無意識日記
宇多田光 word:i_
 



予算。極論すれば、"日本で売れるべき理由"はそれしかない。いや、無いは言い過ぎだが、それ以外はHikaruにとってはデメリットばかりである。

ファンは応援するアーティストが売れると気分がいい。知名度が高いと何かと楽だ。売れ過ぎるとチケットが取り難くなるとか支えている実感が薄くなるとかマイナス面といえなくもない要素もあり、一概には言えないが、人によっては「売れていて欲しい」と思っていても不思議ではなく、その割合がかなり大きくても驚かない。

しかし、Hikaruは今までより売れたりしたらまたマスメディアの餌食になるだけである。「売れたらレコード会社に対する発言力が増す」というメリットも考えたが、よく考えたらHikaruが売れた売れないや発言力の大きい小さいで自分の言う事を変えるような人間であるとも思えない。イヤなものはイヤ、やれない事はやれないと、どれだけ売れてなくても言えてしまいそうな気がする。それで契約を破棄されても構わないだろう。違約金払えとなったら別だろうが、違約するような約束をHikaruはそもそもしない。

となると結局、かなり際立ってメリットだと主張出来るのは、予算なのだ。一流のミュージシャンは、時間と手間と金をかければかけるほどよりよいサウンドを生み出す。何故だか知らないが経験則からそうである。高い予算と長い制作時期をかけた作品(なぜか私の頭に最初に浮かんだのはDEF LEPARDの「Hysteria」)は、水も漏らさぬ完璧な完成度に到達する。Hikaruとて例外ではないだろう、能力的には。

Hikaruがそれをしたいかどうか、だ。完璧なサウンドにこだわるよりは、楽曲自体を生み出す事に注力したい、というのなら予算はそんなに要らないだろう。個人の才能によるところが大きいからだ。Hikaruにラップトップと鍵盤楽器、そして集中できる環境さえ与えられれば、Hikaruは次から次へと名曲を生み出すだろう。その為にそんなに予算が必要だとは思わない。軽井沢に一軒別荘を借りたとして、更にお手伝いさんを雇ったりしたとして(なんだその設定は?(笑))、いったい幾らくらい掛かるんだろう。それが3ヶ月4ヶ月というならかなりのものだろうが、2、3週間ならどうだ…と考えていくと、そんなにお金が要るとも思えない。いや、例えば既に今までの資産を利用してプライベートスタジオをもち、かつHikaruが「ここがいちばん落ち着く。」とでも言い出せばもう殆ど予算はかからないだろう。Hikaruに浪費癖は無いのだ。


ただひとつ、「妥協しない」という点で予算が掛かってしまうかもしれない。フルオーケストラを雇っておいて「よくなかった」とボツにしてしまう冷静な判断力を、Hikaruは持っている。しかしこれも、納期と予算の制約の中で最善の選択肢を選んでいるだけで、上限が決まっていればその中から選ぶだけだろう。具体的な予算の金額がクリティカルになるとも思えない。

となると、程度の問題というか、「予算があるに越した事はないけれど、なきゃないでなんとかなる」のが作曲家・プロデューサーUtada Hikaruのキャラクターなのではないか。ある意味、一度低予算で作ってみてどれくらいのクォリティーになるか試してみて欲しいくらいだが、まぁわざわざそんな事する必要もないか。あればあるだけ使ったったらええねんな。

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話を纏めておくと。もしHikaruがEntertainment BusinessやPop Music Sceneに興味があるなら日本から始めずに米国や英国から始めて、その人気を日本に逆輸入すべきだ、という事。確固たるファンベースのない日本で、こうやって世代の入れ替わりを経た後に十分な支持を得るのは難しい。そのうち、"渇望"すら失われていくだろうからだ。

ただ、何をもってして日本の"市場"が失われたのか、というと難しい。減っているのはCDの売上であって興行は依然活況だとは何度も述べてきたし、各ジャンルのファンは何不自由なく暮らしている。

例えば私はHR/HMファンだが、1991年から1994にかけての時期にこのジャンルは完全に"終わった"と言われた。実際、それまでよりチャート実績は落ちたし、大半のロックファンはオルタナ世代に流れた。そして、シーン全体からみても、ロックというジャンルは完全にヒップホップ/ソウル世代に対抗出来なくなっていった。Nickelbackが"孤軍奮闘"状態になる2001年頃以降、つまり21世紀に入る頃には、従来からビッグだったベテラン以外はまるでビッグヒットを飛ばす割合が減ってしまった。その中のいちジャンルでしかないHR/HMなんぞ、もう推して知るべしである。

だが、個人レベルではまるでこのジャンルは衰退していない。それどころか、LOUDPARKの定着によって見られるバンドの数が増えた。カップリング公演やフェスティバル形式も定着、OzzfestにKnotfestと後続まで現れている(いや歴史はOzzfestの方が長いが)。購入形態も、配信販売やネット通販によって手に入れられるケースが拡大に増えた。輸入盤や中古盤もクリックやタップひとつである。昔よりずっと恵まれた環境にいる。"終わった"と言われたジャンルのファンをそのあと20年以上も何の不自由もなく過ごせているのだ。関東在住、ってのがいちばん大きいのですがね。

兎に角、別にジャンルとして、シーンとして"終わった"からといって、ファンは嘆く事はないのだ。新曲が聴けてライブに行ければそれで事足りる。ラジオやテレビの出演がなくてもいくらでも音声や動画が配信できるしインタビューもWeb媒体で十分だ。何の問題もない。売れないとかメジャーじゃないとかは大した問題ではないのである。ファンの方からすれば。

シーンが小さくなって収益が少なくなった時に困るのはファンの方ではなくて制作側だ。制作費が低くなる。これが痛い。というか、まさにこの一点に絞られるといっていい。

そこで、Hikaruの場合である。制作費はどれ位必要なのだろうか。それ次第だ。制作費がそんなに要らないのであれば、使わない方がいい。使えば使うほど、広告宣伝に力が入り、Hikaruの体力が削られていく。2002年にしろ2009年にしろ倒れたのは制作途中ではない。プロモーション活動中だ。勿論疲労は蓄積されているだろうが、それがなければ倒れる事もなかった。Distance制作後のように三週間でも幾らでも休養をとってから復活すればよかった。結局、問題はそこなのだ。制作規模と宣伝規模。ここを勘案しながら進んでいかなくてはならない。

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