亡くなった人の映像(ビデオ)を見ても、その人が生きているとは思わないが、声だけを聞くと、その生々しさに何処かで生きているのではないかと錯覚してしまうことがある。
人は死ねば、顔も手も足もその温もりを失い、形が変わるものだが、声はほとんど生前と変わらずに残る。
声を聞いて親しく感じるのは、言語やその内容によるものではなく、声の中にその人らしさを感じたときである。感情だけでなくからだの様子(緊張・弛緩のバランスや重心の位置)なども声に反映する。そういう身心のその人らしさが、個性として声の上に現れるから、すべてのひとの声は違うのである。
CDをはじめ、私たちがテレビなどから聴く音は、加工されたものが多い。しかし原音から離れれば離れるほど、声の主や演奏者の個性が無くなっていく。
声はレコードや楽器の音と同様に共鳴したり、からだに響くものだ。録音されたものであっても、それが空中を伝わり届く。届けられるのは「音」化された声だけなのだろうか。それ以外にも何かが伝わることはないのだろうか。私たちは無音の中にも気配を感じることがあるのだから、そういうものが一緒に伝わってほしいと思うのだ。
臨終の時に、「耳」は最後まで残る(聴こえる)と言われているが、それは耳が言葉を認識する機能だけを持っているのではないからだと思っている。