無意識日記
宇多田光 word:i_
 



あのツイートを読んだ時の「……誰?」という衝撃がどれ位伝わっているのか不安だが、照實さんがツイートをしてくれたので今夜はその話から。

@u3music
推測と言うのは的確ではないです。制作途中の音源は聴いています。ただ、いつ、そのどれを完成させて発表するかはup toヒカル。teruzane RT @EarthView5 考えています」じゃなく「考えていると思います」なんですね。あくまでも推測なんですね?
2014年6月18日 18:56

彼はヒカルの制作途中の音源を聴いているのだ。そういうものか。

確かに、音楽を「完成させて人に聴かせる」という段階に行くには、何か+αが必要だ。作曲家というのは、放っておいたらいつまでも改善に次ぐ改善を重ね、いつまで経っても作業が終わらない、というパターンが非常に多い。Hikaruの好きなアーティストでいえばThe Blue Nileのようなタイプ。ロイ・ブキャナンと言った方がいいか。兎に角、締め切りがないとどうしようもない。

そこまで求道者的な態度にならずとも、曲が一向に完成しないという事はある。こちらの方が、リスナーとしては寧ろ感覚的には遠いかもしれない。楽器や楽譜と戯れながら、常に音楽を変化させ続ける、もっといえば終わり無く音楽と対話を続けるパターンだ。楽器を持っている人ならそれは既存の楽想を常に即興演奏でアップデートし続ける事になるし、楽譜を書く人は永遠にβ版だ。ずぅっと変え続けて、終わらない。追究なんかしなくても、「音楽と私」がずっと変化と対話を続ける。あれだよ、仲のよい友達とのお喋りに終わりなんかないだろう? それが音楽で起こる。

そういう視点から眺めれば、逆に、完パケを作ってもうそれ以上変化させずに音楽を世界中に流通させる、というのは不自然な行為とも受け取れる。なぜもう直さないのか、変えないのか。Windows Updateのように毎日改善させながら発表していったっていいじゃないか、なんていう考え方も出来る。広い世界だ、既にそれをインターネットを使って実行している人も居るだろう。"永遠に未完成"、そんな音楽もあっていい。いや、そっちの方が理想的には"自然"なのかもしれない。

Hikaruがそういう方法論に手を染める事はないだろう、とずっと思ってきた。彼女は常に「これ以上はもう望めない」ところまで楽曲を磨き上げて発表する。それが矜持だと思っていた。楽想が聴き手に誤解を与えないよう、磨き上げに磨き上げて焦点を定め、的確且つ簡潔に表現する。その方法論にこだわってきたから、「新しいジャンルの曲を作ってそれがそのジャンルの最高傑作」みたいな曲ばかり発表する事になった。だから彼女は自分が過去のパロディになる事はなかった。「First Love part 2」みたいな曲も書いて来なかったのだ。

それが、もしかしたら最近変化してきたのかもしれない。それを思わせるのがFL15へのデモ・ヴァージョンの収録である。あんなあからさまなトラック、過去のヒカルなら許しただろうか? そんな機会がなかったからその点についてはわからないが、15年という歳月が為させれた業とはいえ、「曲作りの途中」をこうして発表するだなんて、思いもよらなかった。

「完成品しか聴かせない」というのは、ある意味、人に対して壁を作っているともいえる。いや勿論、「第一印象は頗る大事だからそこで最高のものを聴かせたい」という誠意の現れでもある。どちらにとっても結構だが、「未完成品を聴かせる」というのは余程気を許した相手でないと無理だと思う。事実、照實さんにはこうして聴かせている訳だから。その輪の中に、我々がほんの少しずつでも入っていけてるとしたら、とても喜ばしい事だ。ヒカルが気を許してくれたのだから。


もしかしたら、今回のツイートも、「最適の呟き」を考えている途中で慌てて放出してしまったものなのかもしれない…そんな風に、考えられたらいいのだが。我々に気を許し過ぎて、迂闊にも鵜呑みにして軽率に呟き、ちゃんとした形になる前の謝罪の一言も呟いてしまった…気を許し気を緩めたせいでのうっかりさん…そうだったら、まぁいいかなとも思えそうだ。

だったらいいなぁ

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あー、うん。

ただでさえ最近バッシング側に傾いていたのに、これでかなり宇多田ブランドは叩かれる側に定着するな~。私は(いつものように)あまり気にしないだろうが、皆さんはどうか。何か言われても反論するだけ無駄だと思うが、耐えられるか。何しろ、そこにあるのは論理ではなく空気なので「こいつは叩く相手」「こっちは持ち上げる」という二択しかない。ここから挽回するのは相当骨が折れる。そして、私が当惑している通り今回の日本語ツイートについては擁護出来る要素が見当たらない。無理矢理になら、褒める事は出来るがすぐに反駁されてしまう。謝罪自体が「卑怯」だからである。

この話題をどう幕引きするか難しい。勿論、話題としてそもそも取り上げなければそれで済むのだからそれなら簡単極まりないが、どうしても引っ掛かるものは残る。あれは一体何だったのだろう…多分、一生ついて纏う。「忘れる」のが最善手であろう事に同意せざるを得ない。

場合によっては、無意識日記はただひたすらに過去を振り返るだけの懐古日記になるかもしれない。それだけでも語る話は沢山ある。未来に希望が持てなくても人は案外生きていける。化石発掘に人生を捧げた人なんて幾らでも居るだろう。いやま彼らだって「新発見に満ちた未来」に希望を抱いているとは言えるのだが。

次にヒカルがどうするかというと、暫く黙ってほとぼりが覚めた頃に、というのがパターンだが、どれ位時間が癒やしてくれるやら。今回作られた「叩く空気」は、案外残る。話題にのぼらなければすぐに忘れ去られるとはいえ、また話題にのぼれば「そういやこいつの空気はどうだったかな」という風になる。具体的なエピソードが忘れ去られていても、空気の示唆さえ掴めてしまえば後は、人の口には戸が立てられない。もうそれだけである。

このまま復帰するのは難しい。いや、勿論復帰はすればいいのだが、果たして歓待されるのだろうか。熱心なファンを相手に商売するのならまだしも、Pop Artistとして不特定多数を相手にするには旗色が悪い。そして、リカバリーの方法は、このままでいくと、ない。おめでたで一年休養が、やっぱりいちばんいいんじゃないかと…。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )