白無垢の花嫁が頭に載せる装束を、俗に角隠しと言いますね。
江戸時代の川柳に、
ありがたい 出る角かくし 眉かくし
というのがあります。
花嫁というもの、さらには女人というものは、嫉妬や慾や恨みつらみの感情を隠し持っているという意味で、大乗仏教が生まれるまで、女人は成仏できないとされていました。
法華経で女人成仏が説かれ、浄土教でも同様の教えが始まり、かくて鬼たる女人も成仏できるというありがたい時代が到来したのです。
女が鬼となる物語といえば、安珍清姫伝説を嚆矢としますが、江戸時代、両国の回向院で、清姫が蛇に変化した際に生えた角が展示され、たいそう話題になったそうです。
これは能の「道成寺」、歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」にまで昇華することになります。
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男への嫉妬心などから鬼となった女に、高僧が読経して心を鎮めさせ給い、かくして鬼の角がぽろっと取れて女は鬼から人に戻り、男と仲睦まじく暮らす、というのが近世の鬼女を題材にした仏教説話の典型と言えましょう。
一般に中世の仏教説話より平易で面白おかしく描かれているのは、近世に至って文字を読める庶民が増え、彼らを教化するためにより平易になったものと推測します。
私と親しい女性の友人たちや、同居人を見まわして、鬼女と呼べるほどの強い情念を感じたことはありません。
ただ、ふとした瞬間に、あまりにも邪悪な言葉をぽろっとこぼしたりするのを時折聞くことがありました。
そんな発言は聞き流していますが、昔の人は、ことさらにそれらの発言や行動を怖れたのでしょうねぇ。
かの「源氏物語」でも、六条御息所は生霊となって恋敵を取り殺すなどの怖ろしい所業に出ています。
女性が作者のこの物語でも、女性の悋気の怖ろしさが強調されているのは興味深いところです。
しかし、男の嫉妬はもっと怖ろしいと言いますね。
とくに権力闘争などの際には、いともたやすく敵方の一族郎党を殺害したりします。
おそらくそれらあまりに暴力的な男の嫉妬を描くよりも、どこか可愛げのある、情念に燃える鬼女を描くほうが、物語として面白いうえ、女人成仏という教えを広めるのに役立つと考えたものと思われます。
そうであるなら、私たちはもっと気楽に、鬼女に感情移入しながら、それら説話を楽しめばよろしいでしょう。
一方、先般、佐世保で同級生を殺害に及んだ女子高生は、恨みもつらみも金銭欲も関係なく、純粋に殺人を楽しむ、怖ろしいサイコパスでしょうねぇ。
小学生の時にも、三度も給食に毒物を混入させ、殺人未遂事件を引き起こしていると聞き及びます。
そのたびに、弁護士である父親がもみ消したとか。
お母様が亡くなられているのも、なんだか怪しい気がします。
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