渓流釣りをしていると他人にいうと、自然を満喫しているように思われることが多い。しかし実際の釣行では「釣る」ことだけを考えていて、自然を味わっている感はない。目的があると、自然の中にいても自然と一体になることができない。自然の写真を撮ったり絵を描いたり、鳥を観ることも同様だろう。
大自然を前にして、何をするわけでなくただそれを眺めていると、自然と一体になる感じがすることがある。ただぼんやりと眺めている状態を「無目的」と言ってもいいだろう。「目的」というのは、数ある選択肢の中から一つの方向を目指すということである。いくら選択肢があっても、何も目指さなければ、それが無目的である。人の日常は目的ばかりであり、滅多にこういう無目的な状態にはならない。しかしこのように無目的な時、身心は普段とは違って深い安らぎを感じられるようになる。
目的を持つことは自然なことであり、またそれでこそイキイキと生きられるものだが、はじめから目的ばかりを追求していると、身心が落ち着かなくなる。時に「無目的」な行動をして、身心のバランスを回復させた方が良い。無目的と目的の両立。私の練習している「理想の立ち方」は、一度「無目的」を目指して、後から「目的」が(アタマで考えるのではなく)自然に内側から湧いて来る方法である。
大自然を前にして、何をするわけでなくただそれを眺めていると、自然と一体になる感じがすることがある。ただぼんやりと眺めている状態を「無目的」と言ってもいいだろう。「目的」というのは、数ある選択肢の中から一つの方向を目指すということである。いくら選択肢があっても、何も目指さなければ、それが無目的である。人の日常は目的ばかりであり、滅多にこういう無目的な状態にはならない。しかしこのように無目的な時、身心は普段とは違って深い安らぎを感じられるようになる。
目的を持つことは自然なことであり、またそれでこそイキイキと生きられるものだが、はじめから目的ばかりを追求していると、身心が落ち着かなくなる。時に「無目的」な行動をして、身心のバランスを回復させた方が良い。無目的と目的の両立。私の練習している「理想の立ち方」は、一度「無目的」を目指して、後から「目的」が(アタマで考えるのではなく)自然に内側から湧いて来る方法である。