無意識日記
宇多田光 word:i_
 



先週発売になった英国のプログレッシヴ・ロック・バンドANATHEMAの新譜「DISTANT SATELLITES」がなかなかの力作で嬉しい。Sound Cloudで全曲フル試聴が出来るので聴ける環境にある方は是非。細かい感想やリンクなどは実況アカウント(@i_k5k5)の方に土曜日に書いておいたからそちらを参照の事。この後シドニアの騎士のニコニコ実況をするかもしれないのでログが流れちゃってたらゴメンナサイ…ってtwilogがあるじゃないか。こちらにアクセス。→ http://twilog.org/i_k5k5/date-140607

さてそのアルバムの中でもハイライトは、デビューして20年近く経つというのにここに来て初めて(だわな)自らのバンド名を冠した6曲目の"Anathema"だろう。邦題表記だとアナセマの"アナセマ"だ。カタカナだと何か力が入らないなぁ…。

年間ベストチューン候補にも数えられようかという素晴らしい楽曲だ。儚げなピアノの調べから始まり、「失う事」をテーマにヴォーカルが切々と歌い上げ、そこにストリングスが絡んできてベースとドラムが入ってきて次第に音像が盛り上がっていき、迫力あるバンドサウンドをバックにエレクトリックギターの調べが切々と叙情旋律を奏で楽曲がピークを迎えた後すうっと波が引いていくように楽曲冒頭のピアノの旋律に回帰し、静かに終わっていく…そういう展開を見せる曲なのだが、こうやって説明してみて気が付いた。僕がいつもここで何度も絶賛している"桜流し"の解説と殆ど同じではないか。

勿論、メロディー自体は似ても似つかないし、細やかな楽曲の構成力、圧倒的な密度、引き締まった曲展開(実際、桜流しの方が2分ほど短い)、そして何と言っても絶品の歌唱力と、あらゆる面で桜流しの方が"格が上"なのだが、しかし、そう、聴き比べてみると確かに全く同系統の楽曲だ。いや、つまり私の好みって事ですかそうですか。

いやいや。試しに、この"Anathema"がEVAQのエンディングに流れたと想像してみても、これが意外に嵌るというか、元々サウンドトラックっぽい楽曲という事もあって(それ故どこか"嘘っぽい"んだよな)、これがハマるのだわ。桜流しの代役が務まる位に力のある楽曲ではある。

楽曲終盤の最も盛り上がる場面をヴォーカルがかっさらっていくかリードギターがかっさらっていくかの違いはあれど、ほぼ全く同じドラマツルギーを見せるこの2曲。つまりは、ヒカルの書く楽曲(というか桜流し)は、モダンな英国プログレッシヴロックの息吹きに近いものがあるという事だ。英国で"現役感"のあるプログレッシヴロックバンドは本当に数少なく、ANATHEMAはそのひとつだが、そこらへんのバンドと共通する楽曲も書けるというのは、"今の英国"を肌で感じて知っている者の強みであり、それと同時に、ヒカルも作曲家として"現役バリバリ"である事を意味する。もうこうなったらヘタな日本のテレビドラマとのタイアップとかはいいから、英国で一流のミュージシャンたちとコラボレートしながら世界に照準を合わせた曲を書いていって欲しいものだ…ってすいません些か言い過ぎましたか。


先程"あらゆる面で桜流しの方が格上"と宣ったが、実は完全に負けている点がひとつある。サウンドプロダクションのクォリティーである。聴き比べてみると、楽曲のスケール感は桜流しの方が上なのに、実際に耳に入ってくるサウンドは明らかに"Anathema"の方がダイナミックでクリアーで美しく、音像が広く抑揚が激しくスケールがデカい。初めて両曲を聴いた人に訊ねたら、桜流しの方は「何か遠くの方でもごもご不明瞭な歌を誰かが歌っているような」みたいな事を言われかねない。それ位に音質に差がある。この音質のせいで桜流しが"誤解"されているとしたらもう居ても立ってもいられない…しかしどうしようもないよなぁ…嗚呼、勿体無い。


何だかいつも書いてる事を違う角度から描写しただけになってしまったが、こうやって、局所的にでも"ライバルとなりえる曲"と比較する事で、桜流しが如何に優れた楽曲かをもう一度噛み締める事が出来た。こういうのも、悪くない。

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さて今日6月9日はEMIA&Rの梶さんの誕生日、だよね? まぁ別に違っててもいいや。A&Rが今何を考えているか。

前も書いた通りCDの価格を決定付けているのはレコード会社が持ち出している制作費と広告宣伝費だ。これを宇多田ヒカルの場合どう振り分けているか。

あまり制作費は掛かっていない、というのが見立てである。元々そんなに沢山のミュージシャンを雇う訳でもないし、近年は自宅かそれに準ずるスタジオである程度デモを仕上げてからスタジオ入りしていそうな雰囲気があるので、スタジオ代も他に較べればそんなでもないだろう。フルオーケストラでも使うなら別だけど。ここは、かなり節約できるとみていい。

難しいのは広告宣伝費だ。ここは、比重が増せば増すほど枚数を売らなければならなくなる非常にバランスを取るのが難しい項目。どこに何を宣伝すればどれだけのリターンがあるか見極めねばならない。これこれだけの予算が取れるからといって目一杯、と頑張っても、一定以上は掘り返せるニーズがもうないかもしれないし、あと一押ししておけば売上が何倍にも膨れ上がったかもしれない所で予算にも限界があるからと引き下がっていてはこれもダメだ。本当に読みづらい。

一定程度に専門的なジャンルであれば、中身を聴いてそのクオリティーで売れる枚数は把握できる事が多い。しかしヒカルの相手は大衆だ。中身を聴いただけでは何もわからない。

そしてもはやその大衆向けの市場はないに等しい。ランキングをみてもアイドルとアニメ関連が半分を占めている。

ここで考えるべきは、どちらに展開するか、だ。嘗てのように大々的にマス・アピールするのか、それとももっとこぢんまりと、確実に買ってくれそうな層に絞って、広告宣伝費を抑えて売り込むか。

3月に、A&Rの戦略として興味を引く事例があった。例の、ヒカルが"SMプレイ"と形容した渋谷のビルボード広告だ。1日だけではなく、一週間とか十日とか、兎に角かなりの期間に渡ってFirst Loveのジャケット写真が飾られていた。あれは何を意味するのか。

First Loveは再発盤である。特に豪華盤は、コアなマニアに向けた仕様だった。そんな中で、渋谷のビルボードを占拠したからといってそれをキッカケに豪華盤を買い求めた例など、全体からみれば僅かな筈だ。もっと砕けて言えば、渋谷中のレコードショップの店頭在庫にある宇多田ヒカル商品が総て売り切れたとしても、とてもビルボードにかかった宣伝費はペイできない。そういう事だ。

嘗ては、渋谷はトレンドセッターだった。渋谷で今日売れたものは明日全国で売れる。即ち、渋谷のビルボードは、全国に向けた宣伝という意味合いも強かった。しかし、今回のビルボードをどれだけの媒体が取り上げたのだろう。どれ位の人が目にしたのだろう。そう考えると心許ない。

これはつまり、もっと長い目でみた戦略なのだろう。これからも宇多田ヒカルは、マスに向けて全国にアピールしていく、という。しかし、その知名度に見合った商業的成果がそこまで期待出来るのか。確かに、EVA&KHは鉄板コンテンツで、今後も揺るぎはしないと思うが、こちらをマスと認識するのは難しい。

ある意味、アドバルーンだったのかもしれない。FL15プロジェクトによって、EMIA&Rは宣伝戦略を練り直したのではないか。その成果が、これから現れてくるだろう。彼らがどんな反応を得てどんな作戦を実践するのか。外からぼんやり眺めながらちっちゃく応援していく事にしますかいな。

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