T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

[ 「博士が愛する数式」を読み終えて !! 7/? 1010回 ]

2014-10-18 13:04:48 | 読書

                                                                                                    

6ー 野球観戦で博士が高熱を出し、宿泊して看護したため私は頸になる

 博士宅に帰りついたのは夜の10時近くだった。

 博士の疲労が予想以上だった。球場帰りの人々で満員のバスにくたびれてしまったらしい。バスが揺れるたびに人波に押されメモのクリップが取れやしないかと、博士は、できるだけ他人と接触しないよう妙な具合に体をよじっていた。

 帰り着いた博士は相当な熱を出し、目を閉じて意識がないほどだった。思案の末、私とルートはアパートに帰らず、泊ることにした。

 予想どおり、家中どこを探しても氷枕、体温計、解熱剤などなく、ビニール袋に氷を砕いて首の後や両脇などを冷やし、冬用の毛布を掛けたりして、ルートが熱を出した時にやるのと同じことをした。

 苦しくありませんか。喉が乾いたら言ってくださいねと声をかけても反応は無く、博士は眠りにおちいっていた。

 ルートは書斎のソファーに寝かせた。

 [翌日昼近くになって書斎で物音がし、行ってみると、博士がいつもの通り背広を着込み、ベットに腰掛け、うな垂れていた。私が置きだしたりしてはいけません、安静にしていないと言ってもうな垂れたままで、洋服を脱いで下着に着かえましょうと言っても、なかなか言うことを聞いてくれなく、覗き込む私の肩を、博士は押し戻し、顔を背けた。]

 [その時私は、自分が初歩的なミスを犯しているのにようやく気付いた。博士は、昨日野球を見に行ったことも、私のことも、もう忘れていたのだ。]

 「あなたの手助けをするために雇われた家政婦です。」と言って、私は博士の袖口に留まった似顔絵入りのメモを指さした。博士はうるんだ瞳をこちらに向けた。そして、君の誕生日はいつかねと弱々しい声で聞いてきた。私は2月20日ですと答えた。

 熱は3日間続いた。その間、博士はほとんど眠っていた。食事時間になっても目を覚ます気配がなかったので、私は博士を無理して起こし、頬をつねり、ぼんやり口を開けた瞬間を逃さず、軽食のスプーンを押し込んだ。博士は、カップ1杯のスープを飲む間が我慢できないほどで、途中からうつらうつらしてしまうのだった。

 4日目の朝、熱も下がり食欲でてきて体力も回復し、数学の本を広げるようになった。

 博士が元気になってほどなく、組合長から呼び出しを受けて、連絡なしに泊まり込んだこと、無断で時間外勤務をしたことで、博士の家政婦を頸になった。

 今度の雇い主は税理士事務所を経営する夫婦で、通勤時間も1時間以上もかかり、勤務時間も9時までと長く、ルートも鍵っ子に逆戻りした。

                                            

7ー 博士のルートへの純粋な愛情

 「今すぐ、例の数学の先生のお宅に行って。息子さんが厄介事を起こしたらしいの。」家政婦組合の事務員さんから電話があった。

 博士宅に行くと、博士、未亡人、私の後の家政婦とルートが居た。

 [未亡人から、どうしてあなたの子供が義弟のところにやってくる必要があるのかと質問された。私が、必要というほどの問題でなく、遊びにきただけの話と思うと答えると、何か意図があるのではないかと糺された。私は、子供が博士に面白い本を読ませてあげようと思ったようですと言うと、未亡人は、重ねてあなた自身の意図を聞いているのです、お金ですかと問われた。あまりの言葉に私の声は裏返ってしまい、子供の前です。撤回してくださいと言っても、義弟をうまく丸めこもうとしているのですかと、引き下がらない。]

 そんな時、ふいに博士が立ち上がって、子供を苛めてはいかんと言って、ポケットから一行の難しい数式を書いたメモ用紙をテーブルに置いて出て行った。未亡人は、その数式を見て、無言になった。多分数式の意味を理解したようであった。

 ほどなく組合から、博士宅の仕事にカムバックするよう通達があった。

 未亡人の意向に変化があったのか、理由は定かではなかった。何度思い返しても未亡人の抗議は不可思議だった。考えられるのは、彼女なりのやり方で義弟に愛情を注いでいたので、熱を出した義弟に対する私の態度に嫉妬を抱いたのかもと思えた。

 [ただ一つ間違いないのは、博士の一番の心配がルートにあったということだ。博士は、ルート自身の行いのせいで、未亡人と私が言い争っているとルートが思い込み、ルートの心を傷つけることを恐れて、博士にできる唯一の方法でルートを救いだしたのだ。博士は、いつどんな場合でもルートを守ろうとした。それを自分の義務として、それを果たせることを最上の喜びとした。

 自分のおかずがルートよりも多いと、博士は顔を曇らせ、私に注意した。魚の切り身やステーキ、スイカなどでも最上の部位は最年少のルートへという信念を貫いていた。

 博士はまた、ルートの身体を観察する天才であった。耳の付け根のおできを見つけ、子供は新陳代謝が激しいから、バイキンが血管に入りこんだら大変だ、すぐに病院に連れて行きなさいと引き下がらなかった。]

 再スタートの初日は、七夕で、博士の背広のメモが短冊飾りに見えた。毎朝の玄関での数字問答は相変わらずで、その日は出生時の体重を聞かれて、ルートのそれを返事した。

                              次章に続く

 

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