無意識日記
宇多田光 word:i_
 



@utadahikaru
ここんとこ左半身をやたら重点的に蚊にさされてるんだけどなんなのこれ…
2014年6月24日 12:23

人間の神経系は、右半身が左脳と、左半身が右脳と各々繋がっている。もし右脳に異常があれば、ないしは、右脳と左脳のはたらきにズレが生じれば、右半身と左半身の状態が異なる、という可能性は十分有り得る。例えば、左半身のみ発汗量が多くなるなど。蚊は二酸化炭素濃度を探知して接近してくるんだったか、詳しい事は知らないが、発汗による気化によって体表面の空気の拡散度に違いが出るかもしれない。交感神経・副交感神経の機能に異常が出ていないかどうか調べてもらうのもいいだろう。

ただ、事実は恐らく、風向きが陽の向きなどの自然条件なのではないか。また、31年も生きていれば蚊に刺される経験回数も増える。たまたま左半身に集中する日が1日あってもおかしくはない。平均すれば左右均等に刺されているだろうが…いや、そうとも限らない。人間の身体は左右対称ではない。もしかしたら、Hikaruは普段から左半身の方を多く刺されていたのに、31年経って初めて今日、その事実に気がついたのかもしれない。発汗量の話をしたが、例えば汗腺の密度が左半身と右半身でそもそも異なるというのは有り得る。実際私も、手汗をかくのは右手で、左手はあまり濡れない。そういう個人差もある。いずれにせよ、身体の何処を蚊に刺されるかなんてどうでもいい。感染症にだけは気をつけて。


Another ChanceのDemo Version、再生時間にして1:11のところだろうか。Hikaruはこう話しているように聞こえる。

『Let's combine the two good ideas, make a great idea.』

囁くように言っているので正直よく聞き取れないのだが、つまり「2つのよいアイデアを繋げれればもっといいアイデアになる」と言いたいのだろう。

これを聞いて、即座に星新一の事を思い出した。皆さんご存知、掌編小説を1001編書いた天才作家だ。余りに多作な彼にある人が「どうやってアイデアを生み出しているのですか?」と問うたという。彼はこう答えた。

「異質なもの同士を結び付ける。これに尽きる。」

Hikaruの言っている事とは若干ニュアンスは違うが、いずれも、アイデアにとって本質的に重要なのは「Combine=結び付ける事」なのだという事は伝わってくる。星の方は青と赤を混ぜたら紫になった、という意味だろうし、Hikaruの方はハンバーグにチーズを載せたら美味しくなった、みたいな意味だろう。どっちにしても「結び付ける」事で新しい局面が開ける、と説いている。Hikaruのは独り言なだけに余計に説得力がある。

「結び」とは終わりの事だ。「千秋楽結びの一番」みたいなね。「結ぶ」とは端と端を繋げる事で、アイデアの限界=終端を乗り越える事を意味する。何かと何かを結ぶ為には、アイデアの限界まで辿り着かなければならない。その為には、まずは手を動かしてみる事だ。なんだろう、これは私の独り言。

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さて、書いてみるしかないか。

バグダッドカフェという映画は見た事はないが、主題歌は知っていた。というか、歌は知ってたけど、あぁそうか、これは映画で使われていたんだねという具合。そういう事はよくある。

昔のミュージカル映画の主題歌・挿入歌などは、先に歌だけに親しみ、それが映画に使われていたのを知るというパターンが殆どだった。こどもにとってはその傾向がより顕著で、サウンド・オブ・ミュージックやメリー・ポピンズやチキチキ・バンバンや…いずれもファミリー向けというかこども向けの内容なのだが、小さいこどもにとってスクリーンの前で2時間じっと起きてるのは無理な話だ。眠るかはしゃぐかどちらかだろう。しかし、歌なら3分5分だから何とかなるもんだ。

それに、映画本編は映画館に行かないと見られないが、歌なら家に居てもテレビやラジオから流れてくる。いきおい、歌に親しむ人が増える。そうやって、映画発のスタンダード・ナンバーは形作られていく。

「残酷な天使のテーゼ」は、UHF系アニメ初でありながらスタンダード・ナンバーになった希有な例だ。あからさまに言うと、Beautiful Worldがそれに迫れなかったのはちと悔しい。何より、カラオケで歌いやすい使いやすいというのが残テの強みなので、本人ですら歌うのに苦労する美世界はスタンダード・ナンバーにはなりにくいのかもしれない。

何より、美世界は宇多田ヒカルにとって「数ある名曲のうちのひとつ」でしかない。これが案外大きいのかもしれない。宇多田ヒカルといえばBeautiful World、ではまるでない。それが証拠に、EVA序破において、より大きく取り上げられるのは「主題歌がBeautiful World」である事よりも「主題歌が宇多田ヒカルであること」の方だ。曲より人の話題性がまさった。これが現状である。

桜流しはもっと違う。あそこまでいくとサウンド・トラックの一部、映画の一部であって、映画を離れたスタンダード・ナンバーとはなかなかなりえない。カラオケにも全く不向きだ。ラジオでさえ使いづらい。何より、キャッチーじゃないし。そういう意味においては、少し作品性を高めすぎたかなという気はする。私自身はそういう事は全く無く、ひとつの楽曲として単体で捉えているが。

ヒカルは、バグダッドカフェを観てこの曲、Calling Youを選んだのだろうか。それとも歌を先に知ってから映画を観たか、この時点では映画も観ずにただ歌を知っていただけか。いずれかはわからないが、映画をイメージするかしないかで歌へのアプローチは変わっただろうな。私は映画を観ていないからその差があったとしてもわからない。最初に聴いた第一印象といえば、イントロのピアノがFINAL DISTANCEの出だしと同じコードなんじゃないの、という事だった。もし仮に、このカバーがこのあと2,3年後のヒントになっていたとしたらそれはそれで興味深い。もし当時先にこちらのカバーが発表されていたとしたらFINAL DISTANCEの印象はどう違っていただろうかな。発表順というのは本当に重要だ。

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