今回は「透明を観る」の最後、③「すべて 透明」について解説します。
「すべて」というのは、万物のことです。一つもかけることなくすべてということ。そこには「わたし(自分)」も含まれます。「すべて 透明」ということは、「すべてがつながる(つながってしまう)」ということです(透明には輪郭がありませんから)。「すべてがつながる」ということは、「一つ」になるということです。
こうして「一つ」という意識(感覚)を持つと、身心が変わります。「透明」はこの「一つ」という意識を持つための手段なのです。
「地球は一つ」だとか「人類は一つ」というような言葉を耳にしたことがあります。しかしそう思う(考える)のは、なかなか難しいことです。それが「透明を観る」をすると、ごく自然に「一つ」だと思えてくるのです(完璧ではありませんが)。
普段私たちは、物ものが分かれている世界に住んでいます。山があり川があり、電車が通り、花が咲く、そういう世界に住んでいます。こういう世界に生きながら、「一つにつながった(非日常の)世界を、(日常に)取り込むことは、大変意義のあることです。それは「一つ」の世界をユートピアと崇めたり、そこへ逃避することではありません。「一つ」の世界を想像すれば、(身心が整った)本来の自分を取り戻すことができるし、新たに現実(分かれている世界)で生きていく力を持てるからです。