『気』というと気功師や特殊な能力を持った人にしか無いと思われがちですが、誰にでもあります。少なくとも「気気」をするくらいの気はあります。よく「私には気を出せません」「気がわかりません」などと質問されますが、そういう人でも気気をすれば相手や自分が「スッキリしたり」「気持ちよくなったり」します。「気があるから変わったのですよ」と言うと気のせいかも知れないと言うので、では気のおかげにしておきましょうとなりました。
こういうふうに気は目には見えませんので扱いづらいのですが、気気をしたあとの「スッキリしたり」「気持ちよくなったり」というからだの変化をもって、それは『気のハタラキ』によるものと考えました。「万物を生かすハタラキ」です。それを気と呼ばずに「自然」「宇宙」「神」「本能」「道(老子)」・・・と言い換えることもできますが、私は気になじみがありましたので、気を使うことにしました。
中国医学や喜怒哀楽などの感情もこの大きな気に含まれます。