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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

全身をつなげる

2015-09-05 10:39:31 | 健康
 からだは全身を一体として使わなければならない。いわゆる「一動全動(一ヵ所動けば全身が動く)」である。よく誤解して、手足を一緒に動かせばよいと考えてしまう人もいるがそうではない。たとえ百ヵ所でも、同時に動かそうと思ってしまってはおかしくなる。
 まず、からだを繋げることだ。余分な力を丁寧に抜いて行けば、自然にからだは繋がる。からだを使う時には、動作はもちろん、手足にも特別意識を向けず、ただそのバランスを崩さないようにする。そのためのよい練習方法がある。腕を垂らして自然体で立ち、丹田だけをゆっくりと上下させる。その時、その動きに伴って骨盤も上下し、胸・頭など水落から上は、丹田とは逆方向に動く。これを繰り返していけば、全身が協調して動くようになる。私はこの練習を始めてから、ほとんど腰痛が起きなくなった。また、太極拳「腕の開合」の基本練習にもなる。丹田→胸→肩→二の腕→肘→手首と力を伝えていく。丹田が下がれば胸は上がり、それは左右にも開き出して、肩→二の腕→肘→手首と伝わっていく…これが「開」である。丹田を上げた時は「合」である。
 からだは元々ひとつなのだから、余計なことをしなければ、よい使い方ができる。しかし余計なことをしていることに気が付かない人も多い。

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丹田と全身

2015-08-28 14:18:52 | 健康
 丹田の丹は不老不死の薬のことで、丹田とはその薬の作られる処だと聞いたことがある。丹田で実際に薬が製造されているのかは不明だが、それと同様の価値があるということはいえる。丹田がきちんとすれば、薬が不要なくらい健康になれるからだ。
 丹田がきちんとするということは、充実する(内側から力が湧いてくる感じ)ことである。全身の余分な力を抜いて、アタマの中の雑念を減らすと丹田は充実する。丹田は全身の様相と関係がある(丹田だけにピンポイントで力を入れても維持することはできない)。そういう意味では丹田だけが大事なのではなく、全身との関係の中に丹田はある。

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年に1度 会う友人

2015-07-12 19:53:24 | 健康
 先輩でもあり友人でもあるLさんとは、年に1度会う。彼が全日本武術太極拳大会に出場するのに合わせて、ある時は食事をし、ある時は酒を飲み、ある時はお茶を飲みながら話をする。北京体育学院(現大学)に留学した時からの付き合いなので、もう25年くらいになるのだろうか。
 彼はキチンと身体を使うことを長年独自に研究してきて、私は彼から本当に多くの事を教わった。彼の説明が簡潔で分かりやすいのは、身体にその拠り所があるからだ。正しいかどうかは、力を発揮できるかどうかである。押されても崩れない姿勢であるのかどうか、それは試してみれば分かるのである。
 私は意識が身体に与える影響を重視しているが、Lさんは肉体的な基準を大事にしている。こだわる点は違っても、目指している方向は同じだと思っている。
 Lさんは、いつも私のどんな質問に対しても丁寧に応えてくれる。成長を見守ってくれているような気がする。心強いことだ。

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画のない扇子

2015-06-12 16:56:11 | 健康
 中国人の友人に扇子を頂いた。日本に暮らす彼女が西安に帰郷した際のお土産である。
 開いてみると、何も画かれていない。



「白石さんの好きな言葉を書いてください」ということである。
なるほどこれは面白い。
「欲窮千里目 更上一層楼」でもいいし「近者説 遠者来」でもいい。
いろいろ考えてみたが、今書くことは辞めにした。
どうせなら自分の言葉を書いた方が良い。
相応しい言葉が湧いてくるまで待とう。

ちなみにこの扇子、書くときには一旦紙を外して書くようだ。

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「意識」がからだを歪ませる・整える

2014-06-28 08:40:43 | 健康

 からだを物質的な面から見れば、それは「自然」そのものであるが、外見は「自然」とは言い難く、周りの動植物とは明らかに違う何かを漂わせている。周りと調和していないことを「不自然」と言うが、まさに人の姿勢(外見)には、周りの自然とは調和できない「不自然」さがある。
 その原因は、緊張と弛緩のバランスが整っていないことにある。からだのある特定の場処に力が入り(或は抜けて)、バランスが崩れているのである。からだが歪むのは、からだそのものの使い方の問題よりも、「意識」の使い方によるものの方が大きい。意識が、物事をどう受け止めているのかということがそのまま、からだの上に現れるからだ。喜怒哀楽、不安・心配・憂い・・・すべてが緊張・弛緩となって現れる。だからたとえ外的な要因があったとしても、姿勢の責任は自分(の意識)にある。
 人の姿勢や動作は他の動物と比べて、百人百様で(悪い意味で)個性的である。動物は、同類であればよく似た姿勢で動くものだ。人は大脳の発達と引き換えに、からだを歪ませたと言える。

 「意識」によって歪ませた姿勢を、元に戻すには「意識」をきちんと使うことだ。例えば私の主宰している気気、立つ練習或は野口整体、坐禅、瞑想などをする時間を持つことだ。その時にからだがどうなっているのかを感じてみればいい。

 社会生活の中でいつも平常心でいることは大変に難しいが、せめて短い時間でも、意識をきちんと使う時間を持てれば、自分をリセットすることの手助けになるだろう。


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