ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

早すぎた埋葬

2014年07月16日 | 文学

 フィリピンで3歳の女児が葬儀の最中に生き返り、病院に搬送されたそうですね。
 参列者は腰を抜かしたでしょうが、時折、こういうことが起こります。

 医学が進歩していなかった頃は、仮死状態のまま埋葬され、墓穴の中でよみがえり、それらの人々がゾンビ伝説やヴァンパイア伝説を生みだしたものと考えられています。

 ただし、今と違うのは、生き返った、と喜んで病院に連れ込むのではなく、化け物だ、悪魔だ、と言われて寄ってたかって撲殺されてしまったこと。

 せっかく生き返ったのに、浮かばれませんねぇ。

 わが国のコントなどでも、葬式の最中むっくり起き上がり、なぜかそのまま葬式用の酒肴で酒盛りを始める、なんていう番組がありました。

 私が一番怖れるのは、火葬場に入れられた後に生き返ること。

 泣いても叫んでも誰も気づかず、生きたまま焼かれてしまうのです。
 これは様々な最期のなかでも、最も悲惨なのではないでしょうか。

 じつはそういう場面を描いた小説があります。
 たしか、筒井康隆「七瀬ふたたび」だったように記憶しています。

七瀬ふたたび (新潮文庫)
筒井 康隆
新潮社

 人の心を読むことができる超能力者の家政婦、七瀬が、自分に辛くあたったおばあさんの葬儀の際、火葬場に入れられたおばあさんが生き返り、焼け死ぬことを怖れて泣き叫んでいることを読み取るのですが、非情にも、七瀬は放置し、おばあさんは生きたまま焼かれてしまうのです。

 この小説を読んで、震え上がったことを鮮やかに思い出します。

 最期は生き返ることなく、きっぱりと死にたいものですねぇ。

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夫婦別姓

2014年07月16日 | 社会・政治

 知りませんでした。

 明治初期、姓を持たなかった庶民に姓を名乗らせるために布告された明治9年の太政官指令では、妻も夫も姓を得た後は、生家の姓を名乗ることが義務付けられていたんだそうですね。

 つまり、強制的夫婦別姓。

 同じ姓の者同士が婚姻すれば異なるでしょうが。

 ところが、明治31年制定の民法では、一転して夫婦は夫か妻の姓を名乗ることとされ、強制的夫婦同姓が始まり、今日にいたります。

 明治以前はかなり好い加減で、特に定めはなかったようです。
 ただ、武家は夫婦同姓が多かったようですが。

 長い間選択的夫婦別姓を認めよ、という運動が続き、最近では例外的夫婦別姓でも良い、と妥協しつつありますが、自民党の一部に根強い反対論があるようです。

 ことは選択的なのだから、どっちだって良いような気がします。
 夫婦同姓でも別姓でも、二人の意志で決められるわけですから。

 そしておそらく、選択的夫婦別姓が認められても、横並び意識が強いわが国の男女の多くが、夫婦同姓を選択するものと推測します。

 世間体とか、変な奴と思われることを怖れて。

 名は体を表す、と申します。

 私は夫婦別姓どころか、成人後は、理由のいかんを問わす、姓でも名でも自由に変えられるようにしたって構わないと思います。
 犯罪に利用されること必定ではありますが。

 世界を見渡しても、夫婦同姓を強要している国を、わが国以外に知りません。

 今、夫婦別姓と言うと、婚姻届を出さない事実婚か、職場などでの旧姓使用の届を出すかが、それに代わるものですが、法律による保護や生活の利便性などでは、法的な夫婦別姓に大きく劣ります。

 わが国の家族制度が崩れるとか何とか言いますが、明治31年に始まった比較的新しい制度に過ぎません。
 それ以前、わが国の家族が崩壊しまくっていたのでしょうか。

 私は選択的夫婦別姓を強く支持します。

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