無意識日記
宇多田光 word:i_
 



Demo VersionからStudio Versionへ、最も劇的な変化を遂げたと言えるのが、Automaticに続くセカンド・シングルの座をAnother Chanceと争い見事勝ち取ったMovin' on without youだろう。

驚いた事に、あの楽曲の印象を決定づけるオープニングから全開のエレクトリック・ギターも、大昔の小室哲哉風に混合拍子でリズムを刻むピアノによるコード・アタック(これが進化したのがBeautiful Worldだ)も、歪ませてサンプリングされた弦楽器サウンドによるオブリガードも、何もかもがない。

最初このDemo Versionのイントロが喋るヒカルのバックに流れてきた時私はこれがどの曲のデモなのかわからなかった。Hikaruが口遊み始めて初めてそれがむびのんだとわかった。なるほど、確かにコードはこれでOKかと。これは本当に全く別の曲になったといえる。

それにしても、歌メロが乗ってしまえばこれは紛う事なくMovin' on without youだ。この強烈なメイン・メロディーを、全くサウンドのインパクトなしに最初に書き上げていたとは驚き以外の何もない。確かに、Tribal Mixの時点でもそう感じていたが、この曲はサウンドのインパクトがなくとも、歌(メイン・ヴォーカル&バック・コーラス)だけで楽曲として成立しているのだからそういう"成り立ち"であっても不思議ではないが、改めて事実として突き付けられるとこの15歳のとんでもなさに目眩を起こしそうな気分である。

歌詞の世界観も流石の一言。細かい話だけど、前半では『ガラスのハイヒール見つけないでね』になっているのに後半ではしっかりスタジオ・バージョンと同じ『ガラスのハイヒール見つけてもダメ』になっている。この変化が"この間"に起こった事の明白な記録だ。

メロディーが同じなだけに文字数は同じだけれど、言ってる内容は一歩前進というか、より濃密なメッセージになっている。『見つけないでね』だと、もし見つけられたらまだ心が揺らぐ可能性を残しているようなニュアンスになるが、『見つけてもダメ』だと、たとえ追いすがってきてロマンチックな言葉をかけてくれてももう私の心は揺らがないんだから―と、"強がり"を言っているような描写になる。何しろこのあと更に一時間枕元のPHS相手に葛藤を繰り広げているのだから…って、あららこれスタジオバージョンの歌詞の話だわね。そうね、折角なのでもうちょっとこの有名曲の歌詞について触れてみてもいいかもしれない。では次回はその話からという事で。

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一方でFirst LoveのDemo Versionは、また違った意味でデモっぽくない。まるでこちらの方が後に出来たんじゃないかと思わせる、という意味で。

First Loveのオリジナルのスタジオ・バージョンは、ピアノと弦楽器が壮大に盛り上げ、スネアも深めにエコーをかけてスケール感を大きくした「これぞザ・バラード」という雰囲気のサウンドだった。事実、この国ではまさにバラードのお手本、スタンダード中のスタンダードという風に認知されている。

しかし、このDemo Versionはもっとレイドバックしているというか、こぢんまりとしてして、どこか親しみやすく素朴なアレンジである。

これは、オリジナルにはないパーカッションの存在が大きい。レゲエ並み、とまではいかないかもしれないが、まるで南国リゾートでのんびり過ごしているような空気さえ漂ってくる。どちらかというとリラクゼーション・サウンドである。ここには、オリジナルに見られるようなスケール感は無い。

どちらかといえばこういうのは後からリミックスとしてリリースされるんじゃないか、というのがひとつの印象だ。「光」と「光(Godson Mix)」みたいに。オリジナルの力強さが力んで聞こえてくる頃に、肩の力を抜いて同じメロディーをゆる~く楽しみたい、といった動機から聴きたくなるようなな。

と、思っていたのだが、改めて聴き直してみると、こういう順序で曲が"進化"したケースが過去にあったな、と気がついた。ホイットニー・ヒューストンの"I will always love you"である。「えんだあああああいあああ~♪」っていうアレね。映画「Bodyguard」の主題歌だっけ。忘れちった。この曲のオリジナルは元々もっと素朴なフォーク・ソングで、それこそフォーク・ギター片手にまったりしながら呟くように歌う"小品"という感じだった。それを、ホイットニーの圧倒的な声量によって壮大なラブ・バラードに仕立てあげて全世界的な大ヒット曲になった。映画のサウンドトラックアルバムとしては史上屈指の売上を誇る筈である。

恐らく、そういった"化学変化"が、このFirst Loveの制作途上で起こったのだろう。或いは最初のヒカルの意図が河野さんに伝わりきっていなかったか。いずれにせよ、Another Chanceのケースとは異なり、こちらは寧ろ「よくぞこの完成版になってからリリースしてくれました」と言いたくなる。でなければ、冗談抜きで邦楽の歴史が変わっていたかもしれない。デモの時点で既にメロディーは美しいが、オリジナルにあるあの「ベッタベタな王道感」がない。ホイットニー同様、こうやってスタンダードとして愛されるには王道感は非常に意義がある。デモを聴き返すことによってスタジオバージョンの成功が確認できる、デモバージョンかくあるべしというトラックだった。ある意味、First Loveは、デモもデモとしての"王道"を歩んでいたのだといえる。歴史的価値の高い収録である。

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