気気は『球拾い』とよく似ています。打ったり、投げたりするのには技術が要りますが、『球拾い』は誰でもできます。足が遅くても、反応が鈍くてもできます。
中学一年生の頃、私は『球拾い』でした。ファールボールや遠くへ飛んでいってしまったボールを拾いに行きます。私はそれがイヤではなく、むしろそこが自分にとって安心できる場所でした。打ったり投げたりすることが下手だったので、『球拾い』ならば、恥もかかず、失敗もしないので怒られずに済むと思っていたのです。
技術には上手い下手があり、競争があります。それは比較・分別の世界です。日常生活のほとんどは、比較・分別の世界ですが、しかしそれだけでは、どうも落ち着きません。「比較しない」、「分別しない」、そういう所もないと安心できません。『球拾い』のように誰でもできるもの、気気はそういうものです。
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