歌(の一節)もあなたに向けて書いたものだ」という解釈を採用したい。「どの歌もあなたが居なければ生まれなかった」と言い換えてもいい。ただ、長々と描かず「どの歌もあなた」と言い切る事はやはり違う決意みたいなものを感じる。
「どの歌もあなた」なのであれば、歌を歌う度に『私』は『あなた』をすぐ身近に感じる事が出来る。もっと言えば、歌を歌う事はあなたと会う事なのだ。だからひとりで歌ってても独りじゃないし、あなたの存在を感じ取る為にまたひとりになりたくなる。
その構図を思い浮かべて『道』を聴けば、ヒカルの「歌いに戻ってきたよ」という決意の重さと清々しさを感じ取る事が出来るだろう。確かにヒカルは帰ってきた。喪う事で、歌う理由がまた生まれた。ここまでの重い決意から生まれてくる歌は、これからもそれはそれは切ないに違いないのである。皆々さん、心して次の新曲を出迎えましょうね。
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おだやかな海
おだやかな魂
おだやかな微笑み
おだやかな涙
霧が晴れる…
この歌の心で…語りで…
そして…
朝日が昇る
自分が何故生きているのか分からなくなるその都度、
この歌の魂が日常のさまざまな「時と場所」で純度を持って立ち昇り、「あなた」もしくは「誰か」を限りなく思い出させてくれる。
また、自分自身の手で現在を変えていくことの大切さ
にも同時に、気づかされる。
私もそう思います。
ヒカルはこれからも歌を歌う度に綺麗ごとでもなく
ただ純粋にかけ値ない自分だけの気持ちを、記憶を、潮の香りと共に手繰り寄せ、深い海の底に眠る母を思い出すのであろう…。
『私の心の中にあなたがいる』
もう手元にはひとつも残ってないのかなぁ
でも海に散ったのなら
また雨になって降ってくるよねー
「ごめん、それはうちもおもった。」
「あかんやん、怒るでしかし。」
「ごっごめん、つっついポチッとなと。」
「こんな中途半端なん一番あかんねんで。」
「めっちゃ失礼やで。」
「文章を書くっちゅうんは、常に真剣勝負なんや。」「なめたらあかん。」
「怒ってんちゃう。」
…ガクガクブルブル
「どっどうしょう。」
「ちゃんと謝ろう。」
「うっうん。でも、どうやって?」
「もう、しゃあないなぁ。ほら、最大級のあれや。」
「あっあれかぁ。でも大丈夫?すべらん?」
「何言うてん。うちらの根性見せたるでぇ。」
「ほないくでぇ。」
「ドジッ子ビーム!!」…………………………………………
…すべらんのぉ