ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

旅で出会ったローカルごはん83…栗山村・奥鬼怒温泉郷 『加仁湯』の、熊の刺身に鹿の刺身

2007年03月15日 | ◆旅で出会ったローカルごはん
 山里の日は、実に短い。山間のそば屋で昼食を済ませて外へ出ると、まだ14時過ぎなのに日が陰りはじめている。栃木県の栗山村は福島県、群馬県に接する、関東地方で最奥、東京から時間的距離が最も遠いといわれる村である。鬼怒川の最上流域に当たる深い谷に沿って東西に伸びる村道を、ワゴン車でひた走り、村の最奥に位置する奥鬼怒温泉郷の一軒宿「加仁湯」に到着したころには、もう黄昏の空に星が出ていた。「湯上がりにはビールと、元気の出るつまみを用意しておきますから」と話す、この日あんな井頂いた宿の小松さんに見送られて、まずは鬼怒川に面した露天風呂で、ゆったり手足を伸ばす。元気の出るつまみとは一体何だろう、と思いつつ部屋に戻ると、ビールとつまみがすでに卓の上にずらり。つまみの皿には何やら、赤い切り身と、赤い部分と白い部分が半々の切り身が盛られていた。何かの刺身のようだ。

 こんな山の中なのに刺身が出てくるとは、やや期待はずれだと思ったところ、刺身は刺身でも、これもれっきとした山の幸。正体は何と、熊肉と鹿肉の刺身で、赤と白の2色の方が熊の生肉、いわゆる熊刺しだ。「穴熊」と呼ばれる、冬眠を始めてからまだ10日ほどの熊を捕らえて、マイナス20~30度で数日間殺菌してから食用にするという。真っ白な部分の正体は脂肪で、熊刺しのうまいところはまさにこの部分。熊は冬眠中は、間食をするだけで栄養が足りるように、冬眠する前に食べたもののほとんどが脂肪になり、それが皮の下に厚さ1センチほどたっぷりと貯えられているのである。脂と聞くと、あまり食べ過ぎると体に悪そうだが、熊の脂肪は不飽和脂肪酸で燃焼率がよく、ビタミン、ミネラルなど栄養価も豊富だ。口に入れると、白い部分がとろりと溶けて、まるで上質のバターのよう。甘く、まさに滋養が豊かな味である。さらに、薬味はすりおろしたニンニクなのだから、まさに元気の出ることこのうえなしの刺身なのだ。

 鹿肉はかつて、同じ栗山村の「深山茶屋」で試したことがある。湯西川温泉の近くにあり、落人の囲炉裏料理を食べさせる店である。ここでは鹿の串焼きと、挽いた鹿肉を木のへらに付けて、味噌をからめて焼いた「鹿味噌」を頂いた。串焼きはレバーのような風味、鹿味噌はハンバーグのような味で、焼いた鹿肉は意外にくせがなく食べやすかった覚えがあるが、生で食べるのは初めてだ。赤身だけで、脂がほとんどない肉をひと切れ口に運ぶと、サラミのような風味で、前回頂いた2つの鹿肉料理ともども、ビールによく合う味だ。ちなみに熊肉は体を冷やし、鹿肉は体を暖める効果があるそうである。

 小松さんの親類には、栗山村最後のマタギといわれる人がいるという。山がちな奥鬼怒地区では、古くから動物性たんぱくを野鳥や川魚のほか、熊や鹿といった獣からも摂っており、栗山村でも昔は、山での猟を生業とする「マタギ」が活躍していた。村には何と、熊とげんこつで殴り合ったこともあるマタギもいる、という武勇伝を聞きながら、ビールを注いだり注がれたりを繰り返す。山に暮らす人のもてなしを受け、山村ならではの料理に囲まれて、秘境・栗山村の長い夜はゆっくりと更けていく。(12月初旬食記)