ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

鬼女とサイコパス

2014年07月29日 | 文学

 白無垢の花嫁が頭に載せる装束を、俗に角隠しと言いますね。
 江戸時代の川柳に、

 ありがたい 出る角かくし 眉かくし

 というのがあります。

 花嫁というもの、さらには女人というものは、嫉妬や慾や恨みつらみの感情を隠し持っているという意味で、大乗仏教が生まれるまで、女人は成仏できないとされていました。

 法華経で女人成仏が説かれ、浄土教でも同様の教えが始まり、かくて鬼たる女人も成仏できるというありがたい時代が到来したのです。

 女が鬼となる物語といえば、安珍清姫伝説を嚆矢としますが、江戸時代、両国の回向院で、清姫が蛇に変化した際に生えた角が展示され、たいそう話題になったそうです。

 これは能の「道成寺」、歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」にまで昇華することになります。

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 男への嫉妬心などから鬼となった女に、高僧が読経して心を鎮めさせ給い、かくして鬼の角がぽろっと取れて女は鬼から人に戻り、男と仲睦まじく暮らす、というのが近世の鬼女を題材にした仏教説話の典型と言えましょう。

 一般に中世の仏教説話より平易で面白おかしく描かれているのは、近世に至って文字を読める庶民が増え、彼らを教化するためにより平易になったものと推測します。

 私と親しい女性の友人たちや、同居人を見まわして、鬼女と呼べるほどの強い情念を感じたことはありません。

 ただ、ふとした瞬間に、あまりにも邪悪な言葉をぽろっとこぼしたりするのを時折聞くことがありました。

 そんな発言は聞き流していますが、昔の人は、ことさらにそれらの発言や行動を怖れたのでしょうねぇ。

 かの「源氏物語」でも、六条御息所は生霊となって恋敵を取り殺すなどの怖ろしい所業に出ています。
 女性が作者のこの物語でも、女性の悋気の怖ろしさが強調されているのは興味深いところです。

 しかし、男の嫉妬はもっと怖ろしいと言いますね。
 とくに権力闘争などの際には、いともたやすく敵方の一族郎党を殺害したりします。

 おそらくそれらあまりに暴力的な男の嫉妬を描くよりも、どこか可愛げのある、情念に燃える鬼女を描くほうが、物語として面白いうえ、女人成仏という教えを広めるのに役立つと考えたものと思われます。

 そうであるなら、私たちはもっと気楽に、鬼女に感情移入しながら、それら説話を楽しめばよろしいでしょう。

 一方、先般、佐世保で同級生を殺害に及んだ女子高生は、恨みもつらみも金銭欲も関係なく、純粋に殺人を楽しむ、怖ろしいサイコパスでしょうねぇ。

 小学生の時にも、三度も給食に毒物を混入させ、殺人未遂事件を引き起こしていると聞き及びます。

 そのたびに、弁護士である父親がもみ消したとか。

 お母様が亡くなられているのも、なんだか怪しい気がします。

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少女による快楽殺人

2014年07月29日 | 社会・政治

 高校1年生の少女が、同級生の少女を殺害のうえ、首と手首を切断するという凄惨な事件が発生してしまいました。

 犯人は「人を殺してみたかった」と供述し、過去、あまたの小動物を殺害、解剖してきたそうです。

 これは明らかに快楽殺人ですねぇ。

 一般に快楽殺人というと、男が行うものというイメージが強いですが、今回は少女。

 ハンティングが趣味の美少女が快楽殺人に目覚めるまでを描いた妖しいまでに美的な映画、「イノセント・ガーデン」を思い出します。



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 女性にも、快楽殺人者が存在するのだということをあらためて思い知らされました。

 快楽殺人に限らず、性犯罪というのは、繰り返す傾向にあります。

 それは考えてみれば当たり前で、ノーマルな性欲を持った男が、1回性交したからといって満足するはずもなく、何回も性交しよう、それもできれば多くの女性と性交したい、と願うでしょう。

 そういう意味では、犯罪行為を犯さなければおのれの欲望を満たすことが出来ないというのはお気の毒ともいえます。

 精神の内奥から湧き出る性欲が、どういう嗜好性を持つかなんて、誰にも分からないし、コントロールすることも出来るはずがありません。

 映画なら美的と評することも出来ますが、現実にこのような事件が起きれば、被害者は若い命を散らし、遺族は悲嘆にくれ、世論は怒り、誠にやりきれない気分にさせられます。

 しかも犯人は少年法に守られ、大した罪に問えないでしょう。

 圧倒的多数の人々は善良であると思いますが、ごくわずか、どうしようもない犯罪志向を持った人がいて、これは人間社会のバグのようなものなのだろうと思います。

 そうであっても人間である以上、基本的人権は尊重されなければなりませんが、同時にこのような人々から社会を守る方策、それも少々荒っぽい方策が求められます。

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