ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

旅で出会ったローカルごはん84…山形・東根 『ふ会席料理処 清居』の、六田ふ懐石ごっつお

2007年03月17日 | ◆旅で出会ったローカルごはん
「え、かけないんですか、マヨネーズ?」
「かけないよ、普通、冷やし中華には!」
 山形駅から天童方面へ向かう観光バスの車中、山形の味覚を紹介するガイドと乗客との間で、こんなやりとりが何度となく繰り返される。山形の庶民的な食文化は、世間一般のそれと驚異的に違う点が多く、冷やし中華にはマヨネーズが欠かせない、ぐらいは序の口。見た目は普通のラーメンと同じだが、スープに氷がごろごろ浮かんだ冷たい「冷やしラーメン」、戦時中、牛肉が不足した山形で考え出された、鳥肉のぶつ切りを具に使った「肉そば」、そのほかにも、モツ煮ラーメン、納豆そばなど、枚挙にいとまがない。そんな話ばかり聞いていると、今日の昼飯は一体、何を食べさせられるんだろう、と心配になってしまう。食べ物の話で盛り上がる珍道中がさらに続いた後、バスが停まったのは東根市にある『ふ会席料理処 清居』。ここは、名物の六田麩を使った懐石料理の店です、とガイドさんから説明が入る。しかし、あのみそ汁に入れるフワフワのもので懐石とは、果たしてどんな料理が並ぶのか想像がつかない。食事は予約制で予定の時間にはやや早いため、時間になるまで隣接する工場で、この六田麩の製造過程を見学することになった。

 工場の中へ入るといきなり、焼き上がった細長い麩が、天井から大量にぶら下がっている様子が目に飛び込んできた。まるで、麩の暖簾のようだ。それらをくぐるようにして作業場へと足を運ぶと、あたりには踏み機や練り機など、麩の製造に使う年代物の道具が、ところ狭しと並んでいる。どの道具も50年以上使っているものばかりで、「古い機械でつくるからこそ、いい味が出るんです」と、案内をしていただく店主の文四郎さんが話す。この店の創業は、江戸時代の文久年間と古く、文四郎さんは数えて6代目になるのだという。文四郎さんの話によれば、この店がある東根市の六田地区は、雪解けの良質の水に恵まれていたおかげで、特産だった葉タバコ栽培の裏作としていた、麩の原料である小麦の収穫が豊富だったという。かつては羽州街道の宿場町だったこともあり、収穫された小麦のくずである「ふすま」を、宿場に往来する馬の餌にしていた。このふすまから、グルテン(タンパク質)を取るようになったのが江戸時代の末期からで、当時は貴重なタンパク源だった。これが六田地区での麩づくりの始まりで、昭和30年代にリヤカーで行商されるようになってから、その名が各地に知れ渡っていったという。

 ここの麩の作り方の流れを追うと、まず小麦粉を水で練って塩を加えて洗い、澱粉が流れた後に残ったグルテンを一晩寝かせて、小麦粉を加えて練り機にかけてから、焼いてできあがり。「うちの麩は特にグルテンの量が多く、モッチリとした舌触りと、腰のあるシコッとした歯触りが自慢」と、文四郎さんの声に力が入る。そのため、ここの麩はよく熱を加えないと味が出ないので、しっかりと煮込む料理に向いているそうだ。このあたりの家庭では味噌汁や煮物などに入れたりするほかにも、学校給食では、酢豚の肉の代わりに焼き麩を使ったりしている。ちなみに麩は山形のほかに、新潟や仙台など全国で60種ほど作られていて、同じ山形県でも東根などの内陸では丸く肉厚、日本海側の庄内では薄く皮のようなど、各地で形が異なる。「東京の柔らかい麩は、混ぜ物が多いからふわふわ。鯉に喰わすもんだ」との文四郎さんの言葉通り、混ぜ物の多い麩は腰がなく、持った感じが重いそうだ。「カロリーが高い」という先入観を持つ人もいるが、実際にはフランスパンと同じぐらいの大きさの麩2本で、350カロリーしかない。ご飯なら、茶碗に2膳程度の量と同じぐらい。また、麩はよくかまないと味が出ないので、相対的に食べる量が減るため、ダイエット食にも向いているとか。

 この文四郎さん自慢の麩に、山形周辺でとれる季節の素材を組み合わせた料理の数々を楽しめるのが、食事処で出される「六田ふ懐石ごっつお」。高タンパク、低カロリーの健康食であるのはもちろん、味の良さも評判を呼んで、女性や年配の方に特に人気のメニューである。六田の麩に関する説明が一段落したので、食事処へと場所を移して、先付に始まり締めの抹茶と菓子まで、計10品の麩の懐石料理を頂くこととなった。まずは、インゲンと生麩をだだちゃ豆で和えたものが、先付として出される。続く「芭蕉盛合わせ」は、揚げ麩のだだちゃ豆巻き、「六田しぐれ」というグルテンの佃煮など、6品の盛り合わせだ。だだちゃ豆は、庄内地方の酒田や鶴岡などで栽培されている枝豆で、「だだちゃ」と呼ばれるのは高級品を指す。それだけに、緑色のこしあんのようなねっとりした甘さが舌に瑞々しい。さらに「芭蕉盛合わせ」の、酢味噌和えや甘辛い六田しぐれと箸を進めて、まずは様々な味付けで麩の味を楽しむ。

 つくりは一見、魚の刺身のように見えるが、正体は生麩と生湯葉。何度もくにくにとかんでいると、味が次第に出てくる。東根に近い、寒河江市が特産の食用菊「もってのほか」が散らされていて、花の瑞々しい香りが爽やかだ。刺身というより餅のようで、結構お腹にたまる。さらに揚げ麩と季節のキノコとチンゲンサイを使った雲片(あんかけ)、豆腐てんと焼き麩の酢の物、と進んでいく料理は、どれも趣向を凝らしたものばかり。素材が麩であることを、つい忘れてしまいそうになるほどだ。山形の名物料理である、小芋と牛肉を醤油で辛目に煮た「芋煮」ももちろん、焼き麩入り。牛肉と醤油の味が焼き麩にじっくりと染みていて、小麦から作った麩まで本物の肉の味のような気がする。小芋のねっとりした舌触りも、なかなかいい。

 この日はご飯の代わりに、そば粉とグルテンで打ったそばで締めくくりとなった。腰が強い冷やしそばで、かなりしょっぱい汁にミョウガがちらされているおかげで、料理の最後にはさっぱりしていい。そばにのる「うなぎもどき」は、グルテンを片栗粉でつなぎ、刻んだシイタケとナスを混ぜて甘辛く煮た、その名の通りウナギの蒲焼きの似せものである。ごていねいに、ウナギの皮まで海苔で似せてつくってあり、見ただけでは本物と区別がつかない…  ということはさすがにないが、身のほろりとした塩梅や、シイタケの旨味のおかげで、かなり魚らしい味わいだ。

 麩饅頭と抹茶でお開きにするころには、すっかり満腹になってしまった。それにしても、刺身に牛肉にウナギに変身と、七変化の六田の麩はなかなかの役者である。意外な素材を、意外な使い方で料理に仕立てる山形の食文化だが、料理法も味も結構理にかなっているような気もしてきた。麩の懐石を堪能した次は、先ほどは驚いた冷やしラーメンや肉そばに挑戦してみるのも悪くない。(10月中旬食記) 

旅で出会ったローカルごはん83…栗山村・奥鬼怒温泉郷 『加仁湯』の、熊の刺身に鹿の刺身

2007年03月15日 | ◆旅で出会ったローカルごはん
 山里の日は、実に短い。山間のそば屋で昼食を済ませて外へ出ると、まだ14時過ぎなのに日が陰りはじめている。栃木県の栗山村は福島県、群馬県に接する、関東地方で最奥、東京から時間的距離が最も遠いといわれる村である。鬼怒川の最上流域に当たる深い谷に沿って東西に伸びる村道を、ワゴン車でひた走り、村の最奥に位置する奥鬼怒温泉郷の一軒宿「加仁湯」に到着したころには、もう黄昏の空に星が出ていた。「湯上がりにはビールと、元気の出るつまみを用意しておきますから」と話す、この日あんな井頂いた宿の小松さんに見送られて、まずは鬼怒川に面した露天風呂で、ゆったり手足を伸ばす。元気の出るつまみとは一体何だろう、と思いつつ部屋に戻ると、ビールとつまみがすでに卓の上にずらり。つまみの皿には何やら、赤い切り身と、赤い部分と白い部分が半々の切り身が盛られていた。何かの刺身のようだ。

 こんな山の中なのに刺身が出てくるとは、やや期待はずれだと思ったところ、刺身は刺身でも、これもれっきとした山の幸。正体は何と、熊肉と鹿肉の刺身で、赤と白の2色の方が熊の生肉、いわゆる熊刺しだ。「穴熊」と呼ばれる、冬眠を始めてからまだ10日ほどの熊を捕らえて、マイナス20~30度で数日間殺菌してから食用にするという。真っ白な部分の正体は脂肪で、熊刺しのうまいところはまさにこの部分。熊は冬眠中は、間食をするだけで栄養が足りるように、冬眠する前に食べたもののほとんどが脂肪になり、それが皮の下に厚さ1センチほどたっぷりと貯えられているのである。脂と聞くと、あまり食べ過ぎると体に悪そうだが、熊の脂肪は不飽和脂肪酸で燃焼率がよく、ビタミン、ミネラルなど栄養価も豊富だ。口に入れると、白い部分がとろりと溶けて、まるで上質のバターのよう。甘く、まさに滋養が豊かな味である。さらに、薬味はすりおろしたニンニクなのだから、まさに元気の出ることこのうえなしの刺身なのだ。

 鹿肉はかつて、同じ栗山村の「深山茶屋」で試したことがある。湯西川温泉の近くにあり、落人の囲炉裏料理を食べさせる店である。ここでは鹿の串焼きと、挽いた鹿肉を木のへらに付けて、味噌をからめて焼いた「鹿味噌」を頂いた。串焼きはレバーのような風味、鹿味噌はハンバーグのような味で、焼いた鹿肉は意外にくせがなく食べやすかった覚えがあるが、生で食べるのは初めてだ。赤身だけで、脂がほとんどない肉をひと切れ口に運ぶと、サラミのような風味で、前回頂いた2つの鹿肉料理ともども、ビールによく合う味だ。ちなみに熊肉は体を冷やし、鹿肉は体を暖める効果があるそうである。

 小松さんの親類には、栗山村最後のマタギといわれる人がいるという。山がちな奥鬼怒地区では、古くから動物性たんぱくを野鳥や川魚のほか、熊や鹿といった獣からも摂っており、栗山村でも昔は、山での猟を生業とする「マタギ」が活躍していた。村には何と、熊とげんこつで殴り合ったこともあるマタギもいる、という武勇伝を聞きながら、ビールを注いだり注がれたりを繰り返す。山に暮らす人のもてなしを受け、山村ならではの料理に囲まれて、秘境・栗山村の長い夜はゆっくりと更けていく。(12月初旬食記)

旅で出会ったローカルごはん82…栃木・栗山村 『田中屋』の、栗山そばの天ざるそば

2007年03月13日 | ◆旅で出会ったローカルごはん
 最速でも、浅草から東武鉄道の特急に乗ること約2時間半、終点の鬼怒川温泉駅から1日4本しかない村営バスで、さらに1時間。「札幌だって、飛行機で羽田から1時間半ぐらいで着くのだから、同じ関東と言ってもここは、東京から札幌へ行くよりも遠くなんですよ」と、鬼怒川に沿って村を東西に横切る県道を行くワゴン車を運転しながら、小松さんは苦笑した。走っていくに連れて、川幅はどんどん細くなり、谷はさらに深く、険しさを増していく。

 鬼怒川の源流部に位置する栃木県栗山村は、村の面積の9割以上が森林という山村だ。折り重なって連なる山々に囲まれた地形、寒冷な気候といった厳しい自然条件の中、鬼怒川と湯西川がつくり出す谷間のわずかな平地を利用して、集落が細々と点在している。案内をしていただく小松さんは、この日に泊まる奥鬼怒温泉郷の宿「加仁湯」の専務で、生まれも育ちも栗山村だという。道すがら、平家の隠れ里伝説の地だったこの村の様々な生活文化や風習を、色々聞かせていただいた。個性的な祭や催事に始まり、中には昭和初期頃まであった許嫁婚や夜這いなど、なかなか興味ありげな話も飛びだしてきて、山中のドライブは飽きることがない。

 宿へ入る前に、途中で昼食をいただきましょう、と、クルマは小松さん推薦のそば店へと寄り道することになった。そういえば先程から、県道沿いにそば屋や、そばの看板を掲げる民宿が点在するのが、車窓からもうかがえる。平地が少ない栗山村は、古くから稲作がほとんどできず、米がわりにそばを栽培して主食にしていたため、当時からそば打ちが盛んな土地である。この村では、そばを打つのは家庭の主婦の仕事。そば粉の割合や挽き方、水加減など、集落ごと、というより家庭ごとに独自の流儀があるから、食べるところによって味もまちまちだという。

 この日訪れた、日向集落にある『田中屋』は、村に約30軒あるそば屋の中でも一番古い店である。奥の座敷へと通されると、「10月はキノコの旬ですから、ぜひどうぞ」と、天ざるがご主人の田中健さんおすすめのようだ。天ざるといっても、主役の天ぷらはエビやキスではなく、周辺の山から採取してきた天然物のキノコや山菜。中でも、エリンギ、マイタケ、シイタケなどといったキノコが山盛りだから、見た感じは「キノコ天ざるそば」といった趣きである。

 さっそく天ぷらから箸をのばすと、薄目の衣で風味を逃がさず揚げてあるから、さっくりと軽い食感が心地よい。キノコは瑞々しさにあふれていて、タラの目や春菊は甘さの中に、ほんのりとほろ苦さが感じられる。もちろん、そばの方もなかなかのもので、時間をかけてしっかりとゆで込んであるから、するりとしたのど越しのよさ、やわらかな歯ざわりが何とも言えず心地よい。そば自体に甘味があり、いわゆる「田舎そば」とは思えない、上品な味わい。本返しを使った辛目のつゆにも負けない風味だ。ずるずると、後から後から喉をすり抜けていく。

 ここのそばも、つなぎに卵と山芋を使った栗山流で、そば粉と小麦粉の割合は7対3。材料には村内で栽培しているそばに加えて、福島産の玄そばを合わせて使っているという。「本当は、村でつくったそばだけを使いたいけど、村にはそばを栽培する農家が減ってしまったからねえ」という田中さんに、栗山村のご出身ですかと尋ねたところ、意外なことに「東京です」との返事。仕事で訪れた栗山村で奥さんと知り合い、結婚してからこの店を始めたそうだ。栗山村の流儀からして、そばを打つのは奥さんですか、と聞くと、打つのはご主人で、奥さんの母親がそば打ちの先生とのことだった。いわば東京出身の娘婿が受け継いだ「おふくろの味」ということ。東京から札幌より遠い距離感をも埋めるそば、と思えば、味もまたひとしおである。(12月初旬食記)

魚どころの特上ごはん65…鳥取・境港 『境港水産物地方卸売市場』の、日本海水揚げの漁獲の数々

2007年03月11日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん
 鳥取の漁港を巡る旅も2日目、今朝はベニズワイガニの水揚げで有名な、境港の魚市場を尋ねる予定である。水揚げと競りに合わせての早起きは慣れたもので、気持ちよく目覚めてふと時計を見ると… 何と7時過ぎ! 昨晩泊まった旅館美佐の食事処で、地魚を肴に地酒「鬼の舌震い」で深酒してしまったか、すっかり寝坊してしまった、とあわてて旅館を飛び出した。境港は妖怪をテーマにした漫画家・水木しげるゆかりの町で、魚市場方面へ伸びるシンボルロード「水木しげるロード」沿道には、種々様々な妖怪のブロンズ像がずらり。夜は墓場で運動会でもやって戻ってきたばかりといった、妖怪たちの視線を感じながら、足早に魚市場方面へ。彼らは学校も試験もなんにもないんだろうけど、自分には漁港と市場とお魚のルポというお仕事がある。

 水木しげる記念館の前を過ぎたあたりで、市街から境水道沿いの道へと出て、広々した水路と対岸に美保関の半島を望みながら歩く。沿道の岸壁には大型の底引き網船が停泊しているのも見かけ、妖怪の町から漁港の町へと表情が一変したよう。さらに境水道大橋をくぐったあたりから、海に沿って漁港の関連施設が集中。すぐに水揚げ岸壁や荷捌き場、小売市場といった、境漁港の中枢施設も目に入ってきた。最盛期の水揚げ量は50万トン以上、平成4年以降5年連続日本一と、日本屈指の水揚げを誇る漁港だけに、敷地は広く迷子になってしまいそうだ。場内で見かけた案内板によると、巻き網、沖合イカ釣り、かにカゴ、沖合底引き網といった沖合漁業と、小型底引き網に刺し網などの沿岸漁業など、魚種や漁法別に水揚げや荷扱いの岸壁が異なっている。遅まきながらベニズワイガニの水揚げを見ようと、まずは3号上屋へと足を運んでみることに。

 境漁港の水揚場は、前述の通り大きく3ヵ所に分かれていて、ベニズワイガニを扱う3号上屋は、せり出した突堤のちょうど先端部にあたる。境港は何といっても、ベニズワイガニ日本一の漁港。水揚げも2005年の数字で1万1000トンで日本一、さらにベニズワイガニの加工量も、全国の8割を占めている。水揚げは未明から行われ、競りは7時ごろ行われるというから、行ってみるとすでに漁船の姿も人気もなく閑散としている。通りかかった職員に、もう水揚げや競りは終わったんですよね、と聞いてみたところ、「終わったというか、今日はベニズワイガニの水揚げ自体がないんだよ」。ベニズワイガニは加工場が日曜は休みのため、日曜はベニズワイガニの競りは行われないという。底引き網船は帰港せず、月曜まで沖泊で漁を続けるから、この日は水揚げもなし。境港を訪れるのが日曜だったので、出かける前に念のため市場がやっているかメールで尋ねたら、「水揚げは日曜でもやってます。カモメの糞に気をつけていらしてください」と愛嬌ある返信を頂いていたのだが。

 ベニズワイガニはそんな状況だが、返信の通り水揚げ自体はあちこちでやっているよう。ということで、ほかの地魚の水揚げを見物してみることにしよう。まずは突堤の左側にあたる、巻き網漁業の漁獲を取り扱う5号上屋へ。巻き網漁業もベニズワイガニ漁に並ぶ境漁港の水揚げの中心で、隠岐周辺を漁場に主にアジ、イワシ、サバ、スルメイカ、夏場はマグロ漁も行っている。足を運ぶとちょうど1隻の船が接岸して水揚げの最中で、魚層からクレーン付きの大きな網が持ち上がり、甲板へドサッと魚を広げて仕分けしている。するとトラックが船に横付けされ、今度はクレーン付きの網からトラックの荷台へと、直接ドサッと豪快な積み込み作業が始まった。周辺に集まっている仲卸人に聞くと、巻き網船は9時から昼前ぐらいに帰港して水揚げするので、まだ時間が早いという。

 地魚をあれこれ見たいなら、ちょうど今2号上屋で作業をしているから、と教えられ、突堤の付け根の右側にある建物へと足を運んでみることに。広々とした場内にはあちこちにスチロールの箱が高々と積まれ、人や器材や荷物が激しく行き来する雑然としている。こちらはすでに作業の終盤らしく、競り落とされた魚が詰められたスチロール箱が、小型のトラックに積み込まれていく最中。ところどころではまだ競りも行われており、競り落とされた荷が台車やフォークリフトで運ばれていく中を、気をつけて歩く。箱には船名と魚種、重さなどを記した札が貼られ、ふたがされているのでせっかく「魚」を見にきたのに中身が分からないのが残念。場内の奥まった一角では箱詰め作業が行われていて、箱に女性が魚を入れてサッと氷を詰め、とベルトコンベア式に作業が進んでいく。

 地魚を見るなら2号上屋、と教えてもらったとおり、ここは主に底引き網漁や沿岸の小物といった漁獲を扱っており、扱われる魚種はバラエティに富んでいる。境港からほど近い漁場である隠岐周辺は、暖流と寒流が交錯する日本屈指の優良な漁場で、境港ではここや美保湾一帯を漁場にした底引き網漁も盛んである。底引きでは一艘引きだと松葉ガニ・ハタハタ、赤ガレイ、二艘引きだと鯛、白イカ、ヒラメなどが主な漁獲。さらに鯛やハマチ、ノドグロ、沖メバルといった高級魚も漁獲されるという。夜中に漁を行い未明から早朝に帰港、ここで水揚げ作業を行うため、この時間はすでに作業の終わりに近い。箱の札にはノドグロ、モンガレイ、赤エビ、モサ、白ハタなど書かれており、モサとかモンガレイとか一体どんな魚なんだろう、とついふたを開けてみたくなる。(モサはモサエビか?)ブリ、タラ、サワラ、鯛など大型魚の箱はふたが開いていて、中には4キロの大鯛、2匹11キロと書かれた大ブリも。「大敷」「島根定置もん」などと、箱にある表示が地魚らしい。ほか巻き網のアジやサバの入った箱も結構見かけ、漁獲が多いせいかものすごい高さで積まれ並んでいる。

 ほかシジミに赤貝、アナゴなどの小物をざっと一巡したところで、場内はもう片付けにかかりはじめている様子。期待のベニズワイガニの水揚げや競りは見られなかったけれど、寝坊したからじゃなく水揚げがなかったから結果オーライと、いうことで? 寝坊なりの早起きのせいか、昨夜の酒が残っているからか、眠たい目で大あくびをしたら、この地ならではの深海魚・ドギ君のパッチリ瞳が、皿の上から見つめているのに目が合ってしまった。(2006年9月25日食記)

町で見つけたオモシロごはん83…広尾・広尾商店街 『Spice』の、豚肉の中華風味噌ご飯

2007年03月09日 | ◆町で見つけたオモシロごはん
 地下鉄を下車して地上に出て、すぐ目に入ってくるのが小ぢんまりしたワインショップ。色とりどりのボトルが揃う店内を外から眺めつつ、商店街へと入っていくと、すぐ右手のビアバーは真っ昼間というのに、集う外国人たちでオープンテラスの席まで賑わっている。約束の時間にはやや早いので、向かいのビルの1階にある高級スーパー・明治屋で時間を潰し、さらに商店街を端から端まで、1往復ぶらぶら。それにしても、明治屋の食料品売り場でも商店街を歩いていても、あちこちで見かける外国人の姿の多いことといったら。名前こそ「広尾商店街」という庶民的ネーミングだけれど、思わずここは「欧米か!」と、流行の文句が口から出てしまいそうになる。付近に大使館が集中していて、あたりに外国人向けのマンションも多いだけに、広尾はまさにインターナショナルな街である。

 広尾での打ち合わせ相手は、「ローカルごはん」の本でお世話になった、カメラマンの管さんである。いつもは日が沈む頃に、広尾駅に近い事務所を訪れて、打ち合わせ後に秘蔵の焼酎を頂くのが楽しみなのだが、この日の約束は珍しくお昼の12時。いつものように、そしてさっきのビアバーで盛り上がっていた皆様にも倣い、打ち合わせ後にじっくり腰を据えて… といくにはちと、お日様が高すぎるようだ。せめて昼飯ぐらい食べてから帰ろうと、打ち合わせを終えて再び商店街をぶらつくことに。パスタやピザハウス、イタリアンやカジュアルフレンチといった、小じゃれた店を随所で目にする中、そばや魚割烹、焼き鳥にたこ焼きなど、ジャパニーズトラッドな店もちらほら。そういえば管さんの事務所があるマンションも、1階は温泉マーク入りの暖簾が揺れる銭湯だ。

 普段ならジャパニーズトラッドな昼飯に走ってしまうけれど、せっかくだから街のイメージに合った店でランチといきたい。とはいえ、小じゃれた店は野郎1人でふらりと入るには、少々敷居が高いよう。通りの中程にあった札幌ラーメンの店でいいか、とほぼ決め掛けたところ、その数軒隣の店の店頭に掲げられたメニューを見てちょっと立ち止まる。4種のランチメニューはレッドカレーにタコライス、韓国風サラダ、豚肉の中華風味噌ごはんと、タイ・メキシコ・韓国・中国といった国際色豊かなラインナップがある意味、この街らしい。店内がやや空いていて入りやすかったこともあり、この『Spice』でお昼ご飯とした。

 メニューのイメージと同様に、店内はアジア風の行灯照明がぼんやりと灯る無国籍カフェといった感じ。BGMもインド民俗音楽風やらカントリー風やら、クラシックやらがごちゃ混ぜで続いていくのがユニークだ。入口のガラス戸そばの席に通され、果たしてどの国のランチで行くかメニューを検討の上、選んだのは「中国」。ガラス戸越しに見える商店街には、ちょうど食事時だからか人通りがさらに増したようで、相変わらず外国人もちらほらと通り過ぎていく。

 そんな街のダイニングらしく、この店のコンセプトも「アジアンテイストのオリジナル料理」。創作料理をメインに、一品料理からご飯物、麺類まで、多彩なメニューが評判を呼んでいる。特にランチは、通常一品料理で頼むより割安の上、前菜とスープつき、さらにご飯の大盛りも無料というのがうれしい。場所柄外国人のお客も多いらしく、メニューを裏返すと英語の表記も。ちなみに自分が頼んだ豚肉の中華風味噌ごはんは、「Pork Rice」と記されている。一方で店内には、店のもうひとつの名物である、豊富な品揃えの泡盛の銘柄が各種掲げられているのが、少々ミスマッチでもある。

 Pork Riceを直訳すると「豚肉飯」だから、牛丼屋の豚丼のようなどんぶりで出てくるかと思ったら、運ばれてきた丸皿にはごはんの上に豚肉の味噌炒め、まわりにはサンチェと玉ネギといった野菜がたっぷり、真ん中に落とされた玉子の黄身が鮮やかである。ご飯は大盛りでお願いした割には見た目でボリュームは感じられず、ご飯モノなのにきれいにまとまっているところが、広尾ならではのお上品さなのだろうか。まずは豚肉をご飯といっしょにひと口。ピリ辛味噌とゴマで和えてあり、味噌の深いコクが確かに中華風である。あえて例えれば、中華風豚肉とキャベツの味噌炒め「回鍋肉」のような印象か。

 メニューには「玉子をつぶして、サンチェで巻いて食べる」とあるので、試してみると鋭い辛さがビシッ。よく見ると、刻んだ赤唐辛子が結構肉に混ざっている。サンチェに肉と唐辛子をのせて食べれば韓国焼肉風というか、タコスというか。さらし玉ネギと青ネギも結構刺激的で、洗練された焼肉丼といった感じである。本当は玉子を肉とご飯とともにバッとかき混ぜて、牛丼屋の流儀でかき込みたいところだが、さすがにそれははばかる雰囲気。スプーンを使って行儀よく、前菜とスープと一緒に平らげていく。

 食後のドリンクが100円というのもうれしく、運ばれてきたコーヒーを頂きながら、通りが眺められる席でゆっくりとくつろぐ。ついでに手持ちの文庫本を取り出して、パラパラとめくったり。ちょっとおしゃれなこの街になじんできた? ことだし、午後のひと時をゆっくりと過ごしていこうか。でも国際色が豊かなのがさらに実感できるのは、暗くなってからなのかも。今度管さんのところを訪れた後は、事務所で焼酎もいいけれど、例のビアバーあたりでどっぷり浸ってみるのもいいかも知れない。(2007年2月27日食記)