無意識日記
宇多田光 word:i_
 



Another Chanceがセカンド・シングル候補に上がっていた(とまでは言ってないけどまぁ)というエピソードは、つまり最初っからガッチガチに三枚のシングル・カットの予定が決まってはいなかった事を意味する、という所までは言っても構わないのではないか。

というのも、当初からAutomatic~Movin' on without you~First Loveというのは「付き合ってる最中」~「別れる時」~「別れた後」という時系列に沿って一人称の恋愛を描く"恋愛三部作"として認知されてきたからだ。実際、アルバムにおいてもこの3曲はIn My Roomを挟んでリリース順に並んでいる。そもそもの"デビュー曲"であるtime will tellはB面トップの位置である。(実際のアナログ・アルバムのじゃないよ念の為。アルバムの中での位置付けの話です)

こういう認知のされ方をしていたのだから、基本的に最初っからこの3枚のシングルはこの順番で行こうという計画が(決定事項ではなくとも)あったのだろうと思われてきた、いや取り敢えず私はそう思っていたのだが、ここにアナチャンが話として入ってくるのだとしたら「後付けだったのかな?」という疑いが擡げてくる。

いや、実際の所はどうでもいいんだ、シングル・リリースの順番なんて。言ってる割に大して気にしていない。どちらかといえば気になるのは、結局この"アルバム"も、個々の曲が愛されていて、アルバム全体として評価されている訳ではない―というか、そもそも単なる"曲集"なのだからそれが普通だ。

今まではそれでよかった。しかし、ipodの出現以来"アルバム"という概念は解体されてきている。要らない曲まで買わせるな。それが皆の本音だろう。

だから、こういう"三部作"みたいなコンセプトに、これからはもっと自覚的になるべきなのではないかと思うのだ。シングルカットされた曲の「続き」がアルバムに入っていて…という風になっていればどうか。もっと言えば、三部作が4つ入った12曲ならアルバムとして買いたくなるのではないか。そういう工夫を明示的に出来ないものかと。

ヒカルが最後のシングルCDをリリースしてから6年が経った。あれが最後かもしれない。私は更に踏み込んで、アルバムなんて要らないんじゃないか、次のLPはSingle Collection Vol.3でいいんじゃないかと何度も書いてきた。

ロックやクラシック、ジャズといった各ジャンルはアルバムとしての様式が確立しているからそれらのジャンルのファンはアルバムを買い続けるだろう。私もその1人だ。それらは、ちゃんと最初からアルバムをひとつの作品として捉えて作られているから、ちゃんと全曲聴かないと物足りない。しかし宇多田ヒカルのアルバムにはそんなものはない。あの素晴らしい曲順を誇るHEART STATIONですら、ヒカルは曲順会議に参加していない。せいぜい、最後の曲のチョイスにはアルバム作品としてのバランスを考えたのかな?とは思うが。しかし、Celebrateの代わりに他の曲が入っていたとしても、HEART STATIONは名盤だっただろう。逆説的な話だが、あれがただ曲を寄せ集めただけの作品だったから、そう言う事が可能なのである。全曲あんなクォリティーで仕上げる宇多田ヒカルにそういう意味での死角なんかなかったのだ。

つまり、まだ問題は起こった事がない。だからこその提言なのだ。次のLPは、余程の工夫をしないと売れないんじゃないか。これだけスマートフォンが普及してしまっては、かなりの人間が何かタイアップのついたシングル曲をダウンロードするだけで済ませる。それならいっそアルバムを諦めるか、そうでないのなら何かアルバムに"音楽的な興味"を喚起するものがないと、それはSingle Collection Vol.2に遥かに及ばない売上になるだろう。例えAmazonMP3やiTunesStoreで年間No.1をとるような大ヒット曲が出たとしても、だ。そこに作り手側が危機感を持っているかどうか。全曲に思い入れを抱かせられる工夫をどうするか。それでもLP売りたいのなら頑張るしかないんじゃないか。

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上半期の総括か~。取り敢えず結婚なのだろうが、本人からのステートメントがあれだけなのでそれだけかなという感じ。彼は一般人なのだからもっと静かでもよかった。

しかし、シンガーソングライターの場合、私小説家以上に私生活に興味を持たれるのは致し方ない所。それが嫌なら最初っからテレビでのプロモーションを諦めた方がよかったのだがこれも今となっては後の祭り。どれだけ売上が落ちぶれようとも「嘗て一世を風靡した人」は延々ゴシップの種として扱われ続けるのだろう。

とはいえ、そこまで今回の結婚話が盛り上がったかというとよくわからない。ああそういえばそんなこともあったねという程度で済まされるレベルだろう。毎日とか毎週とかテレビに出てる人たちとの差はこんなところにも表れる。何もかもがピンポイントなのだ。皆にスタジオで「結婚おめでとう~」と祝福される場面もない。しかしパパラッチには追い掛けられる。ネタの出来たテレビや雑誌新聞紙や、ある程度宣伝になったレコード会社には多少メリットはあったかもしれないが本人はひたすら損ばかりしている。割に合わないねぇ。システムの外に居るのにシステムに利用されるとは。

あんまり総括っぽくないが、それが今の"宇多田ヒカル"ブランドの立ち位置だという事だ。多少はFL15の販売に好影響があったのだろうか。でなくば報われぬ。このまま行くとずっと損をしたままという流れになりそうだが、結局先の事はわからない。今の現状は、ただ単に、これ位の宣伝をすればこれだけの人たちが買ってくれる、というだけの事。FL15豪華盤に関しては9割方の人間が何らかの形で@utadahikaruや@hikki_staffの発言をフォロー出来ているだろうから、連日Botで宣伝ツイートを入れておけば最初の5000セットは完売していただろう。そこまでの広告宣伝費はほぼ0に近い。渋谷のビルボードは、いわば「存在感」を敷衍する為の手段なので、その意義は復帰後に品定めされるだろう。今はまだわからない。

何もかもが中途半端な立ち位置だ。しかしそれこそがHikaruの元々望んでいた事だろう。No Genre/ノー・ジャンル。音楽的にどこにも属さないだけでなく、活動のスタンスやファン層などもノー・ジャンル。そりゃあゆらゆらふわふわもするわいな。

こうなってくると、例の、"スコットランドにルーツを感じる"発言はどう捉えるべきか。スコティッシュ・ミュージシャンたちとのネットワークの中に入るか。新居をそちらに(も)構えるか。これもまた様々な兼ね合いで決まる。ただ、ゴシップとパパラッチに本当に嫌気がさしてきているのならメジャー・レーベルから一旦ドロップした方がいいだろう。ファンの方は"個"を発信するツールさえ確保しといてくれれば大丈夫。なんだけどそれってもう庶民レベルで実現しちゃってる訳だから結局は「何も特別な事はしなくていい」。新曲が出来たらYoutubeにCD以上の高音質でアップロードすればいいし、インディーズ向けの配信システムもあるにはある。制作資金がなければクラウド・ファンドでも何でも方法はある。要は、何でも出来るのだ。この半年、「昔は凄かった」というサイドの話ばかり目にしてきた気がする(15周年記念企画だからそれも当然)が、今後もそれに乗っかっていくのだろうか。何がしたいのかがわからな
いならやった事をただただ示していくしかないだろう。待ちの姿勢です。

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