家の裏山に神社があり、仕事の行き帰りなどで前を通るときには挨拶をする。気の澄んだ境内で太極拳をすることもある。
太極拳をするには、まず立たなければならない。社や狛犬、周りの木々を前にして、キチンと立たなければならない。キチンと立てずに太極拳はできないからである。しかしキチンと立つことは難しい。上手く立てずに太極拳をせずに帰ったこともある。どうしたら上手く立てるのか。それは直接的に筋肉の力を抜いたり入れたりすることではなく、外形を整えることでもない。意識の使い方なのである。眼の前にある物事をどうとらえるか(考えるか)ということである(具体的な方法は又別の機会に)。そのような意識がからだを整えていく。
ずいぶん前に気功の師に「山で練習すると、天狗がいろいろ教えてくれる」と言われたが、もちろんそれは実際に天狗が出て来て手取足取り教えてくれることではない。言えることはここで考えたり、発見したり、気づいたりしたことが、「立つ」ことを大事にする切っ掛けになったということである。