つばめ江戸日記

岡本茉利さんや好きなアニメ、声優、時代劇等について好き勝手に思う事を書き連ねています。

一人カラオケ体験談

2018年03月31日 | その他
少し前に空いた時間を利用し、一人でカラオケに行ってみました。
普段の私は大体、アニメソングばかり歌いますが
今回も大体はアニメソングで、一部歌謡曲も歌うと言う感じでした。

まずは岡本茉利さん関連の歌を何曲か歌いました。
…と言っても、茉利さんご本人の歌は元々そんなに多くない上に
今回はDAMを使ったので
いつも歌っている「花ごよみ」は歌えませんでしたが
それでも、いつも歌っている「ヤッターキング」や「スパンク」
あとは普段は歌わない「ルンルン」も歌ってきました。

茉利さん関連以外ですと、こちらも普段からよく歌う『GS美神』の主題歌
『オレンジロード』の「鏡の中のアクトレス」
「グレートマジンガー」と言った所から
逆に普段は歌わない「キューティーハニー」も歌いましたし
DAMだったのでDAMにしかない『美神』のエンディング「Believe Me」
あと、まさかあると思ってなかった聖闘士星矢の新作での
鶴ひろみさんのキャラソン「命の花」があって
これはかなり良い歌でしたから、歌ってきました。

最終的には、同じ歌を何曲か複数回歌った筈なので
15曲位歌ったと思います。

今さらながら、カラオケでの主な歌の感想

「ヤッターキング」
アニソンの中でも特に好きな歌で、いつも歌っております。
歌いやすい歌ではありますが、絶叫部分がいい加減になる時があって
そこをもう少し上手くこなしたいと思っております。

「花の子ルンルン」
普通は男声で歌う歌じゃないんですが
一回歌ってみたかったので、試してみました。
思ったよりは歌いやすかったかな?

「命の花」
これは非常に良い歌で
鶴ひろみさんの歌の中でも、一二を争う位好きな歌ですが
カラオケで歌えるとは思っていなかったので、歌えたのは良かったです。
自分の声は明らかに男声ですが、思ったよりは歌いやすい気がしましたので
機会があったらまた歌えそうな気はします。

「地上最強のGS」(美神の鶴さんのキャラソン)
歌部分はそんなに難しくはないのですが、台詞部分が本気で難しい
鶴さんの真似ができる訳ないんですから
飛ばした方が良いのかもしれませんが
実際に歌うと、やってみたくなってしまって
ついつい出来もしないのにやってしまうんですよね。

「キューティーハニー」
これも男声で歌う歌では絶対にありませんが
一人なんで、ノリノリで歌ってしまいました。
良い歌ですし、歌いにくくはありませんが
人前で歌うと凄く恥ずかしいので、ちょっと披露するのは考え物です。

余談ですが、カラオケの歌については今はカラオケで歌える曲も
あまり人から歌われない場合は、リストから無くなると言う
レンタルDVDなんかと同じ構造になっているらしくて
今後も歌いたいと思う歌はカラオケに行った際に
どんどん選曲した方が良いようです。

歌ってみると意外と難しい

2015年10月24日 | その他
普段のカラオケでは歌謡曲中心(最近の曲は不得手なので)な方なのですが
先だって行ったカラオケでは、アニメ・特撮ソングを色々と歌ってきました。
 
ところで何度もカラオケに行くと、
普段聞いていたり、鼻歌で唄う分には楽だけど
実際に歌うと、思った以上に難しかったり、
音域が自分に合わないと言う事も結構ありました。
今回は、(アニメ・特撮系限定で)個人的に歌の出来がいまいちだった曲、
意外と難易度が高かったと思った曲を挙げてみます。
 
まず挙げますのが「オレンジミステリー」(オレンジロードの主題歌)
これは、英語の部分が結構多くて、元々英語力が拙い上、音程が高めで、
途中で正直失敗したかな?と思っていました。
 
次に挙げるのが「大鉄人17」のOP
この歌はサビの部分で
「♪オウオオ~オウオオ~」って何度も連呼しなければならず
しかも全体的に割りとテンション高めの曲なので
歌うには体力が要ります。

歌自体は高揚感溢れる歌で、乗れれば凄く盛り上がると思いますが
「オウオオ~」を連呼する部分の難易度は
結構(私の基準では)高かったです。
 
最後に挙げるのが「クックロビン音頭」
この歌は、歌そのものはそんなに難しくはないのですが
実はこの歌は間奏が無くて、ぶっ続けで歌う事になるので
意外と一人で歌うときつかったです。
あと、合いの手入れてくれる人がいない場合
一人で合いの手までやる事になりますので、
そう言う意味でもきつかったですね。

竜劇隊メンバー紹介

2014年03月29日 | その他
今回は湯野浜の公演に参加している沢竜二氏や、
茉利さん以外の竜劇隊メンバーについて
簡単な寸評と言うか、私つばめの感じた印象をまとめてみました。
本来は全員ご紹介する所なんですが、今年初めて来られた方もいましたので
常連と言うか何度も湯野浜に来られている主要メンバーに限らせてもらいます。
 
沢竜二さん→大衆演劇のスターにして、
茉利さんの大衆演劇でのお師匠さんです。
長台詞をポンポン喋ったり、重みのある歌声を披露されたり
東京に一旦戻って、再び飛行機で山形に帰ってきて公演に参加されたり
活動的過ぎて、とても80歳近くの方とは思えない若々しいお方でした。
実は今年の公演では、
偶然私の乗っていたエレベーターに入って来られた事もありましたが
あまりに緊張してしまい、何か話そうかな…
と思っている内に別の階で降りられた、と言う出来事もありました。
 
木内竜喜さん→沢さん不在時の竜劇隊のまとめ役
芝居で、茉利さんがよくこちらの相手役を務める事が多い気がします。
中心メンバーでありながら
舞踊では、結構笑いを取る役割をこなす事もあります。
ちなみに私は以前、
木内さんから元巨人の斎藤投手に似ていると言われた事があります。
 
峰珠都さん→良い役から悪い女までこなす竜劇隊の貴重な華
確か普段は舞踊を教えていると伺った覚えが…
 
青山郁彦さん→竜劇隊の副座長の一人
日光江戸村にいた事があると言う経歴の持ち主で
キャリアを生かしたアクロバティックな動きが持ち味
この方は特に舞踊の時に、会場狭しと動き回る方で、
迫力ある動きを見せるなあ、と見る度に驚かされています。
余談ですが、開場前に入口で待っていると
よくこの方に挨拶される事が多いですね。
 
ひかる光一さん→こちらも竜劇隊の副座長の一人
芝居で茉利さんがこちらの相手役を演じる事も何度かありました。
舞踊では綺麗な女形姿等が印象的でした。
ただ、今年は諸般の事情で山形に来られなかったのが、残念でした。

大震災当時を今振り返る

2014年03月15日 | その他
今週の火曜日(3月11日)に、あの東日本大震災から丸3年を迎えました。
当時のブログで記した事と重なる部分もありますが
今さらながら、震災発生当時及び発生後
印象に残った事を振り返ってみます。
 
震災当時、私は山形県鶴岡市内の屋内にいました。
地震の発生直後は、長く強烈な揺れが続く間、机の下に隠れていまして
あの地震でまず記憶に残ったのが
地震直後からしばらく感じた地震酔いのような変な感覚でした。
 
その後、鶴岡から自宅に戻りますと停電していまして(翌日に復旧)
当日の寒さと真っ暗な夜の街の不気味さに
当時、かなり不安を感じたのも忘れられません。
 
翌日以降、津波による被害等
大震災の被害の全容が徐々に明らかになってきますが
それと共に、私の身近でも物資不足が起こったのです。
今でも覚えているのが、
ガソリン不足になり、ガソリンスタンドに行列が出来た事や
コンビニの商品が品薄状態になった事ですね。
 
ところで、そんな大震災があったに関わらず
翌日の3月12日に
茉利さんも出演された湯野浜での竜劇隊公演を私は見に行っていました。
あれだけの事があったのに、何故見に行ったのかと言いますと
実は12日に公演先のホテル海山に
電話して公演があるか聞いてみた所、電話が不通だったからなのです。
 
電話で分からないのだったら、この地震で流石に公演も休演だろうけど
食料等の買い出しに行くのを口実(実際に買い出しはしましたが)に
海山に公演が中止になっているのを直に確認しに行ってみよう
と言う軽い感覚で、海山に行ってみた所
普通に公演を行うとホテルの人が言っていたので
だったら、公演を見て
茉利さんの元気なお姿を見て行こうと言う事になった訳です。
 
途中、少し脱線した話を交えましたが、
最後に改めて大震災で命を落とされた皆様のご冥福をお祈りいたします。

同姓同名の有名人

2013年01月05日 | その他
時代劇等でおなじみの俳優の近藤洋介さん、大出俊さんと言えば
『必殺』シリーズで殺し屋をやったと言う共通点もありますが
お二人とも、同姓同名の国会議員がいる(いた)と言う共通点もあります。
(近藤氏は民主党の現職代議士、大出氏は日本社会党の元議員)
 
似た話で、知ってる方も多いと思いますし、私も少し前から知っていましたが
最近、たまにテレビ等で”おかもとまり”と言う方を見かける事がありますよね?
(名前は知っていますが、
恥ずかしながらテレビなんかで実際に見た事が無いせいか、
どう言う方かあまり分かっておりません)

我らが岡本茉利さんと全くの同姓同名と言う訳ではありませんが
読みが全く同じ”おかもとまり”なので、
紛らわしいと言えば紛らわしい事になっています。

意外と好きです

2012年04月14日 | その他
色々と趣味がある私ですが、中には人に言いづらい趣味もあります。
その一つが少女漫画をよく読んでいる事です。

私が特に好きなのが曽祢まさこ先生の作品
以前に怖い顔の漫画の話をこちらでした事があるのですが
実はそれが曽祢先生の作品(作品名は「ジェニーの微笑」)でして
その作品を興味本位で見つけた際、
近くにあった曽祢作品を何気なく読んだら、何故か魅かれてしまい
コミックス(文庫版ばかりですが)を何冊も購入するに至りました。
 
曽祢作品で私が特に好きなのが
「悪魔の十三夜」、「魔女に白い花束を」、この辺りの作品です。
もちろん、代表作の「不思議の国の千一夜」も好きですし
「ブローニィ家の悲劇」とか「夢の園のミア」も良かったです。
 
「悪魔の十三夜」は主人公マデリンの母親が非業の最期を遂げる場面と
マデリンが己の正体に気付くシーンが非常に印象的でした。
ラストはハッピーエンドではないと思いますが、余韻があって良いです。
 
「魔女に白い花束を」は魔女狩りをテーマにした作品です。
ほのかに芽生えた愛が非情な現実に砕かれる悲恋モノで
登場人物のほとんどが不幸になる(と思う)のですが、
そんな絶望の中にも希望はある…と言う感じのラストが印象深いです。
 
このように書くと、曽祢作品って
後味の悪い作品ばかりなのか?と思われそうですし
実際そう言う作品も多いようですが
一番の代表作「不思議の国の千一夜」なんかは、
同じ人の作品とは思えない位
コメディタッチで楽しい気持ちで読む事が出来ました。
 
あまり馴染みの無いジャンルではありますが、
興味があれば書店等で手に取ってみて下さい。

一年間のご愛顧、ありがとうございます

2011年12月26日 | その他
ちょっと早いですが、2011年を振り返ってみたいと思います。
今年は、何故か声優をはじめとするアニメ関係者の訃報が多く
滝口順平さん、小林修さん、川上とも子さん、黒沢良さん、
出崎統監督、荒木伸吾さん、芦田豊雄監督、中村光毅さん等々が
亡くなられました。
 
それに加え、児玉清さん、竹脇無我さん
坂上二郎さん、田中好子さん、
細川俊之さん、原田芳雄さん
立川談志師匠等々
昔からよくテレビで知っていた方も結構亡くなられました。
こうした訃報を聞くたび、時代は移って行くのだな…
と言う思いを強く抱かされます。
 
あと、言うまでもありませんが、
3月に発生した東日本大震災のお陰で色々と大変な年でした。

我が地元は、地震による直接的な被害は
半日以上に渡る停電のみでしたが、
それでも、停電中は町が死の街のようになりましたし
地震直後には、食料品を買い出しに行く事になるわ、
ガソリン入れる為の行列に並んだり、
余震が頻発する状況も相まってか
大丈夫だろうか?と絶えず思いながら
しばらくの間、生活していました。
 
その後、時が経つにつれ、地震そのものでの混乱は収まったものの
福島第一原発の一件に伴う混乱は未だに続いております。
来年は、様々な事案に心を乱される事が少ない年に
なって欲しいものです。
 
最後になりますが、俳優の入川保則さんが亡くなられました。
入川さんは、水戸黄門等の数多くの時代劇で活躍された方で
最近ではガンに侵され、余命宣告を受けながらも
延命治療を拒否し、精力的に活動されていました。
 
少し前に書店で入川さんの著書を読みましたが
ガンに侵されながらも
それを人生の終りを考える良い機会になった
と言った感じの入川さんの言葉に
柄にもなく、生と死なんて事を考えたりもしました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

5月の雪の壁

2011年05月07日 | その他
今週、地元の庄内から山形市に出かけたのですが、
帰りに国道112号を通って帰った際
窓から外の風景を見ていますと、112号は山の中なので
道路のあちこちにまだ雪が残っている所が結構ありました。
 
酷い所だと雪の壁みたいなのが未だに残っていまして
例年だと、112号でも
5月に通る時は大抵の雪は消えていたのですが
今年は例年に無い大雪だったから
その時溜った雪が、溶けないで残ってしまっているんでしょうね。

流石に夏場になれば溶けると思いますが、
あの量は夏まで残っていても不思議ではないかもしれません。

また地震と停電

2011年04月09日 | その他
東北・関東大地震から間もなく一月になろうとしておりますが
一昨日、またしても強力な余震が発生しました。
揺れ自体は短いものの、縦揺れが中々強力でしたし、
自宅でくつろいでいる際に突然地震に襲われたので
大きい建物の中にいた本震の時とはまた違った恐怖を感じました。
 
しかも直後からあの時と同じように停電が発生しました。
前回の地震は昼に発生し、
夜になるにつれ電気が無い…と言うのを実感させられ
徐々に奈落の底に落とされる感じだったのが、
今回は不意打ちであっという間に電気が消えてしまい
あっという間に奈落の底に突き落とされる感じでした。
 
地震直後に見た光の全く無い町、家が再び戻って来たと言うのは
見た目的にも精神的にも本当にきつかったです。
ただ、幸いな事に朝になったら電気は復旧しまして
現在は普段通りの生活に一応は戻っております
 
ただ地震当時の私はと言うと、余震が何度も来ていたのもあって
町の防災放送で流れていた緊急地震速報が
停電の影響で途中でぶつ切りになってしまっていたのに気付いたり
地震に悪い意味で慣れてしまって、変に落ち着いて行動していました。
余震もそうですが、地震は油断なりません。皆様もお気を付け下さいね。

3月11日

2011年03月19日 | その他
3月11日午後2時46分、
東北地方でM9.0と言う超巨大地震が起きました。
亡くなられた方、今も避難所にいらっしゃる方々に比べたら
私の被った被害などたかが知れていますが、
この地震で体験した色々な事を忘れない為にも、地震当日起きた事を
簡単ではありますが、ここにまとめておきます。
 
11日の地震発生当時、
私は鶴岡市のある場所(屋内)で地震に遭遇しました。
発生の瞬間は誰かの「地震だ!」の声が響き、
部屋にいた私の回りには4・50人位の人がいたと思いますが
皆一様に、机の下に潜り、落下物から身を守ろうとしました。
 
机の脚を掴み、懸命に揺れをやり過ごしますが、
何分も続くかのような気持ち悪く強烈な揺れが続きました。
何分経ったか分からない頃ようやく地震は治まり、
(実際それほど時間は経っていなかったかもしれませんが)
不思議な事に私のいた場所が
自家発電なのか、たまたま運が良かったのか
停電もしておりませんでした。
 
その後、余震を気にしながら
1時間位した後、帰宅する事になりました。
車中のラジオで県内のあちこちで停電が起きていると聞き、
何となく自宅も停電してるのかな?
と嫌な予感をさせながら、家に帰ってみると
案の定、“停電”していました。
 
この停電によって、当日の夜はろうそくや懐中電灯で部屋を明るくし
幸いガスと水道は無事だったので食事は何とかなったものの
パソコンはできない、CDは聞けない、時代劇も見れない上
暗くて本さえ読めないと、する事が何もなく
家族とラジオで情報収集し
被害が悲惨そうだなと家族と話ししながら、
余震に怯えると言う生活をしておりました。
 
おまけにこの日結構寒かったから
する事が無いので早めに寝たものの
寒さと余震が気になり
結局眠れないと言う悪循環に陥っておりました。
 
翌日、何とか電気が復旧した時には本当にホッとしました。
現在は輪番停電と言う話が出たり、
ガソリンを中心に日用品が手に入りにくい状態にあるのが
凄く不便ですが、一応は普通に生活できる状態にあります。