blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

かわいげのないヤツは・・・。

2007-10-23 22:51:27 | 日記
もう6年くらい前のことになるが、富山県内のある旅行会社に移ったときのことだ。
年次総会と新入社員歓迎会を兼ねたような催しが富山市内のホテルであった。
新人は歌を披露しなくてはならず、同時に入った3名はそれぞれ歌ったが、会場を盛り上げたのは当時ハタチの専門出の男の子だった。
明らかにヘタクソだったのが、逆に好感を持たれたようだ。

私の前職は地元の大手金融機関であった。
県内では有名ながら規模的には中小企業であるこの会社の人たちからすると、大きな企業を辞めてなぜウチに来たのかという思いはあったと察する。
あくまで主観だが、最初から「なんだコイツは」という見方をされていたかもしれない。
そんな私が自信タップリに得意の松山千春を披露したら、何となく面白くないと感じた人も多かったのだろう。
自分の席に戻った私にビールをつぎに来てくれた人は1人だけだった。
その頃、友人からは「最初のうちは敵を作るな」とアドバイスを受けていたが、それ以来、社内は敵だらけとなったのである。
結局、その会社には1年ちょっとしかいなかったが、最後の方は毎日のように嫌がらせを受けていた。

日本だけのことなのか、ほかの国を知らないから分からないが、新人は最初にバカをやらないと受け入れてもらえない傾向にある。
いくら能力があっても、最初のうちはそれを隠して下手(したて)に下手に振る舞って、時にはオチャラケもやりながら徐々に職場になじんでいくのがうまい方法であったようだ。
その会社で苦い経験をしなくてはいけなかったのも、私に「かわいげ」がなさ過ぎたという一言で説明がつく。

実は、そのあたりは今になっても変わっていないような気がする。
草ソングライターとしてオリジナルの発表を徐々に始めているが、客観的に見れば私は新人である。
ラジオ出演にしてもイベントでの披露にしても、あまりにも直球すぎて芸がなかったように思う。
繰り返すが、私は「新人」である。
曲にどんなに自信があっても、他人からすれば「はぁ?」といったところだ。
曲とは別個に、いわゆる「つかみ」の部分がもう少し必要ではなかったかという後悔がある。
数日前にも書いたが、ただうまく歌うだけでは「かわいげ」がないのである。

私に「かわいげ」がもう少しあったら、人生は変わっていくのだろうか・・・。
悩みは深まる。