「え、かけないんですか、マヨネーズ?」
「かけないよ、普通、冷やし中華には!」
山形駅から天童方面へ向かう観光バスの車中、山形の味覚を紹介するガイドと乗客との間で、こんなやりとりが何度となく繰り返される。山形の庶民的な食文化は、世間一般のそれと驚異的に違う点が多く、冷やし中華にはマヨネーズが欠かせない、ぐらいは序の口。見た目は普通のラーメンと同じだが、スープに氷がごろごろ浮かんだ冷たい「冷やしラーメン」、戦時中、牛肉が不足した山形で考え出された、鳥肉のぶつ切りを具に使った「肉そば」、そのほかにも、モツ煮ラーメン、納豆そばなど、枚挙にいとまがない。そんな話ばかり聞いていると、今日の昼飯は一体、何を食べさせられるんだろう、と心配になってしまう。食べ物の話で盛り上がる珍道中がさらに続いた後、バスが停まったのは東根市にある『ふ会席料理処 清居』。ここは、名物の六田麩を使った懐石料理の店です、とガイドさんから説明が入る。しかし、あのみそ汁に入れるフワフワのもので懐石とは、果たしてどんな料理が並ぶのか想像がつかない。食事は予約制で予定の時間にはやや早いため、時間になるまで隣接する工場で、この六田麩の製造過程を見学することになった。
工場の中へ入るといきなり、焼き上がった細長い麩が、天井から大量にぶら下がっている様子が目に飛び込んできた。まるで、麩の暖簾のようだ。それらをくぐるようにして作業場へと足を運ぶと、あたりには踏み機や練り機など、麩の製造に使う年代物の道具が、ところ狭しと並んでいる。どの道具も50年以上使っているものばかりで、「古い機械でつくるからこそ、いい味が出るんです」と、案内をしていただく店主の文四郎さんが話す。この店の創業は、江戸時代の文久年間と古く、文四郎さんは数えて6代目になるのだという。文四郎さんの話によれば、この店がある東根市の六田地区は、雪解けの良質の水に恵まれていたおかげで、特産だった葉タバコ栽培の裏作としていた、麩の原料である小麦の収穫が豊富だったという。かつては羽州街道の宿場町だったこともあり、収穫された小麦のくずである「ふすま」を、宿場に往来する馬の餌にしていた。このふすまから、グルテン(タンパク質)を取るようになったのが江戸時代の末期からで、当時は貴重なタンパク源だった。これが六田地区での麩づくりの始まりで、昭和30年代にリヤカーで行商されるようになってから、その名が各地に知れ渡っていったという。
ここの麩の作り方の流れを追うと、まず小麦粉を水で練って塩を加えて洗い、澱粉が流れた後に残ったグルテンを一晩寝かせて、小麦粉を加えて練り機にかけてから、焼いてできあがり。「うちの麩は特にグルテンの量が多く、モッチリとした舌触りと、腰のあるシコッとした歯触りが自慢」と、文四郎さんの声に力が入る。そのため、ここの麩はよく熱を加えないと味が出ないので、しっかりと煮込む料理に向いているそうだ。このあたりの家庭では味噌汁や煮物などに入れたりするほかにも、学校給食では、酢豚の肉の代わりに焼き麩を使ったりしている。ちなみに麩は山形のほかに、新潟や仙台など全国で60種ほど作られていて、同じ山形県でも東根などの内陸では丸く肉厚、日本海側の庄内では薄く皮のようなど、各地で形が異なる。「東京の柔らかい麩は、混ぜ物が多いからふわふわ。鯉に喰わすもんだ」との文四郎さんの言葉通り、混ぜ物の多い麩は腰がなく、持った感じが重いそうだ。「カロリーが高い」という先入観を持つ人もいるが、実際にはフランスパンと同じぐらいの大きさの麩2本で、350カロリーしかない。ご飯なら、茶碗に2膳程度の量と同じぐらい。また、麩はよくかまないと味が出ないので、相対的に食べる量が減るため、ダイエット食にも向いているとか。
この文四郎さん自慢の麩に、山形周辺でとれる季節の素材を組み合わせた料理の数々を楽しめるのが、食事処で出される「六田ふ懐石ごっつお」。高タンパク、低カロリーの健康食であるのはもちろん、味の良さも評判を呼んで、女性や年配の方に特に人気のメニューである。六田の麩に関する説明が一段落したので、食事処へと場所を移して、先付に始まり締めの抹茶と菓子まで、計10品の麩の懐石料理を頂くこととなった。まずは、インゲンと生麩をだだちゃ豆で和えたものが、先付として出される。続く「芭蕉盛合わせ」は、揚げ麩のだだちゃ豆巻き、「六田しぐれ」というグルテンの佃煮など、6品の盛り合わせだ。だだちゃ豆は、庄内地方の酒田や鶴岡などで栽培されている枝豆で、「だだちゃ」と呼ばれるのは高級品を指す。それだけに、緑色のこしあんのようなねっとりした甘さが舌に瑞々しい。さらに「芭蕉盛合わせ」の、酢味噌和えや甘辛い六田しぐれと箸を進めて、まずは様々な味付けで麩の味を楽しむ。
つくりは一見、魚の刺身のように見えるが、正体は生麩と生湯葉。何度もくにくにとかんでいると、味が次第に出てくる。東根に近い、寒河江市が特産の食用菊「もってのほか」が散らされていて、花の瑞々しい香りが爽やかだ。刺身というより餅のようで、結構お腹にたまる。さらに揚げ麩と季節のキノコとチンゲンサイを使った雲片(あんかけ)、豆腐てんと焼き麩の酢の物、と進んでいく料理は、どれも趣向を凝らしたものばかり。素材が麩であることを、つい忘れてしまいそうになるほどだ。山形の名物料理である、小芋と牛肉を醤油で辛目に煮た「芋煮」ももちろん、焼き麩入り。牛肉と醤油の味が焼き麩にじっくりと染みていて、小麦から作った麩まで本物の肉の味のような気がする。小芋のねっとりした舌触りも、なかなかいい。
この日はご飯の代わりに、そば粉とグルテンで打ったそばで締めくくりとなった。腰が強い冷やしそばで、かなりしょっぱい汁にミョウガがちらされているおかげで、料理の最後にはさっぱりしていい。そばにのる「うなぎもどき」は、グルテンを片栗粉でつなぎ、刻んだシイタケとナスを混ぜて甘辛く煮た、その名の通りウナギの蒲焼きの似せものである。ごていねいに、ウナギの皮まで海苔で似せてつくってあり、見ただけでは本物と区別がつかない… ということはさすがにないが、身のほろりとした塩梅や、シイタケの旨味のおかげで、かなり魚らしい味わいだ。
麩饅頭と抹茶でお開きにするころには、すっかり満腹になってしまった。それにしても、刺身に牛肉にウナギに変身と、七変化の六田の麩はなかなかの役者である。意外な素材を、意外な使い方で料理に仕立てる山形の食文化だが、料理法も味も結構理にかなっているような気もしてきた。麩の懐石を堪能した次は、先ほどは驚いた冷やしラーメンや肉そばに挑戦してみるのも悪くない。(10月中旬食記)
「かけないよ、普通、冷やし中華には!」
山形駅から天童方面へ向かう観光バスの車中、山形の味覚を紹介するガイドと乗客との間で、こんなやりとりが何度となく繰り返される。山形の庶民的な食文化は、世間一般のそれと驚異的に違う点が多く、冷やし中華にはマヨネーズが欠かせない、ぐらいは序の口。見た目は普通のラーメンと同じだが、スープに氷がごろごろ浮かんだ冷たい「冷やしラーメン」、戦時中、牛肉が不足した山形で考え出された、鳥肉のぶつ切りを具に使った「肉そば」、そのほかにも、モツ煮ラーメン、納豆そばなど、枚挙にいとまがない。そんな話ばかり聞いていると、今日の昼飯は一体、何を食べさせられるんだろう、と心配になってしまう。食べ物の話で盛り上がる珍道中がさらに続いた後、バスが停まったのは東根市にある『ふ会席料理処 清居』。ここは、名物の六田麩を使った懐石料理の店です、とガイドさんから説明が入る。しかし、あのみそ汁に入れるフワフワのもので懐石とは、果たしてどんな料理が並ぶのか想像がつかない。食事は予約制で予定の時間にはやや早いため、時間になるまで隣接する工場で、この六田麩の製造過程を見学することになった。
工場の中へ入るといきなり、焼き上がった細長い麩が、天井から大量にぶら下がっている様子が目に飛び込んできた。まるで、麩の暖簾のようだ。それらをくぐるようにして作業場へと足を運ぶと、あたりには踏み機や練り機など、麩の製造に使う年代物の道具が、ところ狭しと並んでいる。どの道具も50年以上使っているものばかりで、「古い機械でつくるからこそ、いい味が出るんです」と、案内をしていただく店主の文四郎さんが話す。この店の創業は、江戸時代の文久年間と古く、文四郎さんは数えて6代目になるのだという。文四郎さんの話によれば、この店がある東根市の六田地区は、雪解けの良質の水に恵まれていたおかげで、特産だった葉タバコ栽培の裏作としていた、麩の原料である小麦の収穫が豊富だったという。かつては羽州街道の宿場町だったこともあり、収穫された小麦のくずである「ふすま」を、宿場に往来する馬の餌にしていた。このふすまから、グルテン(タンパク質)を取るようになったのが江戸時代の末期からで、当時は貴重なタンパク源だった。これが六田地区での麩づくりの始まりで、昭和30年代にリヤカーで行商されるようになってから、その名が各地に知れ渡っていったという。
ここの麩の作り方の流れを追うと、まず小麦粉を水で練って塩を加えて洗い、澱粉が流れた後に残ったグルテンを一晩寝かせて、小麦粉を加えて練り機にかけてから、焼いてできあがり。「うちの麩は特にグルテンの量が多く、モッチリとした舌触りと、腰のあるシコッとした歯触りが自慢」と、文四郎さんの声に力が入る。そのため、ここの麩はよく熱を加えないと味が出ないので、しっかりと煮込む料理に向いているそうだ。このあたりの家庭では味噌汁や煮物などに入れたりするほかにも、学校給食では、酢豚の肉の代わりに焼き麩を使ったりしている。ちなみに麩は山形のほかに、新潟や仙台など全国で60種ほど作られていて、同じ山形県でも東根などの内陸では丸く肉厚、日本海側の庄内では薄く皮のようなど、各地で形が異なる。「東京の柔らかい麩は、混ぜ物が多いからふわふわ。鯉に喰わすもんだ」との文四郎さんの言葉通り、混ぜ物の多い麩は腰がなく、持った感じが重いそうだ。「カロリーが高い」という先入観を持つ人もいるが、実際にはフランスパンと同じぐらいの大きさの麩2本で、350カロリーしかない。ご飯なら、茶碗に2膳程度の量と同じぐらい。また、麩はよくかまないと味が出ないので、相対的に食べる量が減るため、ダイエット食にも向いているとか。
この文四郎さん自慢の麩に、山形周辺でとれる季節の素材を組み合わせた料理の数々を楽しめるのが、食事処で出される「六田ふ懐石ごっつお」。高タンパク、低カロリーの健康食であるのはもちろん、味の良さも評判を呼んで、女性や年配の方に特に人気のメニューである。六田の麩に関する説明が一段落したので、食事処へと場所を移して、先付に始まり締めの抹茶と菓子まで、計10品の麩の懐石料理を頂くこととなった。まずは、インゲンと生麩をだだちゃ豆で和えたものが、先付として出される。続く「芭蕉盛合わせ」は、揚げ麩のだだちゃ豆巻き、「六田しぐれ」というグルテンの佃煮など、6品の盛り合わせだ。だだちゃ豆は、庄内地方の酒田や鶴岡などで栽培されている枝豆で、「だだちゃ」と呼ばれるのは高級品を指す。それだけに、緑色のこしあんのようなねっとりした甘さが舌に瑞々しい。さらに「芭蕉盛合わせ」の、酢味噌和えや甘辛い六田しぐれと箸を進めて、まずは様々な味付けで麩の味を楽しむ。
つくりは一見、魚の刺身のように見えるが、正体は生麩と生湯葉。何度もくにくにとかんでいると、味が次第に出てくる。東根に近い、寒河江市が特産の食用菊「もってのほか」が散らされていて、花の瑞々しい香りが爽やかだ。刺身というより餅のようで、結構お腹にたまる。さらに揚げ麩と季節のキノコとチンゲンサイを使った雲片(あんかけ)、豆腐てんと焼き麩の酢の物、と進んでいく料理は、どれも趣向を凝らしたものばかり。素材が麩であることを、つい忘れてしまいそうになるほどだ。山形の名物料理である、小芋と牛肉を醤油で辛目に煮た「芋煮」ももちろん、焼き麩入り。牛肉と醤油の味が焼き麩にじっくりと染みていて、小麦から作った麩まで本物の肉の味のような気がする。小芋のねっとりした舌触りも、なかなかいい。
この日はご飯の代わりに、そば粉とグルテンで打ったそばで締めくくりとなった。腰が強い冷やしそばで、かなりしょっぱい汁にミョウガがちらされているおかげで、料理の最後にはさっぱりしていい。そばにのる「うなぎもどき」は、グルテンを片栗粉でつなぎ、刻んだシイタケとナスを混ぜて甘辛く煮た、その名の通りウナギの蒲焼きの似せものである。ごていねいに、ウナギの皮まで海苔で似せてつくってあり、見ただけでは本物と区別がつかない… ということはさすがにないが、身のほろりとした塩梅や、シイタケの旨味のおかげで、かなり魚らしい味わいだ。
麩饅頭と抹茶でお開きにするころには、すっかり満腹になってしまった。それにしても、刺身に牛肉にウナギに変身と、七変化の六田の麩はなかなかの役者である。意外な素材を、意外な使い方で料理に仕立てる山形の食文化だが、料理法も味も結構理にかなっているような気もしてきた。麩の懐石を堪能した次は、先ほどは驚いた冷やしラーメンや肉そばに挑戦してみるのも悪くない。(10月中旬食記)