T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

葉室麟著『潮鳴り』を読み終えて! ー6/6ー

2013-12-29 10:01:29 | 読書

(26) お芳の声が花を咲かせてくれと励ます。

 お芳の亡骸を寝かせている部屋で、櫂蔵は、お芳、お芳、と何度も呼びかけた。柱に身体を持たせかけていると、お芳の顔が脳裏に浮かんで、お芳の声が耳の奥に響いてきた。

 「生きてください。生きてください。そして見せてください。櫂蔵様の花を。落ちた花がもう一度咲くところを。だから生きてください。」

 優しい、悲しさに満ちた、櫂蔵を愛しく思う声だ。だが、私に我慢ができるのか。この憤りを抑えることが果たしてできるのか。無理だ。お芳がいたから、落ちた花をもう一度咲かせようと思えたのだ。

 

 日田から戻った咲庵は、お芳がこの世を去ったと知って愕然となった。

 それから数日後、博多から半兵衛と信弥が帰ってきて、播磨屋の情報を知らせた。

 正月に、播磨屋の主人が、羽根藩藩主に年賀の挨拶で出てくるとのことですが、大名貸しで大損したとのことで、おそらく、蔵にある5千両に何らかの動きがあるのではないかと存じますと言う。

 陣内の留守を見て、櫂蔵は、配下の4人に、私の妻にするつもりだったお芳が、清左衛門に辱められようとしたゆえに、私のことを思って命を投げ出したことを告げた。

(27) 染子が、妙見院に、お芳を自殺に追い込んだ清左衛門の非道を上申した。

 この日、染子は、二の丸の隠居所の妙見院に拝謁していた。

 妙見院の何用かの問いに、染子は、「わたしの手許にありました花一輪、非道なる者のために散りましてございます。」と答えると、妙見院から、その非道なる者はと尋ねられ、井形清左衛門様にございますと申し上げる。井形の悪しき噂を耳にせぬでもない。如何したのじゃとの妙見院の問いに、染子は答えて、「伊吹櫂蔵の妻になってもよいと、わたしも誇りに思っていた女子のお芳が、清左衛門から辱めに遭おうとして自殺した」ことを話した。妙見院は、井形め、女子を道具としか見ておらぬようじゃのう。憎やと呟いた。

(28) 清左衛門の独裁で、播磨屋の出店から博多に向けて、5千両が運び出された。

 年賀の挨拶の席で、藩主から直答を許すと言われた播磨屋庄左衛門は、お貸ししたものは、いつお返ししていただけるのでしょうかと言った。とっさに清左衛門は、まことに、何事も速やかに致さねば、されば、播磨屋殿の蔵にお預けいたしたものを、お引渡ししては如何かと存じますと藩主に申し上げた。藩主が、日田の掛け屋のこともあるのではないかと言うと、何の関わりもありませんと言って、播磨屋への引き渡しが決定した。

 

 この日の夜、播磨屋の出店の奥屋敷で、庄左衛門は勘定奉行の清左衛門に向かって、貸している金に比べれば僅かなもの、そのために昼間のような茶番を演じねばならぬとはと、藩の重役に言う商人の言葉と思えない言葉を発した。清左衛門は、それには気を掛けず、とはいえ、天領の掛け屋からの金を播磨屋からの借財に当てたということが分かれば大変なことになるので、内密に急ぎ運ばねばと言う。

 そこへ、陣内が来て、私の宰領で、博多まで運ぶ事を告げると、清左衛門が急げと命じた。

(29) 新五郎の提案による小判の朱印で5千両が無事小倉屋に戻る。

 夜の闇の中を国境に向かって、陣内が宰領し浪人の用心棒で囲んだ、小判を摘んだ大八車が進んでいた。

 その時、前方から櫂蔵とその下役、咲庵、そして日田の小倉屋と西国郡代配下の井上子兵衛が現れた。

 陣内は、櫂蔵の居合の気迫に刀を抜くこともできず、浪人たちは大八車から離れた。

 櫂蔵が小倉屋の小判を何処に運ぶのかと問うと、陣内が、小倉屋のものだという証しがあるかと言う。小倉屋が千両箱の鉄枠に「天」の字の焼き印があると、それを見せると、陣内は、焼印は中の小判が誰のものかの証しにならんと言う。小倉屋は落ち着いて、新五郎様の案でもしもの時のためにと、小判の紙包みの裏に小倉屋の朱印を押すことにしました。これが証拠ですと陣内に見せた。

 櫂蔵は居合を放って、陣内の髷を切った。井形様に今すぐ注進されたら都合が悪し。日田の小倉屋に小判が着いたことを確認して貰いたいと言う。

(30) 清左衛門の罪状が暴かれる。

 翌日、城の中庭で正月能が催されて、藩主、妙見院と家老、清左衛門などの重役が居並ぶ中に、播磨屋も招待されていた。

 脇能「老松」(菅公の飛び梅伝説)が演じられた後、妙見院が、今の能もどこか憐れみを感じさせますのうと呟くと、それに応えるように、清左衛門がまことに趣きがございましたと言う。すると、妙見院は、解せぬな、そなたは昨年末、罪のない女子を一人手にかけたというではないか、さような者に菅公の気持が解るはずがないと思うと言う。清左衛門が、その女は、昔、私の馴染みで、今は金にて客を取る商売女になっているのに、家中の屋敷に女中として入り込んでいるとは、由々しきことだと厳しく叱責いたすと、逆上して自殺したものですと言う。

 「妙見院は、それは不可解なこと、昔のことはいざ知らず、その女子は伊吹改蔵の妻になるべき者であったと、櫂蔵の継母で武門の賢夫人と言われている染子から訴えがあった。染子は、昔、わらわに仕えていて、その頃より、周りもよく知っていたように虚言を弄したことはない。その染子が申すのに、死んだお芳も嘘を言わぬことを信条といたしていたと、染子も誇りに思っていたとのことだ。妙見院は後ろに控えていた染子に、そうであったなと言うと、染子が、相違なく、我が家の嫁になるべき女子でございました。一旦は己を見失いましたが、その後は、人を愛おしむ心こそ何ものにも代えがたいものであると知りました。それは井形様が御存じでない心でございますと返答した。」

 妙見院は、藩主に向かって、「殿は家中の女子をすべて敵に回しても御家が立ち行くと思いか、厳しくご詮議を願わしゅう存じます。もう一つ。日田の掛屋からの借銀が何処かへ消えたことについても詮議を致さねばなりませんぞ。」と言い、証はそこの伊吹が申すであろうと言う。

 能役者の傍らにいた櫂蔵に、清左衛門が申してみよと命じたので、櫂蔵は、新五郎が明礬による藩財政建て直しの邪魔をした播磨屋の一件、日田の小倉屋からの借銀を隠していた件、播磨に出店に会った小判には小倉屋の朱印があったこと、そのために夜明けまでに日田に持ち帰ったことを申し述べた。

 見物席にいた播磨屋は、金繰りがつかぬようになったと呻きながら崩れ落ちた。

(31) 江戸に向かう櫂蔵の胸の中に、お芳の花が咲き、お芳が励ます潮鳴りが聞こえた。

 清左衛門は閉門蟄居の身となった。藩主兼重は妙見院に詫びて、養子縁組をおこなった後の隠居を約束した。さらに櫂蔵を勘定奉行に登用した。

 

 この年の夏、勘定奉行の櫂蔵は、唐明礬の輸入禁止を幕閣に働きかけるために江戸に赴くことになった。田代西国郡代の配慮により、老中たちに会える段取りもつけて貰っていた。

 出立に際して、染子が櫂蔵殿ならば必ずや成し遂げましょう。「櫂蔵殿は落ちた花が再び咲いたと思いかと問うと、「私の花が咲いたとは思っておりません。咲いたのはお芳の花でございましょう。そしてその花は、我が胸の奥深く咲いております。私が生きている限りはお芳の花は咲き続けることでしょう。」と言う。染子が、「我が命は、自分を愛おしんでくれた人のものでもあるのですね。」と言う。」

 「同行する咲庵が、「伊吹様、今日の潮鳴りは、何やら初めて聞く心地が致します。」と言う。

 かって、咲庵は、亡くなった妻の泣き声に聞こえると言っていたが、「潮鳴りは愛おしい者の囁き。」だったのかもしれぬと櫂蔵は思った。そして、櫂蔵は、その潮鳴りの音が、お芳が静かに囁き励ましてくれているように感じた。」

 櫂蔵が咲庵と共に船に向かって歩いていくと、潮鳴りの響きは一層高まるようだった。

 

                                 終

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