午後、近所を散歩し、公園のベンチでくつろいでいると、小学校3年生くらいでしょうか、男の子4人が2対2に分かれてゴムボールとゴムのバットで野球の真似事を始めました。
「シンカーと見せかけて、ストレート」などと独り言を言いながら得意げに投げていましたが、当然シンカーでもストレートでもありませんでした。
大きな木を越えたらホームランというルールだったようですが、打たれたピッチャーが強硬にファウルを主張。
そんなことがたびたびあって、ルールはどんどん変わっていきます。
私も少年時代、まだ文学や芸術に目覚める前、首都高速7号線の下に作られた薄暗い公園で野球の真似事をしたことをなつかしく思い出しました。
今の子どもはゲームばかりやっているのかと思いきや、昭和の子どもと同じ遊びも残っているのですねぇ。
少し嬉しくなりました。
その後さらに歩くと、より大きな、野球場がある公園では、少年野球の試合をやっていました。
当たり前ですが、さっきの子どもたちとは比べ物にならない巧さでした。
なんでもきちんと習うということ、教育ということの重要さを感じました。
もっとも、自在にルールを変えながら人間関係の機微をも学ぶお遊びの野球ごっこも、十分学習の機会にはなるでしょう。
少年たちはこれから将来への希望に燃えて勉学にスポーツに、また恋に遊びに励むものと思います。
そして挫折や失敗を繰り返していくでしょう。
少年たちの元気な姿を見て、人生に疲れ、精神を病んだおじさんは、彼らのこれからが幸多いものであらんことを祈らずにいられませんでした。