ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

迷路

2014年07月26日 | 社会・政治

 テレビのドキュメンタリー番組で、夫と2人老後の生活を送る奥様が、「出世とか、お金とかじゃなく、愛する家族と他愛も無い話をしながらご飯を食べられるのが幸せだ」と言っていました。

 おっしゃるとおりだと思います。

 ただし、この老夫婦、住まいやお召し物から察するに、相当裕福であるとお見受けしました。

 社会学の考え方に、幸福のパラドックスというのがあるそうですね。

 貧しい社会では、可処分所得が増えると幸福感が右肩上がりに上がっていくの対し、豊かな社会では、可処分所得の上昇が幸福感に結びつきにくい、ということのようです。

 貧しい社会は豊かな社会を夢見て努力し、その間の幸福感は高いけれど、豊かな社会を達成してしまうと幸福感の上昇がみられなくなるとは、なんとも皮肉な現象です。

 食えないほど貧しくては幸福感を感じられるはずもありませんが、食えれば、幸福感というのが主観的なものである以上、さほど裕福でなくても幸せということでしょうか。

 あるいは、頑張ればもっと裕福になれる、という発展途上の段階のほうが、やる気が涌いて、そのやる気が幸福感につながるのかもしれませんね。

 そうだとすると、明日を夢見ている間が一番幸福だということになり、明日は永遠に明日のままのほうが良いということになるのでしょうか。

 私はそうは思いません。
 今が幸せでなければ。
 幸福であろう永遠の明日なんていりません。

 わが国はお金持ちクラブの一員で、総じて豊かな生活を送っています。
 しかし、国民の幸福感はさほど高くありません。

 まさしく、幸福のパラドックスという迷路に、国民の多くが迷い込んでしまったようです。

 所得が増えると家族の人数が減るという現象も広くみられ、これも幸福のパラドックスの一つと考えられているようです。

 わが国の最大の問題が少子高齢化であることを考えれば、幸福のパラドックスという考えは、怖ろしいほど当たっています

 で、この考えの怖ろしいことは、現時点ではそれに対する対処法が無いことです。
 現代の先進諸国は過去、人類が経験したことのない物質的豊かさのなかに生きており、その中で生まれたのが幸福のパラドックスですから、ことは現在進行形の問題で、誰も解決策を見出せないでいるのです。

 そしておそらく、世界最悪の少子高齢化を迎えているわが国が、否が応でも解決策を考えなければならないのでしょう。

 それは自己実現を目指せみたいな精神論ではなく、もっと即物的な方策でなければ、意味は無いものと考えます。

 もちろん、私もどうしてよいやらさっぱり分かりません。

 まさしく複雑な迷路に入り込んだとしか言い様がありません。

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