「青葉城恋唄」は文学的な歌詞が、そよ風のようなやさしい風に乗っている。歌い出しの「広瀬川」はゆったりとした瀬の流れだが、「流れる岸辺」になると、やや川の速度が上がる。瀬を流れる川の水の速度は一定ではない。川底の深さや水中の石や岩の形状で変わるものである。川の流れは季節のめぐりと共に、「無常観」を現す。岸辺に佇めば、あの時と同じ川が眼前に在る様に見えるが、あの日に見た川の水は、とっくに流れ去り、そこには別の川が在ることに気がつく・・・。
「想い出は 帰らず」というフレーズが1番~3番まですべてに入っていて、しかもその位置は第1フレーズの直後で、若干の唐突感がある。
「想い出は 帰らず」とはどういう意味だろう。「想い出」ならそこにあるではないか。「ゆれていた 君のひとみ」も「願いをこめた 君のささやき」も「ぬれていた 君のほほ」も「想い出」でだ。無いのは「現実」である。君との楽しい「想い出」は既に過去のものであり、現在に実感を持って蘇らすことはできない。その出来事を過去形の「想い出」にしたのは、主人公(作者?)である。もし、まだ彼女への想いがあるのであれば、「想い出」という言葉を使わなかったはずだ。だから最後のフレーズで「あのひとは もういない」と言っても、それは未練ではないし、もう一度生々しい付き合いをしたいなどとは露ほども思ってはいないのである。
一旦「想い出」にしてしまえば誰も傷つけることはないから、「葉擦れ」は清で、「吹く風」はやさしい。この歌を通して流れる美しい歌詞は、主人公(作者?)が彼女を「想い出」にすることと、引換えに生まれたものだろう。「想い出」にする前の詞があるのなら、その詞もまた読んでみたかった。
もう一つ気になることがある。歌ってみれば分かることだが、3番に字余りの箇所が幾つかある。1・2番の冒頭の「広瀬川」「七夕の」は5文字だが、3番の「青葉通り」は6文字である。「おどる光に」「かがやく星に」は7文字で、「こぼれる灯火(ともしび)」は9文字。また「瀬音ゆかしき「葉ずれさやけき」は7文字だが、「吹く風やさしき」は8文字となっている。文字数は故意的に増やされていたのだろうか。その意図は単調を嫌ったのか、強調だったのか、或いは他の何かがあったのか・・・「想い出」にしてしまったことの悔恨で、ココロが揺れているのならば、その方が共感できそうだ・・・。