無意識日記
宇多田光 word:i_
 



さっきまでラジオでColdplayのLIVE生中継を聴いていた。何故ラジオはもっとLIVE生中継をもっとしないのか、小さい頃から疑問だ。NHKFMではクラシック・コンサートで毎週(かな?)やっているが、民放ではLIVE生中継となれば決まってお祭り騒ぎだ。もっと日常的に出来んもんかね。

お金もかかるんだろうし、民放ならCMを入れるタイミングがないとか、色々あるんだろう。でも今の技術なら、中継のコストも昔に較べて下げられるだろうし、CMを入れる度にワン・ミニッツ・ディレイを入れていくとか出来ないんだろうか。ラジオは生放送こそ魅力なんだし、音楽に特化出来るのだから、LIVE生中継がここまで少ないのは、何というか、勿体無い。

一度びAMラジオにチャンネルを合わせれば、毎晩のようにプロ野球中継がある。とんと中継しなくなったテレビとはえらい違いである。メジャーリーグまで朝からやってるし、何を血迷ったかサッカーまで中継している。NHKなら大相撲だ。短波なら競輪競馬…テレビよりスポーツ/競技の生中継率は高い位である。

これは、変な話だ。スポーツなんて目で見てなんぼの娯楽だろうに、我々は(と言っても私より上の世代にしか通じないかもしれないが)当たり前のようにラジオでのスポーツ中継を楽しんでいる。スピーカーに向かってガッツポーズしても何にもならんっちゅーの。

音楽の演奏会は、音が主役なのだからスポーツの生中継より遥かに多くの魅力を伝えられる筈なのだ、ラジオでの生中継というものは。どういう事情があるか知らないが、人々を演奏会々場にいざなう為にも、もっと頻繁にラジオでLIVE生中継をして欲しい。出来ればプロ野球の生中継並みの頻度でな。

もしかしたら、日本ではLIVEの生中継に耐えられるだけの生歌を聞かせられるシンガーが少ないのだろうか。だとしたら悲しい。

ヒカルなら心配は要らない。多くな人が、3年半前のWild Lifeの生中継を12月8日に目撃した筈だ。生でもあれだけ歌えるものなのだ…

…とは書いてみたが、「でもやっぱりCDの方がよかった」と言う人も結構居るのではないか。ここが難しいところで、CDでサウンドに凝りすぎてしまった為ライブ・バージョンが物足りなく感じられる事が多々ある。ヒカルも、コーラスを例えば48トラック重ねているならば、どれだけバックコーラスのテープをしっかり流しても、スタジオ・バージョンにはかなわないだろう。ラジオ局も、そんなのばっかりなら、わざわざスポンサー探して中継車を出して必死でLIVEを生中継するよりも、局でCD探してきてそのまま流す方がラクだし金かかんないしリスナーのウケもいいし…なんて風に考えてしまう。そして事実そうなんだろう。

何かを、考えなくてはならない。ヒカルに最も期待されるのは、例えば派手なステージ・セットや何十人のダンスや演出や豪華な衣装ではない。普段着で出てこようがマイク一本で聴衆を満足させる事である。それが出来るかどうか。

スタジオバージョンを出来るだけライブバージョンと変わらないように、という姿勢をヒカルはとらないだろう。そこは妥協しない。しかし、それによってリスナーの理想はとてもライブで再現できないような所まで行ってしまう。録音技術の発達した今の時代ならではの悩みとはいえる。

Led Zeppelinのように毎回即興演奏を披露出来るのならいいのだが。ジャズ・アーティストなら普通にそれが可能で、もし上原ひろみのLIVE生中継が5夜連続で聴けるのなら、たった1夜の生中継より逆に私は興味をそそられる。毎晩聴いてみて、その夜ごとに何が違うか、その変化を聴いてみたくなる。それだけのウデをもったピアニストだし。しかしそれはPopsではない。Led Zeppelinはそれを大衆に向けてやったから凄いのだ。

いいアイデアは結局思い付かないが、宇多田ヒカルのLIVE生中継ならラジオででも聴いてみたい、スタジオバージョンよりずっといいから、と言って貰える為には何が必要か。現地に居合わせるという高揚感が無い分、リスナーの評価はクールだろう。今や映像つきでLIVEストリーミングするのが当たり前の時代になっているからこそ、ラジオで音だけで生中継されて"試される"のは結構シビアかもしれない。ちょっとやってみてほしい。そしていつの日か、スポーツの生中継よりずっと興奮したと言って貰えたらいいのにな。

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おごそかて(笑)。おろそかの間違いやな~。

件のデモバージョンの仮アレンジは総て河野圭によるものだとか。なるほど、確かに当時のヒカルにこんなに"それっぽい"サウンドが作れるとは思えない。こうして見ると、1stアルバムの時点で彼の貢献度は相当のものであった事がわかる。3rdアルバムまでは彼がサウンド上の最重要人物である事は間違いないだろう。

第一印象で私の耳にとまったのは、各々ベースラインの動き方がオリジナル…というと話の方向が逆になるな、完成版とかなり異なっている。それどころか、完成版より面白みのあるラインを描いているとすら思える。デモにあったアイデアをこうやって"ごっそり削って"いるのは、単純に考えるとヒカルからの提案だったのかなと思えてくる。ULTRA BLUE以降のサウンドと比較してもそう思う。

一方で、基本的なパーカッションによるリズムパターンは変わってないケースもある。Give Me A Reasonなどはほぼそのままだ。同曲は、最初に聴いた時から「リズムがちゃかぽこうるさいなぁ。もっとしっとりと聴かせればよいのに。」と思っていたのだが、これを聴くと寧ろ、先にこのリズムパターンがあってそこからメロディーが生まれてきたのではないかと示唆されているように思う。所謂「リズムとメロディーの分かち難い関係」である。

斯様にデモから見えてくる事は数多い。ムビノンなどは、あのインパクト抜群のサウンドを決定づけたエレキギターと80年代ハウス・ミュージック風鍵盤群の組み合わせがまるで見当たらない。このデモのまま完成形に持っていって果たしてあのインパクトが生まれていたかどうか。Tribal Mixを聴く限り、どんなサウンドでもこのメロディーは強く印象に残った事は間違いないが、切り込み方としては弱い気がする。

改めて、ヒカルはリズムパターン(とコード進行)から曲を作るのだなと思わされた。そこにベースラインが入り込む余地はない。ロック耳からすると、まずギターとベースのリフが生まれてそこにドラムパターンが乗っかってきて、曲に流れが生まれたところでメロディーが乗っかる…みたいな発想なので、随分と違うものだなと痛感させられる。もし98年当時の流行がロックだったとしたら、もしかしたらFirst Loveは全然違ったスタイルになっていたかもしれない。R&Bの、比較的シンプルながらアタックの強いリズムセクションのサウンドと当時のヒカルの曲作りの手法は相性がよかったのだ。

これも、鶏が先か卵が先かという話で、当時R&Bが流行っていたから(それは、そういった曲作りに合ったテクノロジーが整ってきていた、というのもあるのだが)ヒカルがそういう曲作りの方法に自然となっていったのか、ヒカルの曲作りがたまたま時代に合致したのか、今んとこはよくわからない。しかし、こうやってデモバージョンを聴く事で、どのアイデアが最初っからあって、どのアイデアが後から付け足されたかがよく見えてくる。読み取るべき事柄はとても多い。もっと聴き込んで&聴き比べてみないとですわね。

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