ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

発症から寛解、その後

2017年10月12日 | 精神障害

  私は30代半ばでうつ病を発症し、その後激躁が起こって双極性障害に診断が変わりました。
 寛解したのが40歳。
 それまでは病気休職と復職を繰り返していましたが、ここ8年ばかりは、きちんと出勤しています。

 それはもちろん、服薬を続けたうえでの話で、服薬は高血圧の薬と同様、一生続けなければなりません。
 主治医は、癌の5年生存率を持ち出して、5年再発しなければ治療は大成功だと言え、まして8年間きちんと働けているのは全く立派なことだ、と褒めてくれます。

 確かに、うつで落ち込んでいる時や、躁で激しく上がっている時のことを思えば、今の私の精神状態は凪のように静かです。

 しかし同時に感じるのは、双極性障害の寛解というのは、発病前と同じになることとは異なっているのだな、ということです。

 私は少年時代から、将来は小説を書いて食っていきたいと思っていました。
 それは発病前の30代半ばにいたっても、そうでした。
 いずれは勤めを辞めて、フリーのライターになるのだ、と。
 まぁ、夢というか、欲望というか、野心が強かったのでしょうねぇ。

 しかし、40歳でほぼ寛解した時には、そういう思いは消えていました。

 何しろ疲れやすくなっちゃって、フルタイムで1日働くとクタクタになって、終業後に何かやろうという気持ちになりません。
 発病前は、仕事帰りに泳いだり、散歩したりして、さらにその後、家ではパソコンに向かって書き物をするのが普通だったというのに。

 普通のサラリーマン生活をこれからも引退まできちんと維持すること、それが私の目標になりました。

 病気の最中には、この病気さえ克服できれば、バラ色の未来が待っている、みたいに思っていました。
 それだけ病気がしんどかったのでしょうね。

 しかし待っていたのは、気分の浮き沈みこそ大幅に軽減されたものの、気力・体力が落ち、職場で与えられた仕事をこなす以上のことは不可能、という状態でした。
 服薬による副作用もあるし、後遺症みたいなものもあるのでしょう。
 とにかく疲れやすくなりました。

 それでも、気分が安定し、毎日職場に通えることが、最初のうちは嬉しく感じられました。
 なにしろ病気休職中は、スーツ姿のサラリーマンを見るのが嫌でした。
 嫉妬してしまうのですよ。

 その後出勤するのが当たり前になって、職場でも最初は腫れもの扱いだったのが、以前と同様に仕事を任されるようになって、気分は安定しているとはいうものの、なんだか目標喪失というか、このままダラダラ仕事を続けるのが自分の目標なのかぁ、と、生きているのか死んでいるのか、よく分からなくなってきました。

 もとより仕事を続けながら執筆することは、今の体力・気力では不可能であることは自覚しています。
 また、仕事を辞めて勝負に出るような年でもないし、そんなバカなことをして野垂れ死にする気もありません。

 多分、体の病気も同じなのでしょうね。
 治癒したからといって、それは発病前に戻るのではなく、日常生活に特別の支障が無くなる、ということなのでしょう。

 お釈迦様が修行の道に入る決意を固める契機となった、生・老・病・死の問題。

 私は知らないうちに、その問題にぶちあたってしまったのかもしれません。

 これをもとに発心を起こし、仏道修行に入るのがよろしいのかもしれませんが、今はただ、目標ともいえないような目標達成のため、コツコツと、日々を積み重ねていくほかありますまい。

 それは大層面倒くさいことではありますが。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする