blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

地元出身

2007-10-18 22:49:24 | 音楽
昨日のアクセス数がいつもの倍くらいあった。
今年の春、日本ダービーを観戦しに行ったときの日記もやはりアクセスが急にポンと増えた。
検索エンジンの仕組みを詳しくは知らないが、記事の内容でも検索できるようだ。
ある程度話題性のあることを書くと、少しはアクセスが上がるのかもしれない。

今日仕事に行く途中にFM放送を聴いていたら、地元魚津出身のラッパーの方が紹介されていた。
かかっていたのは「Birthplace」という曲で、まさに生まれた土地をテーマに両親や友人に対するメッセージを送る感じのものだ。
ラップという音楽ジャンルは私にはどうにもなじまないが、地元のことが歌われているというだけで「おっ?」という気持ちにはなる。
私の曲とは感じが正反対だ。(笑)
この方はすでにCDも出しているから、私のような「草ソングライター」とはワケが違う。
今週末には魚津市の商工フェアのような催しにゲスト出演し、30分ほどのライブをやるようである。

週末といえば、私も土日連チャンで人前に立つ。
土曜は、以前レッスンを受けていた音楽の先生のライブにゲストで出る。
入場料は2000円と高いが(笑)人間の声の素晴らしさを十二分に確認できる内容である。
微力ながら、会場の雰囲気作りに役立てればいい。
日曜は「青春片道切符」での久しぶりのステージだ。
土曜の昼間にもう1度練習がある。
もう詰めの段階に入っており、あまり心配することもないのではないか。
当日ステージ前に飲まなければ(笑)ダイジョウブだろう。

有終の美

2007-10-17 23:58:05 | 日記
仕事帰りに魚津市の桃山球場に立ち寄った。
富山サンダーバーズの今季最終戦が行われていた。
球場には9時前に着いたが、まだ6回だったので普通に券を買って最後まで見ることにした。

試合は3-4の9回裏、富山・草島選手の逆転サヨナラ2ランが飛び出し、サンダーバーズが劇的に今年を締めくくった。
当たりが場外に消えていったときの球場の盛り上がりはすごかった。
こんな試合ができるなら昨日やってほしかったが、それはあとの祭りだ。

いつも感心することだが、富山の選手はホームゲームでは必ず球場の外に出てお客さんと交流する。
マスコミの方もその時間を使っていろいろと話を聞いたりしているようだ。
昨日の金沢からの移動があり、その後試合をしてからのことだから選手は疲れていることと思う。
来年までのしばしの別れということもあるが、球場の外ではずっと人の波ができていた。

私は8試合か9試合しか見ることはできなかったが、スカッとした試合もあったし、何とも情けない試合もあった。
それでも1年目でこれだけ地元のファンの心をつかんだことは大成功である。
来年からは、福井・群馬が加わり6チームとなる。
特に群馬は、桐生や前橋といった野球どころがありレベルは高いだろう。
それだけ頂点への道のりは険しくなるが、今年味わった悔しさを力に変え、ぜひ来年は優勝を勝ち取ってほしい。

残酷な結末

2007-10-16 23:59:59 | 日記
映画の話ではなく野球である。
北信越BCリーグで優勝の可能性があった富山サンダーバーズの夢が今日終わった。
石川ミリオンスターズに5-16という大差で敗れ、目の前で敵の胴上げを見せられることになった。

今日勝てば明日に優勝へのわずかな望みがつながった試合、見逃すわけにはいくまいと遠路はるばる石川県立野球場へ足を運んだ。
私にとって初めての相手本拠地での観戦、優勝マジックを1としていた石川の応援席は試合が始まる頃にはほぼ埋まっていた。
富山からも案外多くの人が来て、応援だけなら石川にも負けていなかった。
球場には北日本放送のスポーツキャスターが来ていたが、同局のほかのアナウンサーやキャスターの方々も、担当番組が終わったのか大挙駆けつけ、私のすぐそばで懸命に応援していた。

富山と石川の首位争いはシーズンを通じて続いたが、攻撃型の富山に対し守りの堅い石川という構図はチーム成績を眺めてもハッキリしていた。
野原・井野口選手らを中心とする打線は間違いなくリーグ最強であったが、蛇澤・都選手ら好投手を擁する石川にはシーズンを通して苦戦した。

打者はどんなにがんばっても7割は失敗する。
いいピッチャーにかかれば、確率はもっと下がる。
NPBを見ても、上に来るチームは例外なく守りが堅い。
富山に対しあえて厳しく言うなら、勝ち星の中にも大味な試合がかなり目についた。
プロらしい締まったゲームを多く見せることが来期に向けた課題だろう。

とはいえ、少ないサラリーで野球に打ち込む選手達の姿には、ヒイキを超えて感じるものがあった。
NPBと比較して選手とファンとの距離も近いし、応援団も互いに尊重しあっていい雰囲気を作っていた。
今日はBCリーグ代表の村山さんの姿も球場にあったが、今日の現場の様子を見てどう思われただろうか。
来年は球団が6つになるという構想もある。
せっかく地元にできたプロリーグがすたれることのないよう、私もささやかながら応援を続けていきたい。

150記事

2007-10-15 21:22:06 | 日記
当ブログの記事が今日で150本目となった。
本当は100本目に何か書きたいと思っていたが忘れていて、気づいたときには103本目くらいになっていた。

引っ越しのために閉鎖してしまったホームページから数えると、1年半以上日記をつけていることになる。
通算では300本以上書いている。
毎回500字は書くから、ざっと15万字をこの1年半に書いてきた。
かといって、表現が上達したかというと本人には実感がない。
ただ、これだけの期間続くということは、書くことがあまり苦ではないということは言える。

あまりほかの人のブログをせっせと見たりはしないほうだが、人気のあるブログはもう少し「軽さ」があるような気がする。
あまりマジメな重い記事ばかり書いていると、読むほうは何となく引いてしまったり、またコメントもしづらいかもしれない。

私なりのこだわりをあえて書くなら、一般に公開するという前提でまずは分かりやすさは意識する。
内輪でしか分からないような表現は控え、説明が必要なら加える。
文章はむやみに接続詞でつながないで短めにおさえる、などである。
まったくあてはないが、いずれ外に文章を発信するようなことになったときを考え、訓練はしておいたほうがいい。

書いている本人は、日常のあれこれを吐き出す場所として当ブログを利用している。
先日も書いたが、何でもタメるのはよくない。
文章に表現して気が楽になるなら、大いに活用していきたい。

これまでもいろいろな方に登場いただいているが、話題としてあげられる方がどんどん増えていけば言うことはない。

1回目の練習

2007-10-13 23:59:50 | 音楽
朝番の仕事を終え、19時からのバンドの練習に行った。
もちろん私の予定は前もってお願いはしていたが、土曜の夜に集まってくれたメンバーには感謝である。

初挑戦の曲が3つあって、今日の朝方も音源を聴いて予習した。
とはいっても、5人集まると最初からピッタリ合うことはない。
ある曲では、音源とは違う「きっかけ」のようなものをピアノやベースで入れるなどした。
最後のほうでは、自分で数えている拍とだいたい合ったので、次の練習では何とかなるだろう。

さて、練習場所である天神山は実家と近い。
もう時間は遅かったが、電話をして立ち寄った。
冷たいお茶を飲んで、久しぶりに浴槽につかった。
いつもはシャワーだけなので、ずいぶんリフレッシュした。
毎度押しかけるのは気が引けるが、たまにはいいだろう。

先のライブで痩せたと言われたが、1人暮らしのイメージほど「食べていない」わけではない。
ただ、実家にいるときよりも当然やることが多いので、気が張っている部分はある。
支出も多いから、やりくりも大変だ。
もう少し毎月あれば、と思うが、こればかりは仕方がない。
痩せる分にはいいが、ストレス痩せは避けたいものだ。

珍しく・・・。

2007-10-11 22:39:21 | 日記
今日は自宅から1歩も外に出なかった。
特に用事がなかったのもあるが、直前4日間は非常に忙しく、今日1日は体を休めたかった。
富山サンダーバーズが近くに来ていたようだが、足を運ぶまではいかなかった。

最近はやや重いことを書いてきたが、書いた時点でブログ上に吐き出していることになり、本人としては気分が少し楽になった。
過去のモヤモヤをいつまでも凍結保存しておくと、ウソではなく現在の行動に影響を与えてしまう。
ゴミでもストレスでもとにかくタメるのはよくない。
少しずつでも外に出していったほうがよい。
今は普通の人でも、こうやって思うところを公にする機会を持てる。
お金もかからないし、精神衛生を保つためにも使えるものは使っていきたい。

明日からまた忙しい。
これから4日間は夜番と朝番が交互に来る。
2日目の夜にはバンドの練習もある。
まずは健康第一で乗り切りたい。

生きていれば。

2007-10-10 23:01:55 | 日記
私の人生暗かったという歌詞があるが、私の人生も前半戦はひどいものであった。
なまじ勉強ができてケンカはそれほど強くないとなると、同い年の集団では嫉妬の対象になると同時に攻撃もしやすい。
一昨日付けでは高校時代のことを書いたが、それ以前のまだまだガキンチョの時から毎年何かしらはイヤな目にあってきた。

まだ小学校3年くらいの時だが、自宅の台所で包丁を1本取り出してじっと眺めていたことがあった。
子供ながらに、生きることがイヤになった瞬間があったのだと思う。
お腹に突き当てるマネをしてみたが、刺すまでには至らなかった。
誰もが通るわけではない道を通っていることの理不尽さを感じ、小学生の身ですでに疲れ果てていたのかもしれない。

中学校1年のときは学校自体が荒れていた。
2年生に自殺者が出るほどであったが、1年生もひどかった。
私も、通りがかりに因縁をつけられて殴られたことがあった。
相手の顔も名前も、今でもハッキリ覚えている。
今何をしているのかは知らないが、あとあとまで残る心の傷を負わせたことは忘れてほしくない。

幼少から心を傷つけられる経験が続くと、大人になっていろいろな形となって爆発することが多い。
内側に爆発すれば無気力やニートや自殺といった問題になり、外側なら犯罪や暴力行為といった問題になる。

私は、とりあえずはまだ生きているし、警察に捕まるようなこともせずにここまでやってきた。
死にたいと思うことはあったが死ななかったし、誰かを殺したいと思うことはあっても殺さなかった。
しかし、心の傷は今も残っている。
その私が今何とか世の中で普通に過ごしていることは、ある意味奇跡に近いことなのかもしれない。

苦しくても生きてきたから、今ようやくやるべきことを見つけ、励ましてくれる人々にも恵まれている。
今日まではつらかった人生、これからもきっとつらいことはあるが、とにかく、生きよう。
生きることそのものが、これまで支えてくれた人への恩返しになる。

昔のことの続き

2007-10-09 21:48:09 | 日記
Aという環境でできた友人が、Aという環境の終わるか終わらないうちにことごとく離れていった。
高校を出て上の学校に行っても、同じことは繰り返された。
バドミントンのサークルで4年間付き合ったある友人は、卒業の頃には友人ではなくなっていた。
彼とは4年間ダブルスのペアを組んでいたが、4年生の秋の大会という大きな目標が済んだと同時に私から離れていった。
それ以来、彼と同じコートに立つことはなかったと記憶している。
ペアとして私とセットで語られることに、いい加減嫌気が差したのだろうと推測する。

私は若い頃、とにかく「正しい人間」だった。
曲がったことがとにかく嫌いだった。
本人は、マジメにさえ生きていれば必ずいいことがあると本気で信じていた。
ところが、どんなにがんばって正しく生きても、人生は楽しくならなかった。
それどころか、友人も何もかもが私のもとを離れていった。
大学を出る頃には、もう何も信じる気がなくなっていた。
こんな状態で社会に出て、仕事がうまくいくはずもなかった。

この人生の謎が解けるのは、その後ずいぶん経ってからである。
社会人になって8年くらいが過ぎた頃、私は重い病気になった。
思えばこれが今に至る転機であった。
正しい人間であることをやめ、生き方を改めるきっかけになった。
人がどう思おうと、ただ自分が楽しいと思うことをやればよいと。

それでも、先日のライブでは昔の悪い癖が出てしまった。
店の人に任せておけばよい片づけを、頼まれもしないのにセッセと手伝った。
店のレイアウトも知らないのに、机を動かしても店の人は困るだけだ。
きっと、直前のセッションで間違って人に恥をかかせたという後ろめたい気持ちを何とか埋めようとしたのかもしれない。

自分に自信があれば、ヘタなアピールやパフォーマンスは不要だ。
多才な音楽人たちに囲まれ、私自身に気後れがあったのだとしたら、あまりにも腰が引け過ぎてはいないだろうか・・・。

昔のこと

2007-10-08 20:39:01 | 日記
もう20年ほども前になる高校生のときの話をしたい。
今から思い返せば、青春時代の楽しい思い出などというものは皆無である。
クラスになじめず完全に孤立していたのが1年生。
必死になって受け入れられることを望んだが、結局は徒労に終わったのが2年生。
ジタバタしてもしょうがないとあきらめ、ひたすら大人しく無難に過ごしたのが3年生、といったところだ。

特に1年生のときはよく毎日休まずに学校に行っていたものだと思う。
勉強のあとは部活動があったから、それが多少は日中のストレスを緩和してくれた気がしている。
部活に行けば少しは周りと話すことができた。
もしクラスだけの高校生活であったなら、ほどなく破綻していただろう。

2年6組のクラス名簿を見て驚いたのは、もと1年2組の生徒の名前が3人くらいしかなかったことだ。
きっと先生方が私を1年2組の「主力」から離してくれたのだと信じている。
1年生のときの反動で、この年はとにかく周りに受け入れられたかった。
話題でも何でも、取り残されないように必死だった。
それでも最後には周りに誰もいなくなった。

3年生では、ひたすら自分を殺した。
必死に自分を出しても、無難に出さなくても同じなら、出さないほうが楽だと思った。
受験を控え、勉強道具のように利用されても、反発する気も失せていた。
歌の文句ではないが、目立たぬように過ごしたのがこの1年だ。

たまたま高校生活を例に出したが、学校生活とはそもそも私にとって何だったのだろう。
その場限りの友達ばかりがたくさんできて、気づいたときには捨てられている。
そんな繰り返しばかりだった。
なぜそうなるのかその当時は分からなかった。

(以下明日)

ひとり

2007-10-07 22:45:19 | 日記
ライブで飲んだくれ、さすがに今日の起床は11時前となった。
急いで食事をし、仕事に向かった。
太ももが筋肉痛だ。
久々にハードロックを叩いたからだろう。
今日痛みが出るのは、まだ若い証拠か。

ダーリング祭でカメラマンをやったが、きれいな写真は数枚しかなかったようだ。
ダーリングのHPを見て「アチャー!」と思った。
17号氏がマイクをいじっているものが撮影者の唯一のお気に入りだ。
動き回りすぎて観客の方には迷惑をかけたかもしれない。
いくら一生懸命やっても周りに不快感を与えたら何にもならない。
打ち上げの場でそれとなく指摘を受けたような気もする。

セッションで大いに盛り上がった会場だが、いつの間にか私は元の席を離れカウンターで飲んでいた。
どうやら私は、周りが騒げば騒ぐほど、そこから離れたがる習性のようである。

オリジナル曲をサッサとソロに切り替えてしまったのは、多数の人間に自分の意見を通す能力が私にないからである。
というよりも、あれこれ文句を言われながら自分の曲を仕上げていく過程がバカバカしく思えた。

私は今はバンドに所属しているが、本質的にはバンド向きではないのかもしれない。
ある人が「組織体」という言葉を使ったが、バンドも組織というなら組織に向かない人間はどうすればよいか。

いずれ「ひとり」になっても、音楽は続けよう。
ひとりだからできないというのは話が通じない。
ひとりになったから好きなことをやめるというのはおかしい。
本当に好きなことなら、たとえ仲間がいなくてもできるはずだ。
いろんな分野でパイオニアとなってきた人々は皆そうではなかったのか。