ステージおきたま

無農薬百姓33年
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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

葬式、変わった!!!

2017-01-24 08:59:59 | 地域文化

 隣組で葬式、婆っちゃが亡くなった。こっちは田舎に移り住んでたかが20年、しかも、学校勤め、その婆っちゃと言葉を交わしたことは多分ゼロ。そんなこたぁ関係ない。葬式となれば、なにはさて置き、お手伝いだ。

 以前は、2日間、まるまる仕事があてがわれた。墓場周辺の、夏なら草刈り、冬は除雪。墓石を洗い清め、墓所が石組の立派になる前は、墓穴掘りだってした。墓掘り人のご苦労ぶりは、何故か超なま物のサバ缶を肴に1升酒。出棺の際には、棺桶を担ぎ、ご遺体と親戚一同が焼き場に行ってる間に、葬儀会場を整え、入り口には受付のテントを設置する。引き物を袋に詰めて待ち構える。葬儀は自宅、当たり前だった。家が広い田舎なればできること。そのために、隣組の手伝いは無くてならないものだった。

 それが、お寺さんでの儀式が増え、さらにここ最近は、葬祭センターがもっぱらになっている。何から何まで、葬儀社の担当者が取り仕切ってくれるから助かる。そりゃそうだ。ご近所さんだって会社勤めがほとんど、まるまる2日間も暇だれできる人などまずいない。葬儀社もそこらあたりにつけ込んで、あの手この手とサービスの網を広げて行く。、

 今回の葬儀は、ほぼその究極のパターンにたどり着いたって感じだった。以前は女子衆の役目だった当日の昼ごはん出し、(この時のメニューは決まっていてささげ入りの白ふかしのおにぎりに豆腐汁、おかずは大根と揚げと椎茸の煮もの、それと菜っ葉のお浸し、美味かった!)は、葬儀会場で仕出しのおにぎり2個入りパックに変わった、ああ!味気なし。引き物の準備だってほぼ終わっていて、後は会葬御礼の封筒を入れるだけ。お手伝いの仕事としては、会葬者の受付と引き物と花渡し。引き続き忌中法要を終えれば、祭壇を外す壇払いだが、外し方など不要、飲み食いあるのみ。自宅に戻ることなく、葬儀会場の別室。終われば、さっさとバスで送り返される。

 変わらないのは、香典にかかわる部分だけだ。受付と帳場。参会者から香典をおあずかりし、隣室に設えた帳場で、いただいた方の名前を記帳し、金額を確認する。さすがにお金に関わることなので、トラブルは避けたい、葬儀社は手を出さない。ご近所さんの信頼にお任せしますってことだ。帳場を任されるようになってほぼ10年、この仕事の仕方にも変化の波はひたひただ。

 なんと、御香典帳が横書きになっていた。てことは当然、筆書きからサインペンでの記載に変わる。楽になったぁ、助かったぁ、筆など日ごろ縁のない人間には、これは大いなる救いだ。普通2人組で仕事に携わるのだが、一緒に組む長老級の人たちは本当に!筆字が上手かった。横で恥ずかしさに身を縮こませながらこそこそと記帳に励んだものだった。それが、サインペン!心なんてこもらない。必要なのは間違いのない記入だけ。要するにただの帳簿になってしまったってことだ。

 以前の御香典帳は、大切な記念の品だった。葬儀の後も、残された人たちが、たまにページを繰って、参会者を思い浮かべつつ故人を偲ぶ貴重なよすがだった。そこには故人の生きた人間関係が色濃く記憶されていた。でも、今は違う。入ってきた現金と香典袋を突き合わせる台帳に過ぎない。帳場担当者には楽にはなった。記帳を間違えなければよい。でも、あの以前の祈るような一筆一筆は用なきものになってしまった。

 などと感傷に浸るのも、歳をとった証拠だ。せいぜい、金勘定、間違えまいぞ!と気を入れて仕事に励んだ。お陰で一発ご明算!ほっとした。それにしても、受付と帳場を除けば、さしたる仕事はない。隣組総出のお手伝いというのも、近いうちに変わっていくことだろうな。仕事に比して、引き物、檀払いのふるまいと、見返りが大きすぎるもの。不合理なものが淘汰されていく、それは時代の流れだ。でも、不合理なしきたりには、人と人との掛け替えのない思いが絡まってもいるんだ、ってことに、今頃になって思いをいたしている。歳じゃ!

 

コメント
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