ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

魚どころの特上ごはん14…底曳き網船の水揚げで賑わう久慈漁港で、活きのボタンエビ、ツブ貝を喰らう

2005年11月30日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん
 全国的に見て、茨城県はどのぐらい漁業が盛んなのだろうか。実は漁業生産量は北海道と長崎に次いで、何と全国第3位。漁業県と胸を張って言えるほどの立派な実績だ。そのひとつの要因は、優れた漁場が近くに形成されていることにある。茨城県沖には暖流の黒潮と寒流の親潮が交わる「混合水域」が広がっており、寒海・暖海両方の魚が棲息している。おかげで沖合ではマイワシ、サバ、サンマ、カツオなどの回遊魚、沿岸部ではカレイやヒラメ、スズキといった底魚、磯魚など、魚種はバラエティ豊富。その茨城県の北部に位置する日立市は、太平洋に面して32キロの海岸線が延びており、沿岸に5つある漁協はいずれも漁法や漁獲する魚種が異なる。中でも「日立おさかなセンター」で扱う魚介が水揚げされる久慈浜漁協は、日立市の漁協の中でダントツの水揚げ量を誇っているのだ。ここの漁法は「底曳き網漁」。案内人の方によると、15時ごろからちょうど水揚げが始まるとのことで、おさかなセンターを見学した後に一行で見学しにいくこととなった。

 久慈漁港はおさかなセンターからクルマで5分ほどのところにあり、今回の案内人のひとり、小泉さんの底曳き網船「大昭丸」が着岸して、まさに水揚げを始めようとしているところだった。船倉から水色のバケツをつり上げ、岸壁に下ろしては台車にのせてダーッと運び、と忙しそうに往復している。隣接した魚市場へと運ばれた魚介は、市場のコンクリートのたたきにドサッと山積みにされたり、バッとぶちまけたりと、少々荒っぽい様子。パンパンにふくらんだ太いドンコやスミだらけのイカは山盛りに、ツブ貝は大きな樽にこぼれんばかりに入れられ、たたきに広げられた15キロもの巨大ミズダコは、ペットボトルほどの太さの足と500円玉ぐらいの吸盤にびっくり。マダラやアンコウほか、毛ガニやズワイガニも小柄だがちらほら見かける。

 底曳き網漁とは名の通り、袋状の網を船の船尾についた「開口板」という装置で口を広げてから海中に流して、海底近くを曳き回して獲物を漁獲する漁法を指す。主な狙いは地先の底魚で、「常磐もの」として評価の高いヒラメやカレイ、アンコウやミズダコなど。ただし特定の魚を狙うのではなく、網を曳くうちに様々な魚がかかる「混獲」で、とれる魚種は季節ではなく、網を曳く深さによって変わってくる。この久慈漁港は県内で平潟と2箇所だけという、深さ250~300メートルを曳く沖合の底曳き網漁を行っている。同じ底曳き網でも、近隣の久慈浜丸小では「5トン船」と呼ばれる小型船で、近海の深さ100メートルぐらいの浅い海をひいている。比べると深海の海底近くを曳く久慈漁港の方が魚種も量も多く、県内の水揚げの3割を占めるアンコウをはじめ、網の深さの関係でここだけで水揚げされるボタンエビやキンキ、ほかヤナギガレイ、ツブ貝、ミズダコ、さらにズワイガニや毛ガニも。水揚げするとさっきの市場のように、まるでおもちゃ箱をひっくり返したようにごちゃごちゃしているのがおもしろい。

 忙しい水揚げの合間で手を休めていた漁師によると、「これからが帰港のピークで、相次いで7~8隻が水揚げにとりかかる」とのこと。久慈漁港の水揚げはまず、14時から地元で「白魚」と呼ぶシラスから始まる。その後底曳き網の船が16時ごろから帰港をはじめ、着いた順に漁獲を水揚げして目方を量り、競りにかけられていく。帰港が早くても遅くても、競り値は変わらないのだとか。競りは18時頃には終わり、20時頃からは水戸や築地へ向けて出荷される。常磐自動車道を使えば東京までトラックで2時間弱だから、水揚げされたその日の0時頃には築地に入るため鮮度の良さは折り紙付き、ヒラメなど「常磐もの」が珍重される由縁である。水揚げされた魚介はそれぞれ、魚種別に青い箱に仕分けされる最中。中にはキロ数を書いた紙が入れられ競りを待っている。箱ごとにボタンエビやイカがどっさり入っていたり、カレイが数枚だったり、タコや毛ガニが1~2匹だったりと量はまちまち。大ダコは箱に入りきらないからかたたきに広げられたまま、ツブ貝は樽単位で1万円ほどで競られるという。

 茨城県の漁獲量を漁法別に見てみると、「船曳き網漁」が県の沿岸漁業生産量の8割、日立市の水揚げ量の半分近くを占め、底曳き網漁はそれに次ぐ。船曳き網漁の漁獲量が多いのは、狙いがシラスやコウナゴなど群れをなす回遊魚のためだが、ここ1~2年シラスの水揚げが減るなど、安定性に欠ける部分が難点。一方、底曳き網で狙う「底魚」は、漁獲量が比較的安定しているのが強みだ。ヤナギダコが200~300トン以外は各数10トン程度と、魚種別の漁獲量は少ないものの、漁獲される魚種が豊富なので合わせればかなりの量になる点も見逃せない。底曳き網漁の漁獲量の変遷を追っていくと、昭和30年代は好調期で、アンコウも700トン以上水揚げされる年もあった。70~80年代が苦境の時期でアンコウとヤナギガレイが減少、特に80年代にはアンコウは「幻の魚」と言われるほど減った。それが90年代半ば~2000年にかけてアンコウとヤナギガレイにボタンエビ、さらに激減していたキチジが回復。近年はアンコウの年間水揚げが数十トン~100トン程度と徐々に増加しているなど、全体的に明るい兆しが見えているようである。水産資源の減少はかつて、底曳き網による乱獲が原因のひとつとされたことがあったが、その後特に漁獲制限などをしないのに回復したため、原因は海水温や潮流の変化など、漁法以外にあるとも考えられている。現在はマイワシが激減しているが、一説によると昭和30年代のように魚種が豊富となる前兆という予測もあるという。

 …と、案内人の解説を伺っているうちにも船はどんどん接岸、水揚げはじゃんじゃん進んでいく。魚市場の奥の方で、中にたっぷりのボタンエビが入った箱を見つけた。周辺ではここでしか水揚げされない、久慈漁港の代表的な漁獲だ。「かつては1~2トンもどんどんとれたけど、このところちょっと減ってるな」と通りかかった漁師が話す。今日揚がった魚の中でいちばん値がつくそうだが、「年中とっているけどそんなに高くならない。販路がないからなあ」とぼやいている。箱を覗いているとほら食ってみな、と、何とまだビクビク動いているのを1匹よこしてくれた。ボタンエビは、俗に「アマエビ」と呼ばれるナンバンエビやホッコクアカエビに比べて大柄、色も鮮やかなのが特徴。漁場に那珂川や久慈川の栄養分を含んだ水が流れ込むため、甘みが違い生食向きという。大振りで紅色鮮やか、身がまるくパンパンなのを教えられたとおりに頭をひねり、まずミソをすすると激甘! たっぷりの卵をすすり、殻をむいて身を口に放り込んでシャクシャク、トロリと頂く。ついでとばかり大樽にたっぷり入ったツブ貝も、ひとつとって床で殻をたたき割り、身をちぎって渡された。脂が多すぎるワタを外し、ふたを持って身をガブリ、グイッ。身がシコシコ、かむほどに潮の香りがパッと広がり、ジュッと味が出てくる。どちらも醤油は不要、海水の塩味が何よりの味付けだ。

 水揚げが佳境を迎え、魚市場も関係者でかなり賑わいを見せてきた。日も傾いてきたようでそろそろ見学は終了、海に臨むはぎ屋旅館の海藻風呂「かじめ湯」でひとっ風呂浴びたら、いよいよ待望の夕食だ。本日の主役、「口福アンコウ」の出番待ちである。(2005年11月26日食記)