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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

太極拳のBGM

2018-05-11 10:05:54 | 太極拳
 トム・ウエイツのCDを買った。「ハートアタック・アンド・ヴァイン」。いつもレコードで聴いていたから、CDで聴くとなんだか違和感がある。太極拳教室のBGMとして早速使っている。太極拳のBGMとしてふさわしいかどうかを心配する人がいるかも知れないが、私はジャンルにとらわれず、好きな曲、その日にかけたい曲を選ぶようにしている。バッハの室内楽が多いが、ローリングストーンズやロバート・ジョンソンをかけることもある。エルビスやチャック・ベリーも悪くない。太極拳は静かでゆっくりしているから、二胡の演奏やバラードの方が合うと思っている人は、ほかの曲を試してみればいい。虚心になれば案外どんな音楽でも合うものである。
 それから太極拳の動きをBGMに合わせる必要などまったくなく、BGMはBGMとして楽しんで、太極拳は太極拳としてしてやればいいのである。いずれにしろ集中すればBGMは耳に入らなくなるのだから。

 トム・ウエイツの音楽をもう30年も聴いている。私の下手な歌を30年トム・ウエイツに聴かせている。
 
*写真は「ハートアタック・アンド・ヴァイン」のレコードと弾き語り用の歌本。


太極拳という言葉

2017-11-20 08:35:33 | 太極拳
 先日縁あってカナダの人と会った(厦門大学留学時の中国の友人には日本人のご主人がいて、そのお姉様のご主人)。その人とお姉様(その人から見れば奥様)は、1984年に北京体育学院の夏の短期留学で出会い、その後山東省の大学に留学されたという。私は1990年に北京体育学院に留学したのだから、その6年前である。共通する話題も多く楽しかった。部屋の中で陳式太極拳や気功を一緒にすると、多少形が違っていても親近感が湧く。そう、太極拳という言葉で話をしているのだ。形を観ればその人が太極拳をどう理解して、太極拳に何を求めているのかが分かる。
 思えば今までも、ギターや野球という言葉で仲間と話をしてきた。言語に依らない言葉を使えば、相手をより深く理解することができる。

動作を考えない

2017-07-16 09:23:54 | 太極拳
 太極拳をするときに動作を考えてしまうのは、詩を読むときに言語の表層の意味にとらわれてしまうことと同じである。どちらも大事なところにたどりつかない。からだを忘れると上手く「立てる」ように、太極拳は動作を考えないと上手くできる。
 ではなぜ考えるとうまくできないのか。考えることは特定の場処(筋肉)を緊張させて、バランスを失うからである。
 では考えない方がいいのか。
 そうではない。物事を相対的ではなく、一つのものとして考えるようにすればいい。たとえば、教室で太極拳をするときには、目に観える物をすべて意識していく。壁・床・黒板・窓・コンセント・避難路のマーク・・・目には見えないが空気も意識する。そうすると、バランスの良い立ち方になり、太極拳も良くなる。
 この意識(イメージ)が一番ではない。本人のレベルが上れば、今までのイメージは効果が薄くなってくるから、新しいイメージをした方が良い。その切り替えのタイミングは自分で分かる。

基本か型か

2017-02-10 09:10:58 | 太極拳
 某スポーツクラブで陳式太極拳を指導している。型(套路)は終了して、次は質的向上を目指す段階なのだが、どうもこちらの意図が生徒に通じないようだ。
 型はいくら繰り返し練習しても質的に向上することはない。自転車を何十年乗っても美しい乗り方になることはないし、箸を毎日使っていても使い方のレベルが上るわけではないのと同じである。質を上げるには、今までとは違う練習が必要だ。それは基本練習である。私の場合基本練習といえば「立ち方」を良くすることだ。「立ち方」といっても形ではなく、内側の問題。筋肉の弛緩と緊張のバランスである。「立ち方」のバランスが悪いのに、どうして型が上手くできようか。生徒は恐らくバランスの悪さを自覚していない。普通に立って生活しているのだから問題ないはずだと単純に思っているのだろう。
 幸い私は野口整体を勉強したお陰で、からだの感覚に敏感になった。「立った」ときに良いか悪いか分かるようになった。からだの何処に力が入って抜けないのか、ピンポイントで把握できるようになった。歪む原因は必ず意識(考え方)と関係があるということも分かった。意識を変えない限り、よいバランスにはならない。
 こういう事を以前から言っているのだが、伝わらない。先日も立つ練習をした後、24式班を見るためにその場を離れると、彼らはもう「型」を始めている。
 他人に「思い」を伝えることは本当に難しい(もちろん、教室や生徒一人ひとりで違うのだが…)。生徒たちに今後、どうしたいのか訊いた。基本練習「立つ」をキチンとやるか、基本はやらずに型だけをやるか。次回各々答えてもらうことにした。もしも「型だけで良い」と言われても、受け容れるつもりだ。人が違えば太極拳に対する思い・考えが違って然りである。

夜明けの太極拳

2017-01-12 13:39:25 | 太極拳
 年末に、フェイスブックにある動画を載せたら、ブログにも載せた方が良いと友人に言われたので、それに従うことにした。
 明け方に近くの山の尾根で太極拳をしたものだ。太極拳といっても競技用や実践などいろいろ種類があるから、そういう人達から見れば、私のそれは太極拳ではないかも知れない。私にとって太極拳は最終目標ではなく、からだのバランスを身に付けたり、確かめたりする手段である。完成には程遠いが仕方があるまい。
 十数年前のことを思いだした。某市のスポーツイベントで、太極拳を披露したことがある。それを見た人から「整体をしてほしい」と言われたことがあった。こういう太極拳をする人ならば(信じられる)と。当時の太極拳は現在よりもレベルの低いものだったが、それでも感じてくれた人がいた。たとえ本人にとって理想の太極拳でなかったとしても、誰かの気持に何らかの影響を与えることができるのであれば、嬉しいことである。

太極拳動画はここ

写真は尾根から新宿方面を望む(1月5日頃)