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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

師は弾いても語らず Gちゃん⑦

2012-03-08 17:46:49 | Gちゃん(友人・ギターの師匠)

 Gちゃんはよく、一人で厦門の街に出掛けていた。そして美味しい店を見つけると、そこへ連れていってくれるのである。火鍋(中山路と思明路の交差点付近にある2階の店)、小龍包(中学校に行く途中の店)、自由市場(人が行き交う中、外のテーブルでビールを飲みながら海鮮をつまむ・・・Gちゃん曰く「ここで黄昏を見ながら飲むのが良いんだ」)。いつだったか、酔っぱらって、街で買った甕の紹興酒を飲みながら、宿舎まで歩いて帰ったこともあった(数時間かかっただろう)。

 Gちゃんは、日本でも一人で街に出掛けていく。そして時どき私を美味しいお店に連れて行ってくれるのである。


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師は弾いても語らず⑥

2012-03-02 11:49:40 | Gちゃん(友人・ギターの師匠)

 ギターの師匠であるGちゃんの中国語は抜群に上手い。中国人のような発音と文法で中国語を話す。厦門大学に来る前に、北京に2年間くらい留学していたらしいが、一体どういう勉強をすれば彼のように話せるようになるのだろうか。私は厦門に2年、北京に3年の合計5年も留学したが、厦門で出会った頃のGちゃんの中国語にも遠く及ばない。ちなみにGちゃんは厦門大学では週にわずか1時間(閩南語・・・厦門の方言)の授業にしか出席していなかった(それもときどきサボっていた)。

 中国語には声調があり、同じ発音でも上げたり、下げたり、平らによんだりする。音楽的である。Gちゃんは「中国語の文頭から文末までの流れ」を一つの音楽として捉えているのではなかろうか(もちろん無意識のうちに)。リズム・メロディー・強弱などを基準に「中国語の流れ」を聴き(インプットし)、話す(アウトプットする)。私が厦門の宿舎で最初に同室だった(ドイツ)人もまた、語学の達人だった。彼は中国語でけでなく日本語も話し、毎日チェロを弾いていた。

 どうも語学の習得には音楽的な物の観方が関係しているようだ。

 

 


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師は弾いても語らず Gちゃん⑤

2012-02-23 10:35:52 | Gちゃん(友人・ギターの師匠)

 Gちゃんとの初対面は強烈だった。1985年9月、厦門大学の宿舎でのことだ。

 「お前、名前なんて言うの?」

 「しらいし まき です」

 「マキか いい名前だな これから マキって呼ぶよ」

 初対面の人に「お前」と言える人はそうはいないだろう。そして、その日から今日まで彼の態度は変わっていない。私の方が日本式の挨拶(初対面では少しは丁寧な言葉で・・・)に囚われていたのだ。彼の方では初めから気取ることなく自分を晒し、「本音で付き合おう」という合図を送っていた。言葉の前に既に私を受け容れてくれていたのである。

 翌朝、彼は葡萄酒(ダイナスティという高級白ワインだったかな?)の瓶をゴミ箱に捨てていた。到着した晩に、何を想いながら葡萄酒を空けたのだろうか。


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師は弾いても語らず Gちゃん④

2012-02-16 11:00:40 | Gちゃん(友人・ギターの師匠)

 「ちょっと行ってくらぁ」と言ったきり、帰って来なかった。入院したのである。原因は酒の飲み過ぎ以外に何かあるだろうか。

 早速、Zさん(Gちゃんの親しい中国の朋友)と、お見舞いに行った。Zさんは何故か紹興酒と蟹(厦門の蟹は美味い)持参である。Gちゃんを元気づけようということだと理解した。しかし、さすがのGちゃんもこの時ばかりは飲む訳にはいかず、私たちは遠慮なく(Gちゃんの心中を察することなく)酒盛りをした。今思うと、病室で酒を飲むとは、Zさんの企てとは言え大したことをしたものだ。

 さて、Gちゃんはこのことが相当悔しかった?らしく、今でもときどき、「お前が入院した時には必ず押しかけて行って病室で酒を飲んでやるからな!」と言う。

 ちなみにその夜は、大学の宿舎には戻らず、Zさんと共に、病院の屋上で寝た。


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師は弾いても語らず Gちゃん③

2012-02-09 11:33:10 | Gちゃん(友人・ギターの師匠)

 厦門大学で大きな歌の大会があり、どういう訳か留学生代表として出場することになった。本来ならばギターの師匠であるGちゃんが選ばれて然りだが、あいにく彼は仕事?(その卓越した中国語を活かし、通訳などもしていた)で参加することができなかったのだ。

 「酒と泪と男と女」を歌うことにしたら、Gちゃんが中国人の友人と共にそれを中国語に翻訳してくれた(自分が出場する訳では無いのに全く弟子想いの師である)。

GGちゃん初期草稿

 余談だがこの歌(中国語)はその後、仕事で中国の人たちと宴会をした時などに歌うと、とても評価される?(受ける)のである。

 さて、大会当日、大講堂は満員(6千席あるといわれている)で、通路にも人がびっしり詰まっていた。楽屋で私は紅葡萄酒を1本空け、留学生の仲間たちとリラックスしていた。数千人の観客はとても近くに感じたが、緊張することもなく、ギターも中国語の歌詞も間違えずに歌い終えた。

 「酒と泪と男と女」のような歌詞の曲は、当時(1986年くらい)の中国には無かったから、斬新だったのかも知れない。1フレーズ歌う度に、大きな歓声(爆笑)が上り、私もそれを楽しんだ。

 Gちゃんの翻訳が、6千人の観客を笑わせたのである。

 


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