芸風は、その誤読のなさ故に世代間対立も継承も薄い。体よくいえばココは"最後の楽園"であって、音楽的に軽蔑される心配も薄く、感性の赴くママ楽しめて、然も光の場合抜群の実績と知名度があるから社会的居場所も確保されている(「誰のファン? アー宇多田ね」)。イイ事尽くめとしかいえないのだが、僕らはすぐにソレを忘れて新曲はメッセはと騒ぎ立てる。手前勝手なものだナ、と思ってきたが寧ろコレはファンの側の"献身の精神を満たせない苛立ち"の顕れかと思う様になった。欲張りな話だが、人には対立や継承を通して帰属への貢献を感じたい心が不可避的にあるんだろうな。
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