国内外で毎日のように痛ましいニュースが入り、暗い気持ちになる。
国内で30代の中国籍女性を殺害した少年は、またしても「優秀で真面目」だったそうである。
過去にも書いたかもしれないが、我が国のマスコミは「優秀な子がなぜ」という視点で分析をしようとする。
そもそもこの前提が間違っていて、少年は優秀だったからこそ事件を起こしたのでは、という分析はトンと聞かない。
幼少時より優秀で真面目であることから外れるのは許されず、ありたい姿を隠して偽りの姿を演じ続けなければ生きてこれなかったストレスは想像を絶する。
殺人という本人の行為を擁護することは絶対にないにしても、このような人間を作るのは学校でも社会でもない、家庭だ。
少年の親御さんは彼をきっと「立派」に育てたが、立派の方向性はどうだったか。
子供らしく、笑い、泣き、はしゃぎ、時には悪さもするような姿を親御さんは彼に許していたのか。
先日起きたバングラデシュでの大規模テロの容疑者の一人は、過激派に関わった動機がなんと失恋だったそうだ。
失業などに伴う経済的困窮が動機ではと前回書いたが、失恋ともなるとこれは個人の八つ当たりレベルの話である。
また、容疑者たちは一様に地元の名門校の出身で、やはり優秀と言われる人間であった。
優秀であるがゆえに挫折を知らずに生きて、初めての壁にぶち当たって苦悩する心のすき間に過激思想が入り込み、その結果がテロや大量殺人というのは、我が国におけるオウム真理教事件の構造と非常によく似ている。
なまじ頭がいいだけにSNSなど最新の通信手段はお手のもの、世界中の「世に八つ当たりしたい人間」が瞬時につながって組織的・計画的な大規模なテロがいとも簡単に起こってしまう時代になった。
ともあれ、このような過激集団に付いて回るイスラムなどという看板はまったくのお飾りであり隠れ蓑だということはハッキリした。
幼稚ともいえる個人的な動機から過激派集団に加わって残虐非道を働いているのは、阪神タイガースが優勝した時の騒ぎに乗じて阪神ファンのふりをして道頓堀川にダイブするような輩と本質的には変わらないということである。
国際社会は「テロとの戦い」を標榜するが、明日失恋するかもしれない人間までいちいち監視してはいられない。
世界中がいっぺんに豊かになるとか、男女がもれなく両思いになるとかが不可能である以上、テロ予備軍は未来永劫消えないし、その中の何%が本当に実行してしまうとすれば、テロはこの世からなくなることはないと言える。
繰り返しにはなるが、人間社会から争いがなくなることはない。
この平和な我が国でも、A県とB県、同じ県内のC市とD市など、歴史的な経緯もからんで平成の世にあってもガツガツといがみ合っているところは山ほどあるではないか。
それを考えると、某元首相が大好きだった「地球市民」などというのは最初から無理である。
文化背景の違う移民を受け入れ過ぎれば、テロや暴力は我が国でもっともっと増えてしまうだろう。
国あっての経済であり保育園であり年金であり雇用でありなのだから、やはり我が国もきちんと備えを、というのが前回に続いての結論だ。
国内で30代の中国籍女性を殺害した少年は、またしても「優秀で真面目」だったそうである。
過去にも書いたかもしれないが、我が国のマスコミは「優秀な子がなぜ」という視点で分析をしようとする。
そもそもこの前提が間違っていて、少年は優秀だったからこそ事件を起こしたのでは、という分析はトンと聞かない。
幼少時より優秀で真面目であることから外れるのは許されず、ありたい姿を隠して偽りの姿を演じ続けなければ生きてこれなかったストレスは想像を絶する。
殺人という本人の行為を擁護することは絶対にないにしても、このような人間を作るのは学校でも社会でもない、家庭だ。
少年の親御さんは彼をきっと「立派」に育てたが、立派の方向性はどうだったか。
子供らしく、笑い、泣き、はしゃぎ、時には悪さもするような姿を親御さんは彼に許していたのか。
先日起きたバングラデシュでの大規模テロの容疑者の一人は、過激派に関わった動機がなんと失恋だったそうだ。
失業などに伴う経済的困窮が動機ではと前回書いたが、失恋ともなるとこれは個人の八つ当たりレベルの話である。
また、容疑者たちは一様に地元の名門校の出身で、やはり優秀と言われる人間であった。
優秀であるがゆえに挫折を知らずに生きて、初めての壁にぶち当たって苦悩する心のすき間に過激思想が入り込み、その結果がテロや大量殺人というのは、我が国におけるオウム真理教事件の構造と非常によく似ている。
なまじ頭がいいだけにSNSなど最新の通信手段はお手のもの、世界中の「世に八つ当たりしたい人間」が瞬時につながって組織的・計画的な大規模なテロがいとも簡単に起こってしまう時代になった。
ともあれ、このような過激集団に付いて回るイスラムなどという看板はまったくのお飾りであり隠れ蓑だということはハッキリした。
幼稚ともいえる個人的な動機から過激派集団に加わって残虐非道を働いているのは、阪神タイガースが優勝した時の騒ぎに乗じて阪神ファンのふりをして道頓堀川にダイブするような輩と本質的には変わらないということである。
国際社会は「テロとの戦い」を標榜するが、明日失恋するかもしれない人間までいちいち監視してはいられない。
世界中がいっぺんに豊かになるとか、男女がもれなく両思いになるとかが不可能である以上、テロ予備軍は未来永劫消えないし、その中の何%が本当に実行してしまうとすれば、テロはこの世からなくなることはないと言える。
繰り返しにはなるが、人間社会から争いがなくなることはない。
この平和な我が国でも、A県とB県、同じ県内のC市とD市など、歴史的な経緯もからんで平成の世にあってもガツガツといがみ合っているところは山ほどあるではないか。
それを考えると、某元首相が大好きだった「地球市民」などというのは最初から無理である。
文化背景の違う移民を受け入れ過ぎれば、テロや暴力は我が国でもっともっと増えてしまうだろう。
国あっての経済であり保育園であり年金であり雇用でありなのだから、やはり我が国もきちんと備えを、というのが前回に続いての結論だ。