(概要)
本書帯より
第150回(平成25年下半期)直木賞受賞作。
幕末の過酷な運命に翻弄された女の一生を描く感動作 !
君にこそ恋しきふしは習ひつれ さらば忘るることもをしへよ
幕末の江戸で熱烈な恋を成就させ、天狗党の志士に嫁いで水戸へ下った中島歌子。
だが、内乱の激化にともない、彼女は夫から引き離され、囚われの身となった。
明治の世に歌塾「萩の舎」を主宰し一世を風靡した歌子は、何を想い、胸に秘めていたのか。
………落涙の結末 !
アメーバーニュースサイト掲載の大矢博子氏書評より
主人公は、樋口一葉の師としても知られる明治の歌人・中島歌子だ。物語は弟子の三宅花圃が歌子の手記を発見する場面(序章)から始まる。
裕福な商家の娘だった歌子ー本名・登世は、初めての恋を貫き水戸藩士に嫁ぐ。時は安政年間、桜田門外の変の後のことである。
彼女の夫は天狗党の志士。ところが水戸藩は天狗党と諸生党の2派が対立し、藩士ばかりかその家族までもがいがみ合う有様だった。
そして、天狗党の乱が起き、登世は義妹や馴染みの人々と共に、逆賊の身内として投獄されてしまう。牢での過酷な生活。次々と処刑されていく仲間。血を吐くような毎日の描写。やりきれない。たまらない。でも読むのを止められない。
何故だろう。天狗党も諸生党も、攘夷を決行し良き国を作ろうという思いは同じはずなのだ。なのに藩の中だけで争っている。恨みが残り、復讐が繰り返される。結果、水戸は人材を失い、維新から取り残され自滅するのだ。
何より印象深いのは、男が始めた戦いに振り回される女の立場である。自分に何の咎もないのに、夫の思想で責められる妻や娘が、あるいは、それを見てきた女たちが何を考え、何を信じ、どう生きたか。本書の眼目はそこにある。
登世は、その恋慕も慟哭も全て押し込めて歌の道を進んだ。そして手記を遺した。その中に込められた思いがある仕掛けとともにわかったとき、私は思わず大きく息を吐いた。
(登場人物)
三宅花圃: 本名は龍子。筆名が花圃。中島歌子の弟子で、樋口一葉の姉弟子にあたる。
入院中の歌子の頼みで、歌子が開いた歌塾・萩の舎の整理中に、
手記を見つけた経緯の「序章」や、歌子が残した遺書を見つけた後の状況や
遺書の中味を説明している「終章」の主人公。
中川 澄: 本名は歌子と同じ登世。 序章、終章と手記の中にも出てくる準主人公。
諸生党の首領で一時は藩の執政をした市川三左衛門の末娘で、
幼児から百姓の娘として育てられる。
歌子の周りの世話をし、萩の舎の執事の役割まで果たした女中。
中川歌子: 主人公。元の名は登世。歌人になって戸籍名を「う多」と改名。
中島 幾: 登世の母。川越の豪商の出で、川越藩の奥御殿務めの後、中島家に嫁ぐ。
江戸の池田屋という水戸藩の御定宿の加藤家の夫婦養子となる。
早くに夫を亡くし、女将として宿を守る。
中島又右衛門: 登世の父。川越藩の郷士。幾と結婚後、商人になり、早死にする。
清六: 池田屋の住込みの50歳すぎの下男。
登世から「爺や」と親しまれ、登世の嫁ぎ先に同伴して水戸に下る。
林忠左衛門以徳(モチノリ): 水戸の家中で家柄は250石の中士。天狗党のリーダ。登世の夫。
林 てつ: 以徳の妹。登世が嫁いだ時、4歳下の15歳。
家政に優れ、父母を早く亡くして家内を切り盛りする働き手で、片意地な女。
しかし、天狗党の乱による投獄後、登世と協力して牢を出された後も生き延びる。
武田耕雲斎: 徳川斉昭公(烈公)に仕え、藩政改革に挑まれ、江戸執政を務める。
藤田小四郎: 綽名が「おかめ」。烈公の御側用人であった藤田東湖の妾の子。
考え方が尖鋭で、東湖がつくった天狗党の若きリーダとして乱を起こす。
市川三左衛門: 諸生党の首魁。天狗党の乱後、執政となるが、後年、処刑される。
貞芳院: 有栖川宮織仁親王の王女で烈公の正室。水戸慶篤公、徳川慶喜公の母堂。
(あらすじ)
攘夷論喧しい動乱の世、水戸藩士による尊皇攘夷運動は水戸藩の内乱へと拡大したが、そのあたりの歴史に関わるところは少し省略し、内乱によってその妻子たちが受けた悲惨な運命にみまわれた部分を主に取り上げた。また、久し振りに女流作家の繊細な表現の文章を読んだので、心に残ったその部分も余分に取り入れた。
この小説は歌子の手記や遺書を許に書かれているが、手記などを見つけた時の状況やそれらに関わる歌子や花圃、澄が対応する部分には、私が勝手に標題代わりに「→短文」を付けた。
「序章」 →花圃が歌子の手記を見つける。
(一)
三宅花圃に、小石川の萩の舎の中島先生が、昨日、神田の病院に入院されたとの遣いの方が来たと、女中から知らせがあった。
花圃が歌塾「萩の舎」に入塾したのは10歳の頃で、開塾間もない頃だったが、それから10年ほどで門下生千余人の名門歌塾になっていた。早くからの弟子だったせいか「師の君」・中島歌子から何かにつけて呼びつけられていたので、花圃は、ただの見舞いで済まなく、見舞客の応対まで考えた。
ところが、見舞客の姿は一人とてなく、花束が幾つかあるだけで、病室の師の君は体が二回りも小さくなっていることが布団の上から見て取れた。背後に人の気配がした。かって、萩の舎に奉公していた中川澄が花瓶を抱えて入ってきて、小さく会釈した。
無沙汰をしたのは師走に入ってからだから、二月ほどだというのに、師の顔があまりに急な老い方に胸を衝かれた。
萩の舎にも師の君にも往時の隆盛がないことを、花圃は今更ながら知らされたような気がした。
(二)
留守宅を守っている通いの女中に案内されて、花圃と澄は、師の君が自室にしていた部屋に入った。
書物や短冊、帳面の類が机の上のみならず、壁際から座布団の周囲にも乱雑に積まれていた。
師の君が、お見舞いが山ほど届いているので、勝手に処分してくれと言われたが、言葉に反して、お見舞いは見当たらなかった。花圃がお勝手かしらと言うと、澄が、全然届いてないようです。先ほど女中に確認いたしました。歌子先生は昔の夢でも見ておられたのでしょうと言い、龍子様はこちらをお願い申しますと、花圃の膝の前に、蒔絵で萩が描かれた文箱を滑らした。
花圃は、おやまあ、篠突く君はご健在でいらっしゃることと嫌味を言った。
澄は、百姓の出であるらしく小学校もろくに出ていないらしかったが、恐ろしいほど頭が切れ、萩の舎の女執事のような役割まで果たしていた有能な女中であった。が、妙に威圧的で物言いにも顔つきにも険があるので、花圃らは、激しい雨の鬱陶しさに掛けて「篠突く君」と陰で呼んでいた。(終章で下線を引いた意味判明)
澄が突きだした文箱は、書類が多く入っているのか、蓋が斜めに持ち上がり、中から布紐で括られた奉書包みが出てきて紐を解くと、200枚は優に超えていそうな半紙の束が現れた。覚えのある千陰流の師の君の文字が記されていた。
和歌の下書きの類でないことが分かり、「三人吉三廓初買」という文字が見えた。
花圃が拾い読みすると、「正月十四日節分、浅草の市村座で三人吉三廓初買なる芝居を観る。三代目岩井粂三郎なる上方役者のお嬢吉三が花道に入って来た姿はなるほど艶やか」とあり、花圃はいろいろ考えた結果、40数年前の安政の頃の上演を見た手記ということが分かった。
いつしか次、そして次へと、花圃は我を忘れて手記を読み始めた。
次の章に続く