男泣き、という言葉がありますね。
本来涙を見せるのは恥ずかしいとされている男が、あまりの感激や怒りなどの情動に突き動かされて泣くことで、かえって人の心をとらえたりすることがあります。
しかし、先般の兵庫県議の取り乱しぶりは、男泣きなどというしゃれたものではなく、ただ見苦しい、というより滑稽なだけの大号泣でした。
不正に出張旅費を取得したのではないかという疑惑に応えるための釈明会見ですが、ほとんど支離滅裂で、何が言いたいのかさっぱり分かりません。
まずはユー・チューブの動画をご覧ください。
この常軌を逸した会見、世界で物笑いの種になっているそうです。
そりゃそうでしょう。
本来政治家というものは常に冷静沈着で、感情的になってはいけない仕事のはず。
それがまるでこの世の終わりがきたかのように悲しみ、怒り、独善的で意味不明の釈明を繰り返し、まるで質問の意図と異なる発言をしたのでは、なぜこのような人が当選したのか不思議に思います。
推測ですが、同僚議員や秘書などの近しい人は、この議員がかなりおかしな人だと知っていたのではないでしょうか。
三つ子の魂百までと言うごとく、人間なんてそう変わらないもの。
きっと子供の頃は手がつけられない駄々っ子だったものと思います。
次の選挙に立候補するのかどうか知りませんが、必ず落選せしめてほしいものだと切に願います。
今日はあいにくの雨。
折角の七夕だというのに。
七夕にあたって、私の願いはただ一つ。
私の狂った精神が、平穏を保ち続けてくれること。
さらには平穏を保ちながらも感情を持ち続けること。
私の精神は、ちょっとしたきっかけで、激しく落ちたり上がったりするのです。
精神障害発症前から、そういう傾向はあったように思います。
良く言えば感情豊か。
悪く言えば情緒不安定。
気分を安定させる薬や不安を抑える薬を飲んでいますが、薬の力を超える負荷がかかれば、薬の威力など何ほどの物でもありません。
幸い、ここ数年、私の精神は平穏を保っています。
しかし、不安を取り除く薬を飲むと、楽しみや希望も消えてしまい、気分を安定させる薬を飲むと、好きな文学や美術などに感応しなくなります。
言わば不感症のロボットみたいなものです。
これでは人生を楽しむことは困難です。
生きているというより、死んでいない状態とでも申しましょうか。
しかし、うつや躁が激しかった頃を思えば、今は少なくともきちんと出勤できていますし、周りに迷惑をかけてもいません。
その一つをもって、良しとしなければならないのかもしれませんね。
欲望を言い募ればきりがありませんから。
でも七夕のお願いは、心中深くで行うつもりです。