無意識日記
宇多田光 word:i_
 



@u3music
作る方はそうはいかないよ。命削ってでも作るんだから。teruzane RT @fyuya1980 はっきり言ってもう待たせるにも限界が来ていると思うよ。ファンは、イライラしてるよ。完璧なんか誰も望んでいないんだからよ。
2014年6月19日 16:03

私は完璧以上を望んでいるのですが、とツイート投げたらこの人は前言撤回してくれるのかなぁ。別に撤回しなくていいのでツイートしませんが。

命を削る、って何かしれっと書いてるけど、そうだよなぁ、と特に「DEEP RIVER」アルバムを思い出しながら納得する。あれは削って出来た作品だよね。確かに、あのアルバムに与えられた栄誉の数々をAKB如きに踏みにじられたのだとしたら、ヒカルは怒っていい。秋元康を詰っていい気がする。彼も流石に「すいません」と言うのではないか。でもまぁそんな話も私は特に興味がないのでいいかなぁと。当時凄く時間を費やして同アルバムの全曲に耳を通した事を思い出した。あんなに「重い」アルバムはあれっきりかもしれない。単純な、絶対的な重さならULTRA BLUEの方が、大きさならHEART STATIONの方が上だと思うが、DEEP RIVERには何か、クォリティー云々以前の「特別さ」があったように思う。妙な言い方だが、命を削るのも慣れてしまえば何て事ないのだ。キツいし辛いし錯乱するが、既にそこを一度以上通り抜けているのだから、必ずトンネルは抜けられる筈だという信念を自分に持つ事が出来る。要するに自信である。特にHEART STATION
は自信満々のアルバムだった。あれだけの作品を作っておいて自慢しないのは罪なのでそれでいいんだが。

DEEP RIVERには「今までに一度も踏み入れた事のない領域に踏み込む」気持ちが最も込められたアルバムなのだ。そして、その新鮮な瑞々しさは、もう二度とHikaruの歴史にも現れないかもしれない。言いようのない不安と、どこまで行けるのかという期待と、何より、何に対して不安や期待を抱けばいいかわからないという「わけのわからなさ」がしっかり封じ込められているのが楽しい。そして、ここが天才の天才たる所以なのだが、Hikaruには、もう既に確信があったのだ。これは凄いものになるという。それは、一度も踏み入れた事のない領域の先の先にある筈のものなのに、最初から光の手の中にあった。何とも言いようのない、まさに「わけがわからないよ」な感覚なのだが、それがこのアルバムをただの混沌から救っている。よくぞこれが「音楽の形を成した」なぁと思う。暗闇を手探りながら、心の中に導きの灯火が絶える事はなかったのだ。

これからのHikaruは何をするにも初めてではないかもしれない。厄介なもので、今後例えばバンド・デビューするとかアイドルをプロデュースするとか言ったって、確かに初めてかもしれないが新鮮な瑞々しさはまるで違う。というか無い。小説を書こうともマラソンを走ろうとも、この作品の出発点の「わけのわからなさと確信」のコーンポタージュスープには敵わない。なんだそれ。

だから、そっちを向く必要はない。それは、もう次に生まれてくる世代に任せればいい。彼らの未来は、たとえ過酷であろうと薔薇色であろうと、驚きに満ちている事だけは疑いがない。それを隣で眺めていればいい。

ただ、だからと言って"新しい何か"が生み出せないかというとそれは全く逆である。彼らのワンダーはただ無知に立脚しているだけで、裏を返せば総ての人たちが通ってきた道であり、世界の立場からみれば新しくも何ともなく、最もありふれたシリーズだろう。そっちではないのである。

Hikaruは、ただ自分自身を伝えればよい。これ程難しい事はない。俺にすら伝わってない、とでも言えば重大さが伝わるかな。難しいな。その為には、世界にとってとても新しいものを生み出さねばならない。Hikaruにとって自分自身は、24時間常に一緒に居る最もよく知る、最もありふれた、最も新鮮味のない存在かもしれないが、それを人の人生にぶっこむだけで総てが変わる。それはつまり「光」であり、世界に世界自身を気付かせる鍵である。最後を光で飾ったあのアルバムから12年、まだまだ先は長いに決まってるんだから、もたもたしてないでとっとと曲書きなさい。はい。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




秋元康産業が今年もCDを売りまくっていて、今年度上半期のシングルとアルバムの二冠、シングルはTOP3独占とやりたい放題。なんか「宇多田の記録を抜いた」とか言ってたけどなんだっけ、二冠が2001年以来とかそういう奴かな。

秋元産業が殊勲を上げる度に眉を顰める人が後を絶たない。気持ちはわかるが、これも仕方のない事だろう。音楽の魅力が、女の子たちと会って握手して話せる事や総選挙のエキサイトメントに負けている。それだけの事だ。「枚数より人数が」という反論も食傷気味だ。愛着や執着の深さが複数枚買いによって伝わってきているのだからある意味システムとしては進歩している。

多くの批判がカテゴリーエラーなのである。本来なら、秋元産業に文句を言うのではなく、魅力的な音楽を提供出来ていない音楽業界を責め立てるべきだ。しかし、我々も最初っから信頼されていないしアテにもされていなかった事は、10年以上前のCCCD騒動からも明らかである。誰よりも送り手の方が、CD売上がバブルだと思っていたのだ。

私の趣味からいえば、欲しい作品の日本盤CDは順調に売られているし来日公演は贅沢な取捨選択を迫られるしで、昔よりずっと状況はいい。輸入盤も通販様々だし何か不満があるかといえば大して何もない。MANOWARをさいたまスーパーアリーナで観れるなんて夢のようである。更にKnot FestにSummer Sonicに…どうすりゃいいんだ。

要するに、人数は減ったかもしれないが熱心な音楽ファンにとっては昔よりよい事づくめなのだ。ジャンルを問わず。そういう人たちにとっては、好きなミュージシャンの新譜が聴けてLIVEが観られれば十分な訳で、その点に関しては進歩している一方なのだ。

つまり、憂いられているのはライトな層を取り込むべき嘗て"J-POP"と呼ばれていた市場の方で、そこをアテにしていた層にとっては基準となるオリコンチャートを潰してくれた(ようにみえる)秋元産業への恨み辛みは尽きないのである。

こちらからすればオリコンチャートは参考にする為の素材に過ぎず、アテにならなければ参照しないだけの事である。ちょうど12年前の今日発売された「DEEP RIVER」アルバムは「FIRST LOVE」の半分の売上だが、ならば前者が後者に対して音楽的魅力が不足なのかというと、私にとっては全くの反対である。

何を今更、と言われそうな話をしているが、3行くらいでまとめて次に行こうと思って書き始めたまくらさんが思いの外長くなってしまっただけで(汗)、本文は次回へ続くのでした。失礼っ。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )