無意識日記
宇多田光 word:i_
 



こうしてFirst Loveアルバムを聴いていると、つくづく「惜しいアルバムだなぁ」と思う。メロディーのバラエティーをサウンド・メイキングが受け止めきれていないのだ。やや画一的ともいえる、所謂"90年代後半らしい"サウンドになっている。それが、必ずしも各曲の個性を活かしきる方向に振れているとはいえない。

"その当時の流行のサウンド"というか"その時のリスナーの耳にすっと入っていけるサウンド"を狙って作ったアルバムは他にもあった。Utadaの2ndアルバム「This Is The One」である。彼女はインタビューできっぱり「メイン・ストリーム・ポップ」を標榜してこの作品を発表した。では流行にすりよった作品になっていたかというと全くそんな事はなく、寧ろ彼女にとって、少なくとも歌手という目線からすれば"最も得意な事"に焦点を当てたアルバムとなった。この15年の作品の中で、オリジナル・アルバムの中で"最もUtada Hikaruの歌がうまい"のは同作だ。私が彼女の"歌唱を堪能"したいと思った時は決まってこのアルバムに手が伸びる。…っていう言い方をしたんだよ昔は。今と違って、レコード棚からアナログやカセットやCDやMDを取り出していたからね。時代は変わった。

確かに、First Loveアルバムは、当時のリスナーの耳に馴染み易いサウンドを持っていた。それがあの驚異的な売上を推進する要素の1つとなっていた可能性は否定出来ない。しかしそれと引き換えに、以後のアルバムで聞かれるHikaruの"カラフルさ"がやや薄い。"メインストリームポップを狙って作った"「This Is The One」ですら、B面ではカラフルな作風の広がりをきっちりと見せていたというのに。カラフルさが極まって"極彩色"とまでいえる境地にまで至った「HEART STATION」と較べるともうモノクロ写真とフルカラー3D写真くらいの差がある。

しかし、歴史的には、これでよかったのだろう。後からバックカタログを聴く新しいファン(そういう人が今の時代居るのかどうかすらわからないが)は、2ndアルバム以降と較べて何故1stだけ突出して売れたのか、もしかしたら不思議に思うかもしれない。確かに、あっさり「AutomaticとFirst Loveが入っているから」とファイナル・アンサーで答えてあげてもいいのだけど、もう1つ、少々サウンドから個性の漲りが失われてでも、その時の時代の空気と同調していた事も大きかったのだよ、と教えてあげるのも一興だ。そして、ここが恐らく、邦楽市場にとって本当の意味での最後の「歌は世につれ世は歌につれ」を体現していた時代だったんだよ、ともね。



嗚呼、そういえばそろそろ上半期が終わるんだな。来週の月曜日までか。トピックとしては、Hikki's Sweet&Sourの再放送、First Love15周年記念盤の発売、Kuma Power Hour最終回、そして結婚といった所だろうか。人間活動中だというのに騒がしい人だなぁ。ここらへん、次回と次々回で振り返れるかどうかは…相変わらず、その時になってみないとわかりませんな。まだまだ拾いきれていないところも多いし、ネタが尽きる事はない。あとはその時の気分次第です。それが私の性格らしい。

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今朝になって気が変わったので別の話を。(笑)

Demo Versionというと歌詞やメロディーが完成品とどう違うか、という点に注目が集まるものだが、ヒカルの場合「コーラス・ワークの鬼」と呼ばれる三宅プロデューサーが居る為、バックコーラスの当て方にも随分変化が見て取れる。その代表例が『言葉にならない気持ち』である。

そもそも、セカンド・アルバムの楽曲のデモが今回の企画に紛れ込んでいるのが特異だ。御承知の通り、Interludeで先に御披露目されていたせいだが、やはりこうやってワンコーラス収録されてしまうとある意味"場違い感"は否めない。ただそれは聴き手としての理屈であって、制作サイドからすればこの時期のDemoなんだから一緒に収録するのが筋なのだろう。という事は、既に1stアルバム制作時点でこの曲は大体大枠が出来ていた、という事になる。どういう経緯でセカンドアルバムに収録される事になったのか事実関係を整理したい所だがちと資料が足りないな。

話を戻そう。Interludeだけならよいが、セカンドアルバムのフルコーラスの『言葉にならない気持ち』を知っている身からすると、このデモ・ヴァージョンには違和感を拭い得ない。そのいちばんの要因は、バックコーラスの重ね方が異なる点にある。スタジオバージョンの『言葉にならない気持ち』の場合、サビの『言葉にならない気持ち いつか伝えたい』のうち、『言葉にならない気持ち』の部分にハーモニーが入り、『いつか伝えたい』の部分がバックコーラス無しのリード・ヴォーカルオンリーの歌唱になっているのだが、このデモヴァージョンの場合、『言葉にならない気持ち』の部分がシングルのリードヴォーカルで『いつか伝えたい』の部分の方にバックコーラスが入っている。しかもこちらはハーモニーよりユニゾンが主体である。このアレンジの違いによる印象の差は大きい。

ハーモニーと言った場合はメインのメロディーの上や下のラインをなぞる事、ユニゾンは同じメロディーを(時にはオクターブ違いで)歌う事だが、このユニゾンにもちょっと幾つか種類がある。ちょうどこの『言葉にならない気持ち』の中でもその使い分けが為されている。

ユニゾンをスタジオ・レコーディングする時(ミックスダウンする時)に重要なのは定位を何処にするかを決めなければならない。左右に大きく散らしたり、中央に寄せたり。或いは声部によってかけるエコーの深さを変えたりして距離感を演出したり。そんな中で全く同じ定位で自分の声でユニゾンを録音する事を慣例として「ダブル」と呼ぶ。この『言葉にならない気持ち』でもダブルになったヴォーカルを聴く事が出来るし、またユニゾンを左右に散らしたパートもある。それぞれでどう感じが変わっているのか、注意して聴き比べてみるのもよいだろう。

このコーラス・アレンジの違いは、もしかしたらアルバムの中での位置付け、曲順の変化が理由なのかもしれない。が、今回収録されたDemo Versionはワンコーラスだけなので(とは言うものの、最初っからワンコーラスしか出来てないデモなのかもしれないが)、詳細を推理するのは避けたい。いずれにせよ、発表のタイミングや場所によって、曲のサウンドが変遷を辿る事もあるんだな、と思わせるヴァージョンである。なかなかに興味深かったわ。

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