無意識日記
宇多田光 word:i_
 



たまには、ちゃんと「今いちばん興味があること」についても触れておかないと自分のバランスが崩れるので書き留めておく。ただ、この二年近くずっと同じなので何度も書くとくどいんだよね。でも仕方無かろう。

いちばん興味があるのは勿論結婚でもマスメディアとの付き合い方でもなく、桜流しの次の新曲がどうなるか、だ。それも、市場での立ち位置はどうのとかファンの反応はとかマーケティングがどうのプロモーションが新しい技術だシステムだネットワークだといった事すら些末な問題だ。私が単に次のHikaruの曲を聴きたい。それだけだ。しかも、あの桜流しの次というのが非常に、非常に大きい。大事な事なので2回言いました。えぇ言いますともさ。

桜流しには私が好きなものがこれでもかと詰め込まれている。人生の中で最も密度の濃い280秒とでも言おうか。美しい旋律、ドラマティックな展開、エモーショナルな女性ヴォーカル、重厚なベースライン、ダイナミックなドラミング、儚げなピアノ、煌めくエレクトリック・ギター、荘厳なストリングス、何より、聴いただけですぐ理解出来る日本語の歌詞。いい。いい。こんなに静と動を振幅大きく描き切る曲が日本語詞である確率は途轍もなく低い。それがここまでの技量を持った女性歌手によって歌われるのだからこんなものは奇跡という呼び名ですら生ぬるい。もう一生こんな曲に出会えなくても何の不思議もない。ようこんなん作ってくれたわ…あと足りないものといえば大衆性と高音質だけだろう。本当に、この曲のサウンドプロダクションは勿体無い事よのう…。


ここまで気に入ってしまっていると、どうしたって次の曲への期待のハードルが上がってしまう。落ち着け落ち着けと自分を諫めるが効果がない。何しろコイツは、稀代の名曲ここが頂点と思ったその瞬間にとんでもないものをぶつけてくる達人なのだ。誰がKremlin Duskの次にYou Make Me Want To Be A Manを連続して収録できるのか。誰もがPrisoner Of Loveを聴いたその時に「あぁこれがアルバム後半のハイライトだ、なんと素晴らしいピークだろう」と思った筈なのにコヤツはそこからテイク5に持っていくのだ。頭おかしいんとちゃうかほんま。こんなタップリの"前科"があるヤツだから、本当に油断が出来ない。どうなる事やら。

その「期待感」の前では、それがどんな媒体でリリースされようが市場で何枚売れようが心底どうでもいい。いやよくはないけど、些細な事だ。その「期待感」のうち何%が「満足感」に変わるか。普通なら70%もいけば一流だと思うが貴様の場合時に100%を大きく超えてくるからな…ほんま心臓に悪いで…。

ただ、流石に現実的に桜流しの壮大なスケール感(これについては宇多田ヒカル史上ダントツの最高峰と言って差し支えないだろう)を更に超えていくのは難しいと理性ではわかっているので、もう一方の改善点、大衆性と高音質に拘ったトラックが出てくるのも一方で期待している。travelingやBeautiful Worldみたいなアップテンポの曲がいいなー。勿論この流れでいくとハイレゾ配信アリだろう。ハイレゾ先行でもいいよ♪ 流石に新曲をいち早く聴けるのはプリインストールされた新発売のコラボウォークマンだけ!みたいな事にはならないとは思うけど、万が一そんな事になったら買ってしまいそうで怖い。桜流しのクォリティーはそれをさせるに十分だったのだ。流石に、あの音質の不振はマスター自体に起因するものだとわかっているので、サントラが同梱されたEVAコラボウォークマンには結局手を出してないんですがね…ハイレゾ配信まだなのかなぁあれ…。


という訳で、これから次の曲が現れるまで定期的に今回と似たようなエントリーが書かれる事になると思うが、執筆者のガス抜きだと思って軽く読み流してやって下さいな。ほんま、Led Zeppelinをリアルタイムで聴いてた人たちって、毎年こんな気分だったんだろうなぁと思いますよ、えぇ。目が爛々と、輝いてしまいます。

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つまり、普通に人々がWebを通じて自然に近況報告を行っているのに、一昔前のようにずっとだんまりを決め込むのは果たして金なのか、という話だった。前回。

ここは結構揺らいでる論点だ。人々は簡単に忘れるからである。黙ってやり過ごしていればすぐさま皆別の話題に移ってゆく。煙が立っても、徹底して燃料は投下しない。鎮火も早い。それに任せるのもひとつのテだろう。

一方、ヒカルについては、固有の問題として、昨夏のマスコミ不信が挙げられる。「冒涜」とまで言い切ったその強い語調から感じ取られる事は多い。だったら付き合いを止めてしまえばいいのだが多分無理。マスコミとは、彼らが悪なのではなく、単にニーズがあるから仕事として成り立っているだけだ。他人のせいにしていれば気は楽だろうが、霊柩車に立ちはだかる醜さはそのまま我々の視線の具現化に過ぎないと自覚しておくべきだろう。

ヒカルはずっと大衆を相手に曲を作ってきているから、そういった事は百も承知である。だから―もしかしたら、大ヒットを飛ばす度にヒカルの心のうちにある"復讐心"が満たされている、のかもしれない。それが、嘘をつく、欺く、騙すという事だ。ヒカルのヒットを喜ぶ我々は、見事に騙されていて、尚且つ利益を得ていて何の損失もない。前回述べた"信じて騙されなさい"という話には、こういう一面もあるのだ。

そこらへんの機微は、わかる人には凄くよくわかり、わからない人にはとことんわからない、かなり断絶の激しい話になる、かな。"だから感謝の言葉を何度も口にする"とでも付け加えておくか。世に対する恨みは、圧倒的な優しさで我々への復讐を成す。そうやって欺かれている間がいちばん幸せな時間、なのだろう。大衆を相手にする、大衆として相手をされるとはそういう事だ。

こんな時代だからこそ(JPopかよ)、基本となる個の問題にもう一度立ち返ってみてもいいかもしれない。しかし、人間は元々社会的動物であり、インターネットはその機能を(圧倒的に)強化しただけだ。それにただ抗うのは無謀でしかない。個を取り戻すには人間以外の、生き物以外の何かが必要で、それが「一体のくまのぬいぐるみ」である事は明らかだが、はてさて、これはどこまでシリアスに捉えられるのやら。

そんなタイミングで大家族と結婚だなんて、つくづく変なヤツだな、と思う。離れて暮らすだろう新しいイタリアの家族に心配をかけない為にも、何かよい方法を考えた方がいい。だからってヒカルが家族と(日本でいう)LINEみたいなものでやりとりしている姿を想像すると、何やらくすぐられるものが込み上げてくるのを感じるなぁ。名実共に新しいフェイズに入るという事か。それはそれで新しく考え始めにゃならんな。

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