ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

想像できないことを想像する

2017年10月18日 | 社会・政治

 米太平洋軍のハリー・ハリス司令官が、北朝鮮が進める核兵器開発計画の脅威への対応について、「想像できないことも想像しなければならない」、と警告したそうですね。

 想像できないこととは、例えば、北朝鮮が核弾頭を搭載したミサイルでロサンゼルスやホノルル、ソウル、東京、シドニー、シンガポール等を攻撃することだそうです。

 まさしく想像し難い事態です。

 しかしかつて、英国のチェンバレンが繰り広げたナチス・ドイツに対する融和政策は、絶対的な平和主義に裏打ちされた英仏等の人々から歓迎されましたが、それはドイツの要求をのみ続けることでしかなく、結局、ドイツの増長を許し、第二次大戦に突入することになりました。

 英国民もドイツ国民も、ナチが政権を握った段階では、英独の全面戦争など想像できなかったのではないでしょうか。
 でなければ、ナチが選挙に勝てるはずもありますまい。


 後にチャーチルは、第二次世界大戦は防ぐことができた。宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、その後のホロコーストもなかっただろう、と述べています。
 真偽は今となっては分かりません。 

 第一次大戦後、パリ不戦条約だの、国際連盟だのといったものができて、欧州では絶対平和主義とでも言うべきものが流行しますが、戦後わずか20年ほどで、第二次大戦が勃発してしまいます。

 第二次大戦後、発足した国際連合は、これを教訓に、朝鮮戦争をはじめとして、紛争に直接介入するなどし、絶対平和主義の立場は取りませんでした。

 一方わが国では、それこそ想像できない条文を施行した憲法が発布され、それは今もわが国の言論空間を苦しめ、不毛なものにしています。
 戦争放棄を謳うのは大いに結構。
 しかし、自衛のための戦力は保持する、とだけ書いておけば、どれだけの無駄な時間が節約できたでしょう。

 たしかに、9条2項は、自衛のための戦力は保持できる、と解釈できますし、現にそういう解釈でわが国は強力な軍事力を保持していますが、それはそういう解釈ができるという説明を受けて、そうかもしれない、という程度のこと。

 小学生や中学生、いや、大人であっても、解釈を聞かずに普通に憲法9条の1項・2項を読めば、あぁ、日本は軍隊を持てないんだな、誰が日本を守るんだろうなと、不安になるでしょう。

 そして戦後、わが国では、非武装中立などという奇っ怪で絶対平和主義的な風潮が蔓延しました。
 幸いなことに、賢明な国民はそのようなことを唱える党派に政権を渡すことは無く、今ではほぼ、絶滅危惧種になりました。

 それでもなお、平和憲法という、実態に照らして嘘でしかない美辞麗句に、惑わされている人々がいるのは悲しいことです。
 イワシの頭も信心から、とは言いますが、現実と乖離した嘘を信心するとは、信じることは怖ろしい。


 法律は守らなくてはなりません。
 そしてそれは、現実に守れる内容でなければなりません。

 守れなくなったら政府が解釈を変えれば良いのだとしたら、それは順序が逆です。
 時代の要請により、時の解釈が耐えられなくなったのだとしたら、法律そのものを変えるしかありません。

 かつてわが国では、想像できないことを想像することが、悪であるかのような言論がありました。
 世界の人々は争いを好まず、わが国が餌食になることはない、という。

 しかしそれは、わが国が歩んできた道に思いを致せば、まったく虚しいということに気付くでしょう。
 わが国自身が、他国を侵略し、自国の利益を守るために、巨大な敵をものともせずに戦い続けたのです。

 他の軍事強国も同様。

 それがなぜ、わが国が明治憲法を改正しただけで、わが国一国のみは安全だなどと思えるでしょう。

 わが国は戦後72年間、平和を保ち続けています。
 しかしこの72年間、世界中全てが平和であった年などありません。

 先のことは分かりません。
 そしておそらく、北朝鮮が近い時期に、破れかぶれの先制攻撃、しかも核攻撃を仕掛けてくることはないでしょう。

 ただ、それを想像することは必要であろうと思います。
 備えあれば憂いなし、と申します。

 想像できない(あるいはしたくない)ことを想像する、その吐き気を催すような面倒な行為を怠った時、それこそが最大の国難と言えるでしょう。

 危機を前に砂に頭をつっこむダチョウのようになってしまっては、その国は滅ぶほかありますまい。


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楽園は兄妹を地獄に落とすか

2017年10月18日 | 文学

 昨夜、ずいぶん昔に読んだ夢野久作の「瓶詰の地獄」を読み直しました。

瓶詰の地獄 (角川文庫)
夢野 久作
角川グループパブリッシング


 ごく短いながら、強烈な印象を、少年の頃の私に残したことを覚えています。

 なぜか昨夜、急に読み返したくなって、パソコンを開き、青空文庫を検索したところ、アップされていたのを確認した時は、嬉しくなりました。

 内容はいたってシンプル。

 ある島の村に、ビール瓶が3本、流れ着いているのが発見されます。
 中にはそれぞれ鉛筆で書かれた手紙らしきものが入れられています。

 そのことを海洋研究所に報告し、提出する旨の村役場による候文が最初に置かれます。

 その後、難破してその島に流れ着いたと思しき兄と妹の2人の手紙が、それぞれに入っています。
 
 その島に流れ着いた時、兄は11歳、妹は7歳。
 島にはパイナップルやバナナ、鳥の卵などが豊富にあり、食うに困りません。
 難破した時に避難に使ったボートを建材にして、小屋を作り、2人は幸せに暮らします。
 そこはまさしく、二人だけの楽園でした。

 二人は聖書を大事にしていることから、クリスチャンであることが示されます。

 数年経つうちに、2人はたくましい若者と、美と若さにあふれる少女に育ちます。

 島に若い男女が二人きり。
 しかし二人は兄と妹。
 さらには、二人とも、敬虔なクリスチャン。

 普通に育てばあり得ない、しかし環境のゆえにこそ、互いが互いを求め合うことを望みながら、それを隠しあい、煩悶する。

 二人きりの楽園は、二人であるがゆえの、地獄と化していきます。

 最初に示される手紙は、おそらく物語のラスト、救いの船が近づいてくるのを目にした妹によって書かれています。
 その内容は、禁忌を犯してしまった二人は、救われて父母に会うことはできないのだから、救われる前に身投げするしかない、というもの。

 次に示されるのは、肉体の欲望に耐えに耐えながら、堪え切れずに、救助船が来た場合に備えて立てた目印の旗を降ろし、聖書を燃やして妹の元に向かう兄の告白。

 おそらくこの時、二人は禁忌をおかしてしまったのでしょう。


 最後に示されるのは、おそらくまだ幼かった兄が最初に出したと思われる、カタカナの短い手紙。

 オ父サマ。オ母サマ。ボクタチ兄ダイハ、ナカヨク、タッシャニ、クラシテイマス。
 ハヤク、タスケニ、キテクダサイ。

 まだ兄妹が性に目覚める前に出した幼い手紙を頼りに、両親は何年も経って、島を特定し、救助船で向かったのでしょう。
 しかしそれを見た二人は、人間の世界に還ることはできないと、死を決意するのです。

 二人がクリスチャンであることから、アダムとイブの失楽園を彷彿とさせる内容になっています。

 夢野久作といえば、とにかく長編「ドグラ・マグラ」が有名ですが、じつは短編にこそ、この作者の本領が発揮されていると思います。
 例えば、虚言癖のある少女が嘘に嘘を重ねた末に破滅に陥る「少女地獄」などは、短編ながら圧巻の迫力です。

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)
夢野 久作
角川書店

 

ドグラ・マグラ (下) (角川文庫)
夢野 久作
角川書店



少女地獄 (角川文庫)
夢野 久作
KADOKAWA

 戦前に活躍した、怪奇な世界を描き続けた作家ですが、今なお、その魅力は薄れていない、と感じさせられます。


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