最速でも、浅草から東武鉄道の特急に乗ること約2時間半、終点の鬼怒川温泉駅から1日4本しかない村営バスで、さらに1時間。「札幌だって、飛行機で羽田から1時間半ぐらいで着くのだから、同じ関東と言ってもここは、東京から札幌へ行くよりも遠くなんですよ」と、鬼怒川に沿って村を東西に横切る県道を行くワゴン車を運転しながら、小松さんは苦笑した。走っていくに連れて、川幅はどんどん細くなり、谷はさらに深く、険しさを増していく。
鬼怒川の源流部に位置する栃木県栗山村は、村の面積の9割以上が森林という山村だ。折り重なって連なる山々に囲まれた地形、寒冷な気候といった厳しい自然条件の中、鬼怒川と湯西川がつくり出す谷間のわずかな平地を利用して、集落が細々と点在している。案内をしていただく小松さんは、この日に泊まる奥鬼怒温泉郷の宿「加仁湯」の専務で、生まれも育ちも栗山村だという。道すがら、平家の隠れ里伝説の地だったこの村の様々な生活文化や風習を、色々聞かせていただいた。個性的な祭や催事に始まり、中には昭和初期頃まであった許嫁婚や夜這いなど、なかなか興味ありげな話も飛びだしてきて、山中のドライブは飽きることがない。
宿へ入る前に、途中で昼食をいただきましょう、と、クルマは小松さん推薦のそば店へと寄り道することになった。そういえば先程から、県道沿いにそば屋や、そばの看板を掲げる民宿が点在するのが、車窓からもうかがえる。平地が少ない栗山村は、古くから稲作がほとんどできず、米がわりにそばを栽培して主食にしていたため、当時からそば打ちが盛んな土地である。この村では、そばを打つのは家庭の主婦の仕事。そば粉の割合や挽き方、水加減など、集落ごと、というより家庭ごとに独自の流儀があるから、食べるところによって味もまちまちだという。
この日訪れた、日向集落にある『田中屋』は、村に約30軒あるそば屋の中でも一番古い店である。奥の座敷へと通されると、「10月はキノコの旬ですから、ぜひどうぞ」と、天ざるがご主人の田中健さんおすすめのようだ。天ざるといっても、主役の天ぷらはエビやキスではなく、周辺の山から採取してきた天然物のキノコや山菜。中でも、エリンギ、マイタケ、シイタケなどといったキノコが山盛りだから、見た感じは「キノコ天ざるそば」といった趣きである。
さっそく天ぷらから箸をのばすと、薄目の衣で風味を逃がさず揚げてあるから、さっくりと軽い食感が心地よい。キノコは瑞々しさにあふれていて、タラの目や春菊は甘さの中に、ほんのりとほろ苦さが感じられる。もちろん、そばの方もなかなかのもので、時間をかけてしっかりとゆで込んであるから、するりとしたのど越しのよさ、やわらかな歯ざわりが何とも言えず心地よい。そば自体に甘味があり、いわゆる「田舎そば」とは思えない、上品な味わい。本返しを使った辛目のつゆにも負けない風味だ。ずるずると、後から後から喉をすり抜けていく。
ここのそばも、つなぎに卵と山芋を使った栗山流で、そば粉と小麦粉の割合は7対3。材料には村内で栽培しているそばに加えて、福島産の玄そばを合わせて使っているという。「本当は、村でつくったそばだけを使いたいけど、村にはそばを栽培する農家が減ってしまったからねえ」という田中さんに、栗山村のご出身ですかと尋ねたところ、意外なことに「東京です」との返事。仕事で訪れた栗山村で奥さんと知り合い、結婚してからこの店を始めたそうだ。栗山村の流儀からして、そばを打つのは奥さんですか、と聞くと、打つのはご主人で、奥さんの母親がそば打ちの先生とのことだった。いわば東京出身の娘婿が受け継いだ「おふくろの味」ということ。東京から札幌より遠い距離感をも埋めるそば、と思えば、味もまたひとしおである。(12月初旬食記)
鬼怒川の源流部に位置する栃木県栗山村は、村の面積の9割以上が森林という山村だ。折り重なって連なる山々に囲まれた地形、寒冷な気候といった厳しい自然条件の中、鬼怒川と湯西川がつくり出す谷間のわずかな平地を利用して、集落が細々と点在している。案内をしていただく小松さんは、この日に泊まる奥鬼怒温泉郷の宿「加仁湯」の専務で、生まれも育ちも栗山村だという。道すがら、平家の隠れ里伝説の地だったこの村の様々な生活文化や風習を、色々聞かせていただいた。個性的な祭や催事に始まり、中には昭和初期頃まであった許嫁婚や夜這いなど、なかなか興味ありげな話も飛びだしてきて、山中のドライブは飽きることがない。
宿へ入る前に、途中で昼食をいただきましょう、と、クルマは小松さん推薦のそば店へと寄り道することになった。そういえば先程から、県道沿いにそば屋や、そばの看板を掲げる民宿が点在するのが、車窓からもうかがえる。平地が少ない栗山村は、古くから稲作がほとんどできず、米がわりにそばを栽培して主食にしていたため、当時からそば打ちが盛んな土地である。この村では、そばを打つのは家庭の主婦の仕事。そば粉の割合や挽き方、水加減など、集落ごと、というより家庭ごとに独自の流儀があるから、食べるところによって味もまちまちだという。
この日訪れた、日向集落にある『田中屋』は、村に約30軒あるそば屋の中でも一番古い店である。奥の座敷へと通されると、「10月はキノコの旬ですから、ぜひどうぞ」と、天ざるがご主人の田中健さんおすすめのようだ。天ざるといっても、主役の天ぷらはエビやキスではなく、周辺の山から採取してきた天然物のキノコや山菜。中でも、エリンギ、マイタケ、シイタケなどといったキノコが山盛りだから、見た感じは「キノコ天ざるそば」といった趣きである。
さっそく天ぷらから箸をのばすと、薄目の衣で風味を逃がさず揚げてあるから、さっくりと軽い食感が心地よい。キノコは瑞々しさにあふれていて、タラの目や春菊は甘さの中に、ほんのりとほろ苦さが感じられる。もちろん、そばの方もなかなかのもので、時間をかけてしっかりとゆで込んであるから、するりとしたのど越しのよさ、やわらかな歯ざわりが何とも言えず心地よい。そば自体に甘味があり、いわゆる「田舎そば」とは思えない、上品な味わい。本返しを使った辛目のつゆにも負けない風味だ。ずるずると、後から後から喉をすり抜けていく。
ここのそばも、つなぎに卵と山芋を使った栗山流で、そば粉と小麦粉の割合は7対3。材料には村内で栽培しているそばに加えて、福島産の玄そばを合わせて使っているという。「本当は、村でつくったそばだけを使いたいけど、村にはそばを栽培する農家が減ってしまったからねえ」という田中さんに、栗山村のご出身ですかと尋ねたところ、意外なことに「東京です」との返事。仕事で訪れた栗山村で奥さんと知り合い、結婚してからこの店を始めたそうだ。栗山村の流儀からして、そばを打つのは奥さんですか、と聞くと、打つのはご主人で、奥さんの母親がそば打ちの先生とのことだった。いわば東京出身の娘婿が受け継いだ「おふくろの味」ということ。東京から札幌より遠い距離感をも埋めるそば、と思えば、味もまたひとしおである。(12月初旬食記)