T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

[ 池井戸潤著「銀翼のイカロス」を読み終えて !! 7/? ]

2014-10-03 11:23:52 | 読書

                                                                                                               

「第五章」 検査部と不可解な融資

(1) 箕部への不可解な融資

 [当行からの箕部への個人融資ですと、田島は半沢に融資明細を差し出した。中に20億円という大口の融資が15年前にあり、既に回収済みではあるが、融資期間は17年という長期で、資金使途はマンション建設資金となっていた。半沢は異例ともいえる条件に気が付いた。当初7年間の元金返済据え置きと、担保設定日が融資後5年経過した日付になっていた。通常の融資ではありえないことだ。そして、田島は、担当部署は個人部なく審査部になっていて、融資情報の全てが記録保存されているクレジットファイルが見当たらないので、無担保の事も不明なのだと告げた。担当は誰だと半沢が問うと、審査部の灰谷となっていて、当時の審査部長は紀本常務ですと答える。]

 産業中央銀行との合併前に、東京第一銀行(旧T)は同行史上最大の赤字を計上して不良債権を一掃。身ぎれいになったうえで、新銀行の船出となったはずであった。しかし、その後、不正融資が発見され、旧Tの頭取で新銀行の副頭取の牧野治が特別背任罪で逮捕され、保釈中に自殺した経緯がある。

 半沢は、田島に、箕部と旧Tとの関係について少し調べてみよう。紀本さんと箕部の間にそれなりの付合いがあったとすれば、紀本さんがあそこまで再生タスクフォースに肩入れした理由が分かるかもしれないと、改めて書類を睨みつけた。

(2) 5年間無担保の20億円融資を当時の担当に聞く

 半沢は田島を連れて、法人部部長代理になっていた灰谷英介を4階に訪ねた。

 15年前に、当時憲民党の代議士だった箕部啓治に5年間無担保で20億円融資していますが、それには何か理由があったんですかと聞くと、灰谷は、昔のことで忘れたと投げやりに答えた。白井大臣の後ろ楯といわれる箕部啓治は、白井大臣の帝国航空再生タスクフォースと関係があると思えるので、詳しく知りたいのですと言うと、考え過ぎだと、取り合おうともしなかった。

 半沢と田島は法人部を後にして検査部に向かった。

(3・4) 不可解な融資について、先ず検査面からと検査部の昔の上司に協力を求める

 半沢が訪ねたいトミさんは運よく在席していた。

 トミさんこと、富岡義則は、半沢の昔の上司で、部長代理の肩書のまま、7年も検査部に在席している検査部の特別な存在のボスだった。

 箕部の20億円の不審な融資の件を話しし、帝国航空がらみで調べているのだが、クレジットファイルが審査部と地下倉庫にも無くて困っているのです。調べてもらえないだろうかと頼んだ。

 富岡から数日後に連絡があって、新橋のガード下の居酒屋で、半沢は田島とともに富岡にあった。

 [富岡が調べたことを話してくれた。融資の翌年、銀行の融資検査で担保設定漏れの指摘を受けていて、それ以後は、検査対象にも入っていなかった。そして、記録上は担保設定済みによる指摘事項解除となっていて実態と異なり、金融庁検査でも担保設定済みで通っているのだ。呆れただろう、放っておくかと言う。]

 [半沢は、昔、トミさんから『警察に在って銀行に無いものが時効だ。きっちりけじめをつけるのがバンカーの掟だ。』と教えられたとおり、徹底的にやらせてもらいますと言う。]

(5) 融資の内情を解く鍵は人でなく『伝票』

 渡真利に話をした半沢は、不良債権は業績悪化で回収不能の末に発生するが、問題貸し出しは、そもそもモラルハザードを含む貸し出しだから、この融資はどうやっても絶対に真相を突き止めるつもりだと言う。渡真利が口の軽いものは見つからないぞと言うと、伝票を見つけるのさと言う。箕部が当時の旧Tから借り受けた20億円は現金で引き出されている。しかし、現金で引き出すのは現実的でないので、名目上は現金支払いという処理をして同時にどこかの口座に振り込まれているはずだ。その言葉に渡真利は頷いた。

(6・7) 灰谷が、紀本に箕部の融資の件を報告したことから、ファイルの隠蔽場所が分かる

 紀本を慕う旧T出身者の集まりで、灰谷は、紀本に、半沢が箕部の融資のことについて聞いてきたので、昔のことで記憶にないと答えたと言うと、紀本の突如噴出した怒りに、灰谷の顔面から血の気が引いていった。

 [紀本は、万一のこともあるので、箕部先生のものを始め君が管理している書類が無事か確かめておけと命じた。]

 [灰谷は翌日午前中に東新宿の東京中央銀行書庫センターの7階のフロアへと上がった。ビル全体が銀行の書類保管スペースになっており、支店ごとに区画が割り振られていて、荻窪西支店と実在しない支店名のプレートが付いた書架の最上階の段ボール箱の一つを床に下して中身を取り出してみて異常がないことを確認した。]

 [その灰谷の姿が交差点の向こうへ見えなくなったとき、ビルの事務所の奥にいた男が、富岡に、いま、法人部の灰谷が来たので、その連絡です。いつ来られますか、行き先は監視カメラで見てましたから案内できますと告げた。富岡は、今すぐ行くと答えた。]

(8) 箕部啓治の融資関係のクレジットファイルが見つかる

 その日、午後9時過ぎ、富岡から半沢に一人で地下3階のエレベーター前に来いとの電話があった。

 そこから、富岡に連れられて別のエレベーターに乗って地下4階に出た。そこに段ボール10箱が積まれていた。その中の一つの段ボール箱を開けると、富岡が一つのファイルを取り出した。中身を見ろと言われて、それを見ると、箕部啓治のクレジットファイルだった。中に担当者灰谷のメモがあって、融資の全貌が分かった。そして、ファイルの中に箕部が依頼した舞橋ステートへの振込依頼書のコピーも綴じられていた。[しかし、重要な書類には紀本の承認印はなかった。]

                                     次章に続く

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする