blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

たかが一人と言うなかれ

2016-07-28 22:07:03 | 日記
今週の我が部署は休暇や外出で全員集合とならない日が多い。
総勢10名に満たない部署では、一人二人の穴は非常に大きい。
昨日は二人が欠けていて、さすがにそういう時はいつも以上に動かないと回らない。
日頃は個々の担当はわりあいハッキリしているが、昨日に限っては相互に、普段はやらないことにも首を突っ込んで何とか一日を乗り切った。
当地に来て一年近くを経て、これまで見たこともないようなチームワークが出たのには驚いた。

私個人の話をすれば、本来は私以外の二人が担当している屋外用のフォークリフトに久しぶりに触ることになった。
担当の一人が休暇で不在、そこにこちらの担当で急ぎの仕事が入ってきた。
ボヤボヤしていると午前に終わらせるべきことができなくなると判断して、もう一人の担当者に断ってしばらく拝借した。
日頃、屋内用は愛車のごとくに使っているが、屋外用がやはり操作や構造から言うとフォークリフトの基本である。
せっかく免許を持っているのだから、チャンスがあったら触らないといけないし、そうしないと腕が錆びてしまう。
普段ほとんど触れないのは正直つらい部分もあるが、昨日のように複数人が欠けるような事態ではいつでも代わりがつとまることくらいは見せておいて損はない。
さんざん使って、こちらの仕事が落ち着いたところで本来の担当者に返した。
久々にしてはミスもなく、通常とは気分も変わり楽しく仕事ができた。
今の職場ではまず機会はないが、富山にいる時は毎日のように4トントラックにも乗っていて、いっとき職場の建屋を離れて一人になれるので気分的にはずいぶん楽だった覚えがある。
当地でも、私は乗り物に乗せてさえおけばゴキゲンさんだと知れれば、もっとチャンスが回ってくるのかもしれない。

人間ひとりの存在というのは思っている以上に大きいものだ。
会社にいつも同じくらいの時間に着く人がたまたま見当たらずアレっ?と思うとか、出入りの業者さんの担当がいつもと違う人だっただけでなぜかリズムが狂って手順を間違えたとか、ランチの時間にいつも見かけるステキな人が今日はいなくてガッカリするとか。
毎日同じように流れている日々でも、たった一人がいるとかいないとか、いつもと違うとかでその日の一部が変わってしまうのは、ひとりひとりが違った顔や個性を持っているからにほかならない。

先日は、我が国史上最悪クラスの大量殺人が起きた。
何もできない(実際はそんなことはないが)障害者などいなくなればいいという考えは、最終的には障害者がどうだこうだという枠を超えて「自らの常識と違うものはすべて排除する」方向に行ってしまう危険がある。
容疑者はいずれ死刑となりこの世を去ることになるだろうが、このような人間がどうやったら世の中に出てこないようにできるのか。
どれだけ障害が重かろうと、何かをなすことはできるであろう方々ひとりひとりをどう支えていけばよいのか。
山形県酒田市で購入した、障害者の方が作った手編みのスマホケースを眺めながら考える夜であった。

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