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ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

『侍タイムスリッパ―』こう来たか!

2025-04-30 10:33:43 | 映画・ドラマ
やっと見られたよ。
ドラマ・映画タイムは1時間半までって、決めてるもんでね、2時間超えの映画見ようと思ったら、あれこれやり繰り必要なのよ。

その工夫の一つ、風呂(薪)焚きの時間短縮!徹底的に煙突掃除したからねぇ、うほっ、速ぇ、速ぇ!20分短縮できたぜ。風呂釜の点火時間も早めて、さらに20分稼いで、

よっしゃ、今夜こそ見るぞ!『侍タイムスリッパ―』
アマゾンプライム、ありがとう!
おっと、ネタバレありなので、注意!



幕末の侍が現代の映画撮影現場にタイムスリップって、設定は聞いてたから、ほうほう、それなら、本物の侍が作り物の時代劇に戸惑いと違和感沸騰で、行き違う、そのすれ違いから、江戸と現代の隔たりが浮かび上がって、コミカルなシーンと時代批評を生み出す、って、まぁ、タイムスリップものの常道を予想していたんだ、が、

さっさと裏切られちまったねぇ。この突如出現した会津武士、さっさと自分の境遇を理解しちまった。映画だか舞台だかの宣伝ポスター見て、140年後の時代に来てしまったってことをね。

えっ、それでいいの?侍としての、それも幕末の志士としての強烈なアイデンティティはどこにしまってしまうの。ついさっきまで暗殺せんとぎらつかせてた目はどこにいってしまったの。

救ってくれたのが、時代劇映画の女性助監督、放浪の末倒れたところがお寺さん。なるほど、この設定が効いてくるわけだ。
お堅い会津武士なのに、意外にもすんなりと現代に同調していくんだよな。おにぎり飯の白さに感動し、ショートケーキを超高価な菓子とありがたくいただくなど、なんて、素直に?生まれ変わり、現実に溶け込んで行く。

無骨者の己に出来ることは、剣術、それを生かすために、飛び込むのが殺陣の切られ役。尊敬する師匠にも出会い、めきめきと腕を上げ、注目度急上昇。
なるほど適応力旺盛で人懐こい古武士かぁ、これは新しい。
ここまでが前半。

ここで終わったんでは、タイムスリップものの亜種、程度のインパクト、日本アカデミー賞に輝くはずはない、って思っていたら、

うおっ、幕末暗殺決行の場で、切り結んでいた相手の長州藩士も同じ場所にタイムスリップしてた!これは、意表を突く展開ってやつだぜ。

しかも、長州侍の方は、30年前にこちらに来ていて、さらに、しかも、同じように切られ役から出世して今では有名俳優になっていた!って、さすが、もう、思い付き頼り、やりたい放題!うーん、韓ドラ、例えば『トッケビ』、『財閥家の末息子』に迫る自由奔放さだぜ。

こうアイディア飛躍させれば、次は両者の時代劇対決!だろうな。
140年前、敵味方として刃を交わした相手が、時代劇で対決する。さすがに物わかりよく順応性抜群の会津っぽにも、過去のいきさつが浮かんできて、折角の大抜擢にも心浮かぬ日々が続くが、二人の思いの齟齬が逆に緊迫感を孕んだシーンを生んで行く。

いよいよ、クライマックスの決闘シーンの撮影。
その前日付け足されたシナリオから、会津鶴ヶ城の壮絶な落城の有様を知ってしまう。もし、時代を跳躍することなければ、会津藩士として、己もその惨状の中に倒れていたことだろう、女、子どもまでも戦い散った同胞の姿が浮かび、時代劇にうつつを抜かす自分に別れを告げる。

会津武士の選んだ、生き直す道とは、・・・



さすがに、これ以上のネタバレは申し訳ないよな。一気に盛り上がり、二人に凝集する緊迫のシーン、これは見ものだぜ。

2時間超、大いに楽しめた映画、さすがだなぁと感心しつつ鑑賞タイムを終えたが、翌日思い直してみると、

うーん、最後のシーン、会津と長州、二人の武士が「二人とも精一杯生きた」って言葉で和解。
その時は、いいよ、いいよそれでいい、って優しく納得したんだが、果たしてそうなのか?

精いっぱい生き抜けば、すべては許されるのか?
明治維新の神格化も限界を迎えつつあり、幕府方への理解も深まって、両者の相対化、まぁ、どっちも可能性はあったよな、も進みつつある今となっては、精いっぱいで仲直りも可能な気もするが、

これが、朝鮮独立運動の義兵や3.1で決起した若者たちと弾圧した総督府の将校だったらどうだ?原爆で焼き殺された広島、長崎市民と今も投下を否定しない飛行士ならどうだ?

いや、幕末争乱にあっても、抹殺の犠牲となり、遠く北海道にまで終われた会津士族と、徹底的な絶滅を明治だ官軍指揮官、だれだったか?との間はどうだ?

歴史は、精いっぱい生きた、で手打ちできるもんじゃないってことだぜ。
その時代にあっては、一人一人、己のなすべきことと信じて命を掛けたとしても、歴史の検証の中で、犬死だったり、逆賊だったり、場合によっては罪人として弾劾されることだって大いにあり得るんだ。

一生懸命、命令に従ったナチスの若者たちも、戦後執拗に罪科を追及されたし、今や、ガザで虐殺行為を繰り返すイスラエルのシオニストの兵士たちも、いつか必ず、歴史の場で厳しく断罪されるはずだ。

歴史は、人々の善意や誠実ささえも否定し尽くす。その覚悟を持って生きたいって思うのだ。











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